津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■USBデータ・一本化

2021-07-16 12:01:51 | 徒然

                                                 

 御覧のごとくいろんなUSBがあり、何がどこに入っている判らないため、只今一本化のためデータ移動の作業中です。
有難いことに、いろんな方から歴史関係の貴重なデータを直接USBでお送りいただいたり、メールで頂いたものを落としたりしてきたものが、このような数になりました。
探すのに大変ですから、一本にまとめようという訳です。このほかCDデータもこの際USBに移し替えてしまおうと考えています。
建築のデータ(CAD)はもう現役ではないので必要ないのですが、一応かかわってきた仕事のデーターは責任をもって保持しておきたいと思いこれもこの際まとめてしまうことにします。これは別に独立してまとめることにしました。
一本のUSBに複数のデータが入っていますから、結構たくさんのデータであり、こんなものがここから出てきたとしばし見とれたりしながら、作業は遅々として進みません。
今日一日の一仕事になりそうです。
紙データは現在スキャン作業をしていますが、これも最終的にはUSBに落してまとめてしまおうと思いますが、これは終わりを知らぬ作業となりそうです。
こんなことをしながら爺様は巣ごもりの中過ごしております。

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■宝暦の改革の影‐井口庄左衛門の死

2021-07-16 06:53:50 | 歴史

 細川家の宝暦の改革は、宗孝の不慮の死を受けて登場した重賢により成し遂げられ、全国にその名を知らしめた
その成果は枚挙にいとまがない。
しかし、重賢によって政をゆだねられた大奉行・堀平太左衛門に対し、旧為政者たちのいら立ちがあった。
三卿家老の一人有吉大膳(立邑)については、大膳の憂色を案じた有吉家家臣は平太左衛門を呪詛するという事件があり、これが発覚し呪詛に当たった家臣や僧侶などは死刑に処せられ、大膳は永蟄居の処分を受けた。
しかしながら弟・四郎右衛門立喜に家督が許され、有吉家はなんら変わることなく明治に至った。

 一方、200石の知行ながら奉行に取り立てられた、井口庄左衛門なる人物は重賢や平左衛門の期待に応え財政立て直しに奔走した。
そんな中、三卿家老松井家の主水営之との激烈な論争があったとされ、営之は太守に「庄左衛門を私へ拝領させられ下さる様」と申し出たとされる。
無言で退席する重賢の袖を引くほどの事であった。
「先祖に対して下され候様」にと再三の要望も振り切られた。その夜重賢は庄左衛門を呼び、酒肴をあたえられ返杯を受けた。
庄左衛門は退出後、返杯を乞われたことに対し、これは御隙乞いの御心であろうと推察し、帰宅後切腹して果てたという。
三卿筆頭家老家の松井家の顔を立て、また能力を大いに発揮して勤めを果たしてくれる庄左衛門を松井の手で処断されないための、重賢の苦渋の決断であった。


 これらは「雲从堂秘録」に書き残されているものであり、時に宝暦十二年五月十日の事だとされる。
公式な記録が見えず詳細はうかがい知れないが、「熊本藩年表稿」などには、「肥後先哲偉蹟」から引用して記載されている。
松井営之は有能の大臣であったと評される人物だが、この有様はなにを以っての事であろうか。ここにも宝暦の改革の生みの苦しみが見て取れる。

 

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