津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■安国寺開山・明巌梵徹

2020-11-29 16:29:44 | 展覧会

                          

 豊前細川藩の安國寺の開山明巌梵徹は、明智光秀の末子(ガラシャ夫人末弟)とされる。
明智研究家の方々からはあまり信用されていないようだが、このように立派な像が熊本の安国寺に遺されている。
いろいろお説を伺うが、いずれも「帯に短したすきに長し」で、明智一族については正解を知ることは永遠にないように思える。
その間、先生方が談論風発いろいろお書きになるのを拝見することにしよう。

                     「麒麟がくる」によせて・・・熊本から・

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■細川小倉藩(416)寛永六年・日帳(六月十ニ日~十三日)

2020-11-29 07:38:23 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年六月)十ニ日~十三日

         |       
         |     十二日  安東九兵衛
         |
長崎ヨリ漬物壺  |一、長崎へ飯銅上右衛門乗せ下候御船頭南喜左衛門、唯今罷帰由にて登城被仕候、長崎ゟ漬物壺四つ
         |  被差上候由申候、則御本丸へ持参仕候而、御納戸衆へ被渡候へ之由、申渡候也、
         |
三斎へ塩引鮭   |一、小笠原備前守殿ゟ被仰下候は、拙者者江戸ゟ罷下候ニ、 三斎様へ被進候塩引之鮭、伏見まて持
         |  参仕候而、伏見にて、江戸ゟ中津へ参御小人舟ニ乗候砌、右のさけを相渡候様ニとの 御意に
         |  て、則伏見にて鮭をわたし、御小人ゟ切手を取、罷下由申候、御小人はすく中津へ参候由、申
         |  の通被仰聞候、得其意申由、御返事申候也、
         |一、加藤新兵衛、煩快気仕候由にて、登城被仕候也、
         |一、才津惣兵衛、煩快気候て、登城被仕候也、
         |                               (主水)
         |一、了由被乗上候御船頭十三郎ニ、京・大坂へ之状相渡候、大坂にて寺嶋方へ相渡、京へ之状も、寺
         |  嶋ゟ被相届候へと可被申由、申渡候也、
江戸ヘノ書状ノ覚 |    竹田了由江戸へ被参ニ相渡覚
         |                  御かね様
         |  一、我等共言上ノ文箱壱つ、内ニ 佐藤将監      御請、
         |                  御金山衆ノ言上弐つ、
         |  一、三斎様ゟ御返書の御文箱壱つ、
         |  一、松平右衛門京様ゟノ御返書の御文箱壱つ、
         |      〃〃
         |    右ノ外、江戸御奉行衆へ我々状とも、不残相渡候也、
提灯張ノ奉行   |一、御ちゃうちんはらせ申御奉行ハ、冨田十太夫与大久保太左衛門・横田権佐与渡辺太兵衛也、
         |一、粟野二右衛門病死仕候事、

         |       
         |     十二日  奥村少兵衛
         |
借米奉行算用了ル |一、御借米奉行弓削太郎右衛門尉・香山與介、御算用相済、返号豊岡甚丞見届被申候間、罷帰由ニ
         |  手、甚丞同道にて被申候間、可有御帰由、申渡候也、
         |
三淵重政母故恵光 |一、長岡右馬助殿ゟ、使者を以被仰越候ハ、恵光院殿御知行御上候間、御代官衆へ引渡可申由にて、
院ノ知行ヲ上グ  |  御書付候て御上候、幷御知行所ニ、少御かし付置被成物御座候、則注文進之候、是ハ御取立被成、
         |  跡目へ被下候様ニと、申儀にてハ少も無之候、為御心得指上候由、被仰聞候、此方申候ハ、とも
         |  かくも被仰下分ニ可申付由、其上御知行方の御奉行ニも被仰分可申渡由、御返事申候事、
         |   (慰英)                             馬廻組六番 千五百石 (於豊前小倉御侍帳)・・越後      (正直)     
遠坂越後家来ト藪 |一、仁保太兵衛・中山左次右衛門登城ニ而被申候は、遠坂越後申候は、拙者召遣候者と藪市正、去
正直家来ノ喧嘩  |                                                                                                                     馬廻組五番 「藤」 弐千石 (於豊前小倉御侍帳)
端午ノ印地打ニ発 |  五月節句いんじ打仕候處にて、口論を仕出シ、何かと申、段々候て、于今其埒明け不申候、左様ニ
端        |  御座候ハヽ、市正方ゟ、御奉行所まて書物なと被差上候様ニ承候、私手前ゟ茂書物を以申度、内
         |                  
書物ハ公儀ノ沙汰 |  々存候へ共、今ほとれき/\御あつひ被成候内ニ、書物を上候ヘハ、拙者召遣候ものとハ申なか
         |  ら、公儀のさたニ罷成候故、先今まて書物を茂上不申候、如何可被仰付候哉、書物をも仕候而上
         |  可申と被申候通、太兵衛・左次右衛門被申候、此方ゟ申候は、如仰、市正殿ゟ書物を被成御上候
         |  へとも、市正殿も今ほとは、耳きこへ不申候由、被仰候て、御登城にて御座候故、此方ゟ返事申
家老間ノ公事ハ脇 |  候儀茂不罷成候ニ付、先書物ハ請取置候、惣而何事ニよらす、家老間の公事は、わきよりかまひ
ヨリ構ハヌ制   |  申間敷旨、被仰出候上は、市正殿・越後殿何茂御馬廻り頭の儀にて御座候間、此方より何とも難
両人ハ馬廻ノ頭  |           
         |  被申候間、其御心得〇被成候由申候、何茂御あつかひ衆あまた御座候儀にて候間、何之道ニ茂相
         |  済可申候由、返事申候也、
中津郡借米奉行算 |一、中津郡御借米奉行沖津作太夫・小野又兵衛、御算用相究候間、差返候様ニと、御かし方奉行被申
用究ム      |  候事、
         |一、国東郡奉行小林半左衛門尉、手前ニハ何にてもつかへ申儀無之間、是も被帰候へと可申渡由、
         |  右衆被申候事、
祇園社神主祈祷ノ |一、祇園ノ神主左近右衛門登城にて被申候は、今日祇園おまつりにて御祈祷仕候、則御洗米・御ミき御
洗米神酒ヲ持参ス |  本丸へ持参仕候由、申候也、
         |一、北村次右衛門尉病死仕由、山田善兵衛申候事、
 
  

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