現在の熊本史談会は15年ほど前に、肥後金春流家元の中村勝氏によって設立された。
地震のせいで些か資料が欠落して、確かなことが良くわからないが創立から一年後くらいに参加したように思う。
幸い残っていた「案内状」や「配布資料」、「資料作成原稿」などを頼りに、15年分の「史談会例会資料一覧」を作り始めた。
只今家の中は足の踏み場もないような有様である。資料を袋から取り出し一々月日と内容を書き出す作業をしている。
例会当時にもたらされた新聞記事やパンフ・写真等思い出深い品が出てきて作業の手を止めさせる。
配布資料のストックは二部だけ残して、大ナタを振るって処分することにした。
15年の時間が経過しているが、内容をながめると一つ/\が鮮明に思い出される、78爺もまだぼけてはいないようだ。
一覧はA4サイズ15頁に及ぼうとしている。
15年前の史料を整備すれば、再び新年度からの資料につかれるのではないかと考えている。
今日は部屋の中を抜き足差し足で歩いているが、紙資料を一日中触っているから、手はパサパサになってしまった。
おかげで今日は散歩に出るタイミングを失ってしまった。世の中は三連休だそうだから、休養日ということにしておこう。
「麒麟がくる」を見て、シャワーをつかって寝るばかりだから、散らかった史料はそのままということになる。
明日は一番に散歩をして、又終日この作業が続くことになる。
私の15年の歴史である。
熊本城の長塀工事が完了していた。熊本史談会例会の帰り、遊歩道へまわりデジカメ撮影してみた。
阿蘇地方において大被害を受けた国道57号線の復旧とバイパス道路も共に竣工して、阿蘇観光にも光明が見えてきた矢先、コロナの第三波がGoToトラベル事業を危うくさせている。
熊本城も観光客の減少状態が続き、入場料のUPが検討されているらしい。
このような、地震から復旧している熊本の姿を全国の皆様に「さあ、見においでください」と大声で申上げる時期がいつ来るのか、コロナ感染者は熊本でも増加傾向があり、暖かい春の訪れまで待たなければならないのだろうか。
365日連休状態の私だが、このコロナでの籠り状態はどうも別の精神状態にさせて、疲れること甚だしい。
皆様も御身お大切にお過ごしください。
肥後狂句だと思うが「うう頭 井戸を覗いてかやり込み」というのがある。
「うう」は「大」の意であり「大頭」、例えば「大番外」を熊本では「ううばんぎゃー」と読んだりする。
「かやり込み」は「倒れ込み」の意である(大分方言)。
つまり、「大きい頭の人が、井戸をのぞき込んでいたら倒れ込んでしまった」ということである。
斯くいう私も「うう頭」の持ち主で、二歳ころの写真が残っているがまさに井戸のそばに立っていて、「おいおい危ないぞ」と声をかけたくなる。
一年程前か、散歩をしていてまっすぐ歩けないことに気づいた。本人は真っすぐ歩いているつもりなのだが、50㎝くらいの幅で右に左に身体がぶれるようになった。
病院で検査をうけたら、「小脳」が小さくなっているとのご託宣である。
「脳」が小さくなっているのなら、「うう頭」も少し小さくなってくれれば有難いのだが・・・
心筋梗塞予備軍だから「ニトロ」の携帯を言い渡され、高血圧・高血糖の薬を欠かせず、インフルエンザの予防注射を人生初めて受けたが、コロナにかかればもうあの世行きは間違いない。
最近では時おり「パーキンソン病」ではないかと思わせる症状が出る。歩いていると右へ右へ身体が引っ張られていく。
これが何とも不安でしょうがない。又精密検査をうけなければならない。
そんなこんなの我体調で、今般8年間務めた「熊本史談会」の事務局を引退させていただくことを、昨日の例会で表明しご了解をいただいた。
来年度からは新体制で、新たな発展に向けて歩みだすことになる。元気な内は協力を惜しまないことは当然である。