コロナの第三波が来るのだろうと思ってはいたが、少々やばい数でやってきたようだ。
熊本も御多分にもれず、毎日相当数の感染者が出ているようだが、最初一人二人で驚いていたころからすると、些か慣れが出てきている。
昨日は所用で区役所まで出かけたが、すっかりマスクを忘れていた。ハンカチで口を押えてなんとか用を済ませてきた。
帰ると奥方から御目玉、そこで奥方は最後の手段とばかり出かけるときに絶対目が付くようにと、玄関ドアにマスクをぶら下げるというとんでもない手段に出た。
散歩の際のもマスクを着けずにいるが、出会う人もあまりおらず、対面から人が来たら少々距離を置きすれ違うことにしている。
以前は挨拶を交わしたりしていたが、コロナ禍いらい挨拶もしないという悪しき結果も生じている。
相手の方が不快に思われるだろうから「ちゃんとつけろ」というのが奥方の考え方だが、ごもっともとは思っている。
日帳(寛永六年六月)十日~十一日
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| 十日 奥村少兵衛
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国東郡奉行小林半 |一、国東郡御郡奉行、夜前罷出候由ニ而、登城被仕候事、但、小林半左衛門也、
左衛門 |
上毛郡借米奉行算 |一、上毛郡御借米奉行衆御算用被仕上、埒明申候、別ニ御用ハ無之哉と被申候、此方ゟ之用所無之
用埒明ク | 間、可被差返由、申渡候事、
| (是季) (規矩郡)
走リ下女談合ニテ |一、長岡監物殿内村上二郎太夫下女、筑前へ走候とて、高月へ参候をとらへ来候、今日式ア殿にて御
成敗ニ決ス | 談合、成敗ニ究候事、
| (是門)是季の叔父
米田是門屋敷返上 |一、米田與右衛門尉殿家上ヶ申度由被申通を、江戸へ申上候へと、式ア殿にて三人之御年寄衆被仰渡
願を忠利へ取次グ | 候事、
物書ノ筑前牢人村 |一、村■山安兵衛儀、筑前にて知行を取、田川へ牢人仕、前かと参居候を被成御払候処ニ、又立帰、
山某ヲ置カザル事 | 御
ヲ談合ス | 御物書ニ出居申候、如何可有御座哉と、今日式ア殿にて談合申候処ニ、被 召置にてハ有間敷由
| 財
| 被仰候、則才津惣兵衛・豊岡甚丞ニ、此段申渡候事、
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| 十一日 加来二郎兵衛
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築城上毛郡横目ノ |一、上野三太夫御算用ニ罷出候由にて罷出候間、此方ゟ申候ハ、 殿様御在國ノ時ハ次飛脚、其外
怠慢ヲ叱ル | (便宜)
| ひんぎニも何かを申上候が、当年ハ何事をも不申上候、在々廻候事を不情ニ仕由、内々聞及候間、
| 重而万事たしなミ候へと申渡候事、
| (日奈古村)(ママ)
郡横目開作ノ風聞 |一、右三太夫、■■築城ノ内ひなごと村にて新開を大分仕、御百生を殊外仕候由、風聞候申候、如何
ヲ郡奉行ニ糺ス | (沢)
両年ニ二町ノ開 | 候哉と、荒木五郎介に相尋候ヘハ、両年ニ弐町ほとじらき申候、其外ニ古作を作り申由、少兵衛
古作 | ・五郎介被聞付候ゆへ、両人共ニ右関所ニ参、見申候ヘハ、開ハ弐町ほと御座候、大分ノ関、其
春米ヲ百姓ニ貸シ | 方身躰にて仕候哉と、吟味仕候へハ、春御百生ニ米をかし置、其代ニ遣申候由、三太夫申ニ付、
其代ニ開拓セシム | さて御百生手前を吟味申候ヘハ、其分ニ御座候、少も紛不申由、何も申候由、五郎介被申候也、
| (長沢顕長室、沼田清延女)
忠利ヘノ帷子包 |一、殿様へ伊与殿ゟ上り申御帷子包、苻之儘、竹田了由ない半七ニ渡申候也、
墨借用証文 |一、御算用所ニ墨きれ申候而ハ、事かけ申ニ付、大坂へ申上せ候間、頓而返進可仕と申、ふちの丸ノ
| すミ壱丁、我等使ニ而、かり申儀不被仕候事、 山村三丞(花押)
|一、加藤新兵衛被相煩、今日ハ登城不被仕候事、
|一、財津惣兵衛も煩にて、登城不被仕候事、
| 十三郎
|一、了由被乗上候御舟頭〇ニ、大坂衆へ之状共相渡候事、