先に ■非科学的隠居趣味 を書いたら、一・二の方から典拠の全文を知りたいとの要望がもたらされた。
少々私の書き方がまずかったかなと思い些か逡巡していたが、ご紹介した通りすでに刊本となっているものである。
その該当ページをご紹介する。
日帳(寛永六年卯月)廿五日~廿七日
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| (四月)廿五日 加来次郎兵衛
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| (快寛) (中津郡) (壇)
忠利泊リシ寺ノ仏 |一、佐方少左衛門・蓑田甚丞登城にて被申候は、今井御宿ノ寺仏段ノ前に在之板を 殿様被成御覧、
壇ノ前板ヲ召上グ | 御意ニ入、御取可被成候由被仰候間、御取寄せ候而可然奉存候、左様ニ候ハヽ、板取申候跡を、
ソノ修復ヲ求ム | まへかとのことくニ被仰付候而可被下之由、被申候、心得申候由申候也、
忠利白木ノ弓ヲ召 |一、竹村弥右衛門登城にて被申候は被申候は、御上洛之刻、森左太夫白木ノ弓壱張む■ちをぬき候
上ゲソノマゝ預ク | 〃〃〃
| て、くれ候へ之由にて被預置候、此弓如何仕やと被申候、此方返事ニは、先其通ニ而めしおか
| れ候へ、 御下国なされ候ハヽ、如何様とも被仰出在之候ハンまゝ、其次第可有御沙汰由、申渡
| 候也、
村上景則家来ト清 | (景則)
田五郎大夫下代ノ |一、佐方少左衛門・蓑田甚丞登城にて被申候ハ、長岡河内もの、中津郡清田五郎大夫知行所にて、河
| ニ付
出入 | 獺狩を仕候処、五郎大夫下代ノ牛子を、河内もの共めしつれ候犬くい申候とて、右下代ノむす
河獺狩ニツレシ犬 | 〃〃
牛ノ子ヲ食ウ | こ犬を打申候、其時■かわちものハ物かけニ居候、犬ノなき候を聞、犬を打候ハ何ものそと申、罷
下代ノ倅犬ヲ打ツ | 出、下代ノむすこをくまでにて打申候、我等はせかれの儀候、能覚候へと申候て、在所へかへ
景則家来下代ノ倅 | り、主親幷五郎大夫子少九郎同道にて罷出、如何様之子細にて、せかれを各ハ打候哉と申候処
ヲ打ツ 倅打返ス | ニ、右ニ被打候せかれ河内者之持居候熊手を取、打かへしを仕、在所へ帰申候由承候ニ付、在所
| ノ百生共ハ出相不申やと、御惣庄屋ニ相尋申候ヘハ、一人も出相候もの無之由申候、わきわきを
| 尋申候ヘハ、仕事仕、其所ニ有相候百生も少居申たる由候か、左様ノものをも籠者可申付哉■、
処分ハソノ時ノ様 | 如何由被申候、此方ゟ申候ハ、其時之様子次第ニ御さたあるへき通 返事申候事、
子次第 |
| 参考:村上景則は三斎付家老、清田五郎大夫は三斎側室の伯父
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| (四月)廿六日 安東九兵衛
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| (元五)
なべかねノ端午ノ |一、志水伯耆守もの京都ゟ罷下候ニ、小野九右衛門・佐藤少三郎かたゟ 御なへ殿・御かね殿ヘノ端
帷子下ル | 午の御帷子・送状言伝候而差下候、則御納戸衆ニ相渡候事、 〃
国東郡惣庄屋手永 |一、国東郡御惣庄や小原太郎右衛門手永中ニ、物書之切手をかけて取候、過怠として、御郡奉行衆新
中ニ物書ノ切手ヲ | (喜左衛門)(新兵衛)
渡ス 過怠 | 地畠三反当年被申付候、当年ゟ御帳ニむすひ可上由ノ書付、金子・加藤所へ上ヶ申候事、
|一、小林吉太夫、田中意徳相使ニ申付候事、
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| (四月)廿七日 加来二郎兵衛
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浄喜寺ノ者江戸ヨ |一、浄喜寺もの江戸ゟ罷下候ニ、 三斎様へ被進之御文箱一つ、幷河田九一郎・神戸喜右衛門ゟ魚住
リ帰着 | (政時)
江戸ゟノ来状 | 伝左衛門・貴田権内所へ参候しふかミ包の文箱、昨夜参候を、今朝飛脚を以、中津へさし上候
| 事、
|一、右同使ニ、いよ殿へ被遣 御書、黒瀬九郎右衛門をよひ、渡候事、
|一、浄喜寺もの江戸ゟ罷下候ニ、山本三四郎ゟ留守へ帋袋壱つ参候を、三四郎留守居喜右衛門ニ渡
| 候、
| (膳)(三淵之直)
|一、長岡左善殿ゟ、右馬助殿へ被進之御状参候、則持せ進之候事、
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命ニヨリ鍼立鑓銀 |一、八喜慶閑・石川理斎ゟノ奉書ニ、片歯針弐本、宣貞弟子新六ニ打せ可上候、若新六参違候ハヽ、
冶ニ片刃針ヲ打セ | 宣貞ニ打せ候へと申来候、針ノ寸方ハ慶閑弟子忠右衛門ニたつね候へと可申付由、則新六をよ
シム | ひ、様子申渡候事、
三斎ヘノ端午ノ帷 |一、端午之御帷子 三斎様へ被進之候御使横田権佐、今晩ゟ中津へ被参候ニ付、 御書幷御帷子相渡
子進上 | 候也、
| (勝定) (勝永)
大坂城普請退石ノ |一、今度大坂退石之御奉行ニ、坂崎半兵衛・寺尾左助両人のほり申候ニ付、上り候御鉄炮衆三人申
奉行ヲ上ス | 付、用意仕せ置候へと、小頭甚兵衛ニ申付候也、