津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■熊本城・行幸坂のこと

2021-07-17 11:43:51 | 熊本地震

 昨日の熊本のメディアは、熊本地震で被害を受けた行幸坂の復旧に際し現れた旧南坂の跡が、メディア公開されたことを報じていた。
行幸坂を元・南坂という人や文献などを見受けるが、私は別物だと解釈している。
行幸坂は明治末期に明治天皇の行幸の際に乗り物が緩やかに登れるようにと、南坂の脇に新たに作られた坂である。
右手は空堀りになっており、かっての南坂には南門の石垣の脇には本丸側に回り込めないように塀が設けられていた。
行幸坂は南坂を若干削って南門の脇塀を壊して直進することになるが、それだけでは幅が確保されないため、一部空堀を埋めなければできなかったろうと考える。
緩やかな坂道(行幸坂)にするために、南門石垣東側の足元は覆土が削られたのではないか?(現在ではコンクリートで固められているかもしれないが・・・)

 話が遠回りしたが、今回現れた南坂であったとされる遺構は数十センチ切り取られた跡ということだろう。
TVで見る限りかなり厚めの盤築であったように思えるが、一日でも一般市民も見学出来たらよかったのに・・・
空堀側に亀裂が見られたコンクリート歩道(巾1.8m)は、遺構を残すためにずいぶん厚く大きなコンクリート板を敷きこむらしい。
使用開始は秋になるらしいが、来年の桜の時期には間に合った。
大小天守は出来上がって見学が可能になったが、肝心の行幸坂が開通すればまた人の動きも活発になる事だろう。

 

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■解説‐有吉家文書「年中行事抜粋」(八)同時習館江御入之式 - 2

2021-07-17 07:26:23 | 有吉家文書
      同(御着座後)時習館江御入之式・2

一、夫より諸師役被召出候間御座所南側二枚御襖取除ニ相成此儀ニ不拘致座着候上ニて講堂之内ニ入左之御襖より一間之
  程を左後ニ取東北之隅向座着例之御座所江御出坐之時平伏夫より頭を上居候得ハ左之通何連も出タ歟

    右之通被遊御意候間御取合左之通御意之趣何レも難有仕合ニ奉存候右之通御前之方ニ東向申上平伏仕候得者御襖立候
  間元之座ニ下り候且又見習之人ハ初坐着之侭堂中江者不進平伏等之様子同席ニ応可申事
  夫より諸師役(教師)召し出され、御座所南側の二枚御襖を取除かれ、此に拘わらず座着いたし上にて講堂の内に入り、左の御襖より一間程を
   左後に取り、東北の隅に向座着、例の御座所へ御出坐の時平伏、夫より頭を上げ居れば左之通何連も出タ(?)歟

      この通り御意あそばされるので御取合左の通、御意の趣何れも有り難き仕合に存じ、右の通り御前の方に東向き申上げ平伏すれば、御襖立の間元
   の座に
下ること、且又見習(家老の嫡子など)の人は初坐着のまま堂中へは進まず平伏等の様子は同席(家老)に応ず可き事
   但夫より詰間へ罷越候間合無之候尤御用人江懸会御程ニ應可申事
   但夫より詰間へ罷り越し、間合いは無く、尤御用人へ懸会い程に應ず可き事
 付紙
   文化九年御入之節御用人江懸合候處師役中江御意ハ不被下候筈之處其節ハ臨時 思召ニて御意被下候由御定不被下
           候得者何れも被召出難有奉存段御取合申上候右之通候間同十一年御入之節平井典助江懸会候得ハ師役之儀ニ付毎御
   意被下置旨柏原新左衛門奉窺之段典助被申達候間以来其通可心得事

   御奉行学校御目附ハ御前を下諸師役召出之節ハ西外之御入側ニ坐着之事
   文化九年御入の節は、御用人へ懸合いの處、師役中へ御意は下されぬ筈の處、其節は臨時の思し召しにて御意下された由、御定下されず、何
     れも召し出し有難存じ奉る段御取合申上ること、右の通り、同十一年御入の節平井典助へ懸会へば師役(教師)之儀に付毎く御意下され置旨
     柏原新左衛門奉窺の段、典助申達し以来其の通り心得るよう
御奉行・学校御目附は御前を下り、諸師役召出の節は西外の御入側に坐着の事
一、御供宣ク申上之節初之通御居間御縁伝イ御敷出しニ罷出候御縁より被遊御下候節より次第ニ平伏御一ト通御意有之御
       三拝儀御駕之戸立候而頭を上奉見送御小姓頭御用人等一同ニ御辞儀退去詰間へ罷越候事御立役ニ最前ニてハ役方詰間
  へ罷出恐悦被申上候事
  御供宣しく申上の節、初の通り御居間御縁伝いに御敷出しに罷り出、御縁より御下りあそばさる節より、次第に平伏御一通り御意有り御三拝儀
    は御駕の戸が立ちて頭を上げ見送り申し上げ、御小姓頭・御用人等一同に御辞儀し退去、詰間へ罷越す事御立役に最前にては役方詰間へ罷出、
    恐悦
申上られる事
一、此御式之節ハ講尺不被仰付由之事
  この御式の節は講釈は仰付られない事
一、右之通ニて相済御社参被為在候得者御帰殿前御花畑へ出仕之事
  右の通に相済み、御社参されることがあれば、御帰殿の前に御花畑邸へ出仕の事
    但御社参之節ハ当所ニて御長袴被召替と相見候事
    但御社参之節は当所にて御長袴に召替えられると思われる事
一、右之御式相済御帰殿之節ハ平服二て御出迎諸事例之通尤御次ハ麻上下ニて候得共御庭御社参被為在候付而之事之由文
  化十一年六月郡九郎太郎より被申達候事
  右之御式が済み御帰殿の節は平服にて御出迎え、諸事例の通、御次は麻裃で御庭御社参(花畑屋敷内にある御社)されることがあるについて
    は、文化十一年六月郡九郎太郎(眞紹)より申達しされた事

一、今日御帰殿之上為伺御機嫌御備頭御留守居大頭出方有之候此節両御役詰間へ罷出陳行営御備頭銘々より兵粮積り大頭
  連名一同ニ御用番江達有之候尤箱ニ入封印ニて候事
  今日御帰殿の上、御機嫌伺をなし御備頭・御留守居大頭出方が有る。此節両御役は詰間へ罷り出陳行営、御備頭銘々より兵粮積り大頭連名一同
    に御用番へ達が有る。これは箱に入れ封印の事

    但志らへ方出来兼候得ハ其段内意有之追而差上ニ相成候様及差図候事
    但調方出来兼ね、其段内意有り追って差上ニなる様に差図に及ぶ事
一、右者請取佐弐役江相渡置近日中封之侭御直ニ差上候事
        右は請取を佐弐役へ渡し置き、近日中封の侭御直に差上る事

                 (了)

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