津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■奉行所へ殿様の御成り(2)

2021-07-03 11:17:38 | 史料

     一、被為入御座着之上御刀懸之上御熨斗三宝突付上之直ニ御手熨斗
       逆廻下候上御家老一切御奉行一切被召出御手熨斗被下之 尤副役御■
       二者御手熨斗不被下候 御手熨斗三宝下之候上御目附初諸役々被 召出相■
       直ニ御立
     一、御給仕帯釼其外御用等罷出候節者無刀
     一、御熨斗者御臺所より持参ル
     一、御手水者矢張出候處ニ出居候御手水鉢ニ而上ケ参候由ニ而夫を差上候由根(取?)
       中村健助憶之由
     一、御刀懸者定之通
     一、御先番上張半袴士席口より上ル 尤御飛脚番江各坊主部屋江刀持(参?)
       候事
     一、御駕入一切上リ不申候

参考:中村信雄家7代、中村健助(養子)  御小姓役根役、御給仕根役・御近習支配頭之支配 百五十石
                       
細川斎樹公御書出(文化九年)百五十石

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■宜紀公御續

2021-07-03 06:55:05 | 史料

                                               

 本源院様方とあるが「本源院」とは、細川綱利室のことである。

松平讃岐守 源少将頼重養女、実ハ水戸中納言頼房息女・久 正保元年申申出生、延宝三年乙卯二月廿日 江戸ニテ卒去、年三十ニ、
法号本源院梅渓妙香、東海寺中妙解院ニ葬ル

 宜紀は綱利の弟・利重(新田藩初代藩主)の二男で、綱利が跡を継ぐべき男子二人を亡くしたため養嗣子となった。
宜紀からすると本源院は義伯母であり養母ということになる。
以下に「両敬様」として並ぶ御歴々は「本源院」に連なる、水戸中納言家・讃岐松平家の方々である。


        ・御従弟分  水戸中納言綱條様       
        ・御叔母分  鷹司前関白兼熈様ノ御政所様
        ・御従弟分  松平讃岐守頼豊
        ・同     松平大学頭頼貞
        ・同     松平筑後守頼道
        ・同        松平加賀守綱紀
        ・御従弟違分  中納言様御嫡
               水戸宰相様          徳川 吉孚か24歳で死去
        ・同      松平加賀様御嫡
               松平丹波様          嫡子なれど廃嫡さる。松平頼尚(従四位下丹波守)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする