津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■内容同じ、和装本(昭和11年)と復刻版(昭和48年)二件

2021-07-30 18:07:17 | オークション

 内容は全く同じ「肥後人名辭書・全」が偶然出品されています。和装本は非常に状態もよく値段も安くてお薦めですね。     

細川護立&徳富蘇峰題辞◆肥後人名辞書◆昭11初版本◆肥後国熊本県剣道剣術大力古武道儒者学者文人画家絵師医学者熊本藩和本古書  

             

 

◎肥後人名辞書 全 復刻版 昭和48年 熊本 郷土 史料

             

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■一色軍記(5)

2021-07-30 06:47:03 | 史料

時に同十九日京都の將軍信長公より廻文到来仕候而、明智長岡一色の三家今以て不知の趣將軍聞こしめし
おもはり急ぎ同道にて上京有るべし、もし又上意にそむき上京なきにおゐては大軍差向ちうばつ有るべし
と有によつて三家の騒ぎ大方ならず。中にも一色義俊は籠城の諸將と評定におよばれけるは、所詮當家の
めつぼう此時當れり其故は義俊上京せば是迄の不義をいゝ立午前におひて切腹仰付らるべし、又上京の義
いはひせば明智長岡に大軍差添當城をせむべしとてもひらかぬ運命ならば三家同道と有るを幸、田邊の城
に入込長岡父子に近寄ことのよふすを尋ねるてひにて一刀に打果し父義道の無魂に手向、其後心よく切腹
せんと有けるにぞ。大江杉山初め籠城の面々將軍尊氏當國をたまはり足利御一族の列にて人もしつたる一
色の家名を失ひ候事の淺ましさよ、併義俊公大事にも及たまはゞ三郡の諸將彌心を一つになり吉原越前守
殿を義俊の伯父なり大將として長岡の討手引受いさぎよく討死して名を後代に極むれば義俊此旨尤の存念也と泪
を流し申されける。其後田邊の城へ使を立申入けるは京都御廻文の趣承引に付明廿二日其地迄發向可致候
御同道の用意可被下候と申送まづ入城の供若手をえらみ百五十餘人に定、二番手は夜に入て兵船を調荒須
帯刀に二百七十餘人相添出船すべし、又三番手は高屋駿河守父子松田摂津守に四百餘人随へ向へしと有て
諸將に暇乞の盃を被下、吉原越前守殿へは足利新判官殿より傳はつたる緋おどしの鎧に金ふくりんの軍配
を給はり、大江杉山へは紺糸おどしの鎧に太刀を被下さる。扨又二月廿二日卯上刻岩淵の濱を出船有ける
御頭衆に石川左衛門秀門、同文吾秀澄、金谷藩左衛門詮元、一色宗左衛門範國、蘆屋甚助、金澤彌蔵、大
江彌藤治、須津新蔵、五十河右平太、稲留幸内、楠田裕蔵、星野仙太夫、赤尾九郎五郎、日置小次郎、井
上宇惣太、近藤三十郎、飯田儀左衛門、後藤丈助、後藤新兵衛、石子三之丞、佐野佐吉、伊藤中平次、小
西藤十郎其外若黨足輕百五十餘人小船五艘にて乗出し巳刻下り磯邊山の渚に付く、是より一色宗右衛門上
船して城内へ案内いひ入ける。斯る所に遠見の者より告たりとて長岡の家臣佐方吉右衛門澤村才八麻野吉
左衛門馳走の船に幕打酒肴調へ船中の饗宴大かたならず、福井の山根に船を留て八つ半比迄すゝめける。
其後京橋に着船して兎角する内薄暮に及び夜に入て本丸へ入られけるを佐方吉右衛門が案内して其儘風呂
にすゝめける。湯殿の内へは石川文吾秀澄、近藤三十郎、楠田祐蔵、後藤丈助其外従侍十人足軽一組は裏
手の庭へ廻し心能湯に召れ暫休足有る内初夜の鐘聞えければ、饗應の膳をすゝめ手を替酒をすゝめ密談に
も不及して夜半を過る。石川、金谷若殿原に申けるは此度強とへ召るゝことは三家不和合成るを御とがめ
有ての御事なれば斯御饗應にあづかる事將軍家への申開の種共成べき程の面目ながら大切の供先にて大酒
に及ばれ候ては不心得の至り也急度御たしなみ有て可然と申ける。藤孝父子麻野を以て申されけるは、石
川、金谷の心遣ひさる事に候へ共聟君初て御入の事に候へば當家の悦此上に事なく存るより一統不遠慮に
酒を進め申也。

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