高浜虚子の句に「病人に夾竹桃の赤きこと」という句があるが、病床の虚子にとって暑い夏のこの鮮やかな赤は果たして慰めになったのか、鬱陶しいものであったのか?
こういう綺麗な花を見ると、手折りて花瓶にさして見たいとも思うが、この花は強力な毒性があるのだという。
散歩の途中公園に美しく咲いていたが、遠くから眺めて置くに止めるのがよい。
夾竹桃といえば、森鴎外の「阿部一族」の討ち入りの描写の冒頭に登場する。
文学研究の方々の中では、この事件が起きた時期には、夾竹桃は到来していなかったというのが定説になっているらしい。
寛永十九年四月二十一日は麦秋によくある薄曇りの日であった。
阿部一族の立て籠っている山崎の屋敷に討ち入ろうとして、竹内数馬の手のものは払暁に表門の前に来た。夜通し
鉦太鼓を鳴らしていた屋敷のうちが、今はひっそりとして空家かと思われるほどである。門の扉は鎖してある。
板塀の上に二三尺伸びている夾竹桃の木末には、蜘のいがかかっていて、それに夜露が真珠のように光っている。
燕が一羽どこからか飛んで来て、つと塀のうちに入った。
麦秋と燕と夾竹桃と並べられると、夾竹桃は若干遅いのではないかと思うのだが、花とは書いてないからセーフにしておこう。