昨日の熊本のメディアは、熊本地震で被害を受けた行幸坂の復旧に際し現れた旧南坂の跡が、メディア公開されたことを報じていた。
行幸坂を元・南坂という人や文献などを見受けるが、私は別物だと解釈している。
行幸坂は明治末期に明治天皇の行幸の際に乗り物が緩やかに登れるようにと、南坂の脇に新たに作られた坂である。
右手は空堀りになっており、かっての南坂には南門の石垣の脇には本丸側に回り込めないように塀が設けられていた。
行幸坂は南坂を若干削って南門の脇塀を壊して直進することになるが、それだけでは幅が確保されないため、一部空堀を埋めなければできなかったろうと考える。
緩やかな坂道(行幸坂)にするために、南門石垣東側の足元は覆土が削られたのではないか?(現在ではコンクリートで固められているかもしれないが・・・)
話が遠回りしたが、今回現れた南坂であったとされる遺構は数十センチ切り取られた跡ということだろう。
TVで見る限りかなり厚めの盤築であったように思えるが、一日でも一般市民も見学出来たらよかったのに・・・
空堀側に亀裂が見られたコンクリート歩道(巾1.8m)は、遺構を残すためにずいぶん厚く大きなコンクリート板を敷きこむらしい。
使用開始は秋になるらしいが、来年の桜の時期には間に合った。
大小天守は出来上がって見学が可能になったが、肝心の行幸坂が開通すればまた人の動きも活発になる事だろう。