津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■大目附という職

2021-07-20 16:11:21 | 歴史

 細川藩において「大目附」という役職が独立するのは、宝暦の改革以降である。
それまでは数人いる用人の分職の一つであった。悉皆用人の専横があって政がゆがめられたが、監察の機能を託された目附がそもそも用人職の分職であったことが不思議に思える。
藩政の改革においては、大目附職は家老・中老・備頭・城代・大奉行につづく重要な役職となった。
これは一人が任命され、役高1,500石・役料米100俵と定められた。この中から大奉行・備頭・中老・家老へと進席する人がでた。
家老には平野新兵衛(天明3年)、朽木多仲(完成6年)、三淵守礼(寛政2年)等3人が見受けられる。

 一方「用人職」は宝暦の改革以降は座班においても役高においても、降格されたことが目に見えている。
それまでは用人から中老職に転じた人が多く見受けられたが、改革以降は政からは完全に外れ、家政職を専らとすることになる。
宝暦以降は転任による際立った進席は見受けられない。大目附が最高位か。

藩政の機構が年を経て改革がくわえられて成熟していくさまが見て取れる。

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■解説・有吉家文書「年中行事抜粋」(十)御出入之式

2021-07-20 08:49:42 | 有吉家文書

■御出入之式

一、御出之節ハ御供廻申上ニ相成候段坊主より知候付、御弓之間南九尺之御入側ニ罷出、東頭ニ座着多門より御入側之出
   口左手之柱を丁口ニ〆坐着、此御入側と申ハ御玄関より一ト続之御入側之事ニて候事
        御出の節は御供廻申上ることに成り、坊主より知せに付、御弓之間南九尺の御入側に罷出、東頭に座着多門より御入側の出口左手の柱を丁口に
   しめ坐着、此御入側とは御玄関より一ト続きの御入側之事である

一、御帰座之節ハ、慶宅坂又船場橋米屋町等之御注進を承右西頭ニ坐着左手之柱を末坐ニ〆坐着之事
  御帰座の節は、慶宅坂又船場橋・米屋町等からの御注進を承り、右西頭に坐着、左手の柱を末坐にしめ坐着の事
    但御近習一手と御小姓組ニ者間合次第致会尺候事
    但御近習一手と御小姓組には間合次第会釈をいたす事
一、御先立左之通
      大先立一御取次 鷹之御間より一御小姓頭 御前之御先一御用人
  御先立は左の通り、大先立一御取次 鷹之御間より一御小姓頭 御前之御先一御用人
     右之通ニ而同席坐着之処無会尺被通候事
  この通にて同席(家老)坐着の処会釈なく通られる事
一、御出入共ニ御先立を見受手を付キ御間近く成平伏致居候得ハ、御一ト通御意被為在候、御帰座之節ハ御跡ニ少シ引下
  り直ニ中柱御間江罷出、例之通奉伺御機嫌候事
  御出入共に御先立を見受て手を付き、御間近くになり平伏していると、一ト通御意なされる、御帰座の節は御跡に少し引き下り、直ニ中柱の御
   間へ罷り出、例の通り御機嫌うかがう事

       但御用人御人少之節ハ不居合儀も有之候、其節ハ暫見合居候得者御用人出方有之候又ハ御用人詰間江参御次小姓
    を以申入候而も宜候事
    但御用人が少い節は居合ぬことも有る、其節は暫く見合せ居れば御用人出方がある、又は御用人詰間へ参り、御次小姓を以て申し入れても
    よい
一、五半時以上之御供揃之節ハ引揚
       五つ半時(9時)以上の御供揃の節は引揚
一、四半時已下之御供揃ニ而終日御留守之節ハ御出前罷出奉窺御機嫌候事
  四つ半時(11時)以下の御供揃では、終日御留守の節は御出前に罷り出て御機嫌うかがいたてまつる事
一、四時御供揃之節ハ御出前出仕御出ニ強而不懸合も不苦候事
  四つ時(10時)御供揃の節は、御出前に出仕し御出に強いて懸合らずも苦しからぬ事
一、四時已上之御供揃ニて終日御留守之節ハ郭茂直ニ政府へ出候事
  四つ時(10時)以上の御供揃にて、終日御留守の節は直に政府へ出る事
一、御帰殿八時過候得ハ滞ニ不及候事
  御帰殿が八つ時(14時)過のときは滞るのは及ばない事
一、御庭口より御出入之節ハ御出迎等無之候事
  御庭口より御出入の節は御出迎等は必要ない事
一、出仕之節御供廻居之時分ハ表御門より詰間之様ニ難罷通候間、裏御玄関又者御次口より上り候茂不苦尤落間之所ハ刀
  遠慮いたし、其外ハ持通候事
  出仕の節、御供廻居る時分は表御門より詰間の様に罷り通り難いので、裏御玄関又は御次口より上ってもよい、尤落間の所は刀遠慮いたし、其
   外は持って通る事

     付札
    四時之御供ニ而終日之御出被為在候節ハ政府詰と嘉永三年御在國之節定候由之事
    四つ時(10時)の御供で終日御出ある節は、政府詰すること、嘉永三年御在國の節定められたる事

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■Norwegion Wood

2021-07-20 07:30:42 | 徒然

 先に文京区目白台(旧・小石川區)の細川邸に関することにふれた。
ここにあった旧・細川侯爵邸は現在は和敬塾本館として知られる。
「ノルウェーの森」を書いた村上春樹が早稲田大学に通う一時期をここで過ごし、作中に引用されている。

 その「ノルウェーの森」という題名はビートルズの割に早い時期の作品である「Norwegion Wood」からきているのは周知の事だが、この曲名の和訳についていろいろ論争されていて非常に面白い。
この曲名の和訳者は、あのバイオリニスト高島ちさ子氏の父で「ビートルズの日本での仕掛人」といわれる音楽プロデュサーの高島弘之氏だと言われている。
シタールという楽器ではないかと思うが、その音色が不思議な雰囲気を漂わせている曲である。

   https://www.youtube.com/watch?v=Y_V6y1ZCg_8
       
 さてその論争とは「Wood」を「森」とするか「木材・家具」とするかという話なのだが、多くの音楽関係者や英語研究者その他が侃々諤々と論争していて非常に興味深い。「森」はWoodsと複数形でなければならいそうだが?
村上春樹は高島弘之が命名した曲名をそのまま使っている。
いろいろ語られているところでは、当初は曲名が違っていたらしくSEX用語が入っていて、少々いかがわしい雰囲気がある。いかにも若者らしい話だ。
主人公が女の子に誘われて訪れた部屋が「ノルウェーの森のようだ」と和訳されている。しかし作詞者はこの部屋を出るときに「放火」をした事に設定していたというから、それじゃあ「木材・家具」だろうという話になる。
英語圏の人たちは、この短い言葉で確実に森か家具か判別がつくのだろうかという不思議がある。
そして論争はこれらの歌詞の背景も含んでのことのなっている。

 こんな論争に対して村上氏はどう思っておられるのか知りたいところだが、何やら語っておられるのかもしれない。
毎年ノーベル賞の時期になると、村上春樹の文学賞が取り沙汰される。今年は果たしてどうであろうか?  

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