津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「非科学的隠居趣味」その典拠

2020-11-07 11:59:48 | 徒然

 先に ■非科学的隠居趣味 を書いたら、一・二の方から典拠の全文を知りたいとの要望がもたらされた。
少々私の書き方がまずかったかなと思い些か逡巡していたが、ご紹介した通りすでに刊本となっているものである。
その該当ページをご紹介する。
       

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■細川小倉藩(397)寛永六年・日帳(卯月廿五日~廿七日)

2020-11-07 07:38:49 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年卯月)廿五日~廿七日

         |       
         |     (四月)廿五日  加来次郎兵衛
         |

         |   (快寛)                        (中津郡)      (壇)
忠利泊リシ寺ノ仏 |一、佐方少左衛門・蓑田甚丞登城にて被申候は、今井御宿ノ寺仏段ノ前に在之板を 殿様被成御覧、
壇ノ前板ヲ召上グ |  御意ニ入、御取可被成候由被仰候間、御取寄せ候而可然奉存候、左様ニ候ハヽ、板取申候跡を、
ソノ修復ヲ求ム  |  まへかとのことくニ被仰付候而可被下之由、被申候、心得申候由申候也、
忠利白木ノ弓ヲ召 |一、竹村弥右衛門登城にて被申候は被申候は、御上洛之刻、森左太夫白木ノ弓壱張む■ちをぬき候
上ゲソノマゝ預ク |            〃〃〃
         |  て、くれ候へ之由にて被預置候、此弓如何仕やと被申候、此方返事ニは、先其通ニ而めしおか
         |  れ候へ、 御下国なされ候ハヽ、如何様とも被仰出在之候ハンまゝ、其次第可有御沙汰由、申渡
         |  候也、
村上景則家来ト清 |                       (景則)
田五郎大夫下代ノ |一、佐方少左衛門・蓑田甚丞登城にて被申候ハ、長岡河内もの、中津郡清田五郎大夫知行所にて、河
         |                                   ニ付
出入       |  獺狩を仕候処、五郎大夫下代ノ牛子を、河内もの共めしつれ候犬くい申候とて、右下代ノむす
河獺狩ニツレシ犬 |                                   〃〃 
牛ノ子ヲ食ウ   |  こ犬を打申候、其時■かわちものハ物かけニ居候、犬ノなき候を聞、犬を打候ハ何ものそと申、罷
下代ノ倅犬ヲ打ツ |  出、下代ノむすこをくまでにて打申候、我等はせかれの儀候、能覚候へと申候て、在所へかへ
景則家来下代ノ倅 |  り、主親幷五郎大夫子少九郎同道にて罷出、如何様之子細にて、せかれを各ハ打候哉と申候処
ヲ打ツ 倅打返ス |  ニ、右ニ被打候せかれ河内者之持居候熊手を取、打かへしを仕、在所へ帰申候由承候ニ付、在所
         |  ノ百生共ハ出相不申やと、御惣庄屋ニ相尋申候ヘハ、一人も出相候もの無之由申候、わきわきを
         |  尋申候ヘハ、仕事仕、其所ニ有相候百生も少居申たる由候か、左様ノものをも籠者可申付哉■、
処分ハソノ時ノ様 |  如何由被申候、此方ゟ申候ハ、其時之様子次第ニ御さたあるへき通 返事申候事、
子次第      |
         |   参考:村上景則は三斎付家老、清田五郎大夫は三斎側室の伯父 

         |       
         |     (四月)廿六日  安東九兵衛
         |

         |   (元五)
なべかねノ端午ノ |一、志水伯耆守もの京都ゟ罷下候ニ、小野九右衛門・佐藤少三郎かたゟ 御なへ殿・御かね殿ヘノ端
帷子下ル     |  午の御帷子・送状言伝候而差下候、則御納戸衆ニ相渡候事、             〃
国東郡惣庄屋手永 |一、国東郡御惣庄や小原太郎右衛門手永中ニ、物書之切手をかけて取候、過怠として、御郡奉行衆新
中ニ物書ノ切手ヲ |                              (喜左衛門)(新兵衛)
渡ス   過怠  |  地畠三反当年被申付候、当年ゟ御帳ニむすひ可上由ノ書付、金子・加藤所へ上ヶ申候事、
         |一、小林吉太夫、田中意徳相使ニ申付候事、

         |       
         |     (四月)廿七日  加来二郎兵衛
         |

浄喜寺ノ者江戸ヨ |一、浄喜寺もの江戸ゟ罷下候ニ、 三斎様へ被進之御文箱一つ、幷河田九一郎・神戸喜右衛門ゟ魚住
リ帰着      |       (政時)
江戸ゟノ来状   |  伝左衛門・貴田権内所へ参候しふかミ包の文箱、昨夜参候を、今朝飛脚を以、中津へさし上候
         |  事、
         |一、右同使ニ、いよ殿へ被遣 御書、黒瀬九郎右衛門をよひ、渡候事、
         |一、浄喜寺もの江戸ゟ罷下候ニ、山本三四郎ゟ留守へ帋袋壱つ参候を、三四郎留守居喜右衛門ニ渡
         |  候、
         |      (膳)(三淵之直)
         |一、長岡左善殿ゟ、右馬助殿へ被進之御状参候、則持せ進之候事、
         |
命ニヨリ鍼立鑓銀 |一、八喜慶閑・石川理斎ゟノ奉書ニ、片歯針弐本、宣貞弟子新六ニ打せ可上候、若新六参違候ハヽ、
冶ニ片刃針ヲ打セ |  宣貞ニ打せ候へと申来候、針ノ寸方ハ慶閑弟子忠右衛門ニたつね候へと可申付由、則新六をよ
シム       |  ひ、様子申渡候事、
三斎ヘノ端午ノ帷 |一、端午之御帷子 三斎様へ被進之候御使横田権佐、今晩ゟ中津へ被参候ニ付、 御書幷御帷子相渡
子進上      |  候也、
         |               (勝定)  (勝永)
大坂城普請退石ノ |一、今度大坂退石之御奉行ニ、坂崎半兵衛・寺尾左助両人のほり申候ニ付、上り候御鉄炮衆三人申
奉行ヲ上ス    |  付、用意仕せ置候へと、小頭甚兵衛ニ申付候也、  

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