津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■陶芸家・辻村史郎氏

2021-07-18 09:53:17 | 徒然

 昨晩はBSプレミアムで「驚き!ニッポンの底力‐建築王国物語2」を見ようとチャンネルを回していたら、BS1スペシャルでは「作る事が生きること‐陶芸家・辻村史郎」をやっていた。
扨どちらを見ようかと悩んだが、私は後者を選択した。
細川護熙様が自らの師匠だとされるのが、この辻村史郎氏だ。
辻村氏は若いころ「死」について思い悩み19歳で禅の道に入られたという。その後美術館で見た茶器に魅せられ陶芸の道に進まれたという。
道を究めた人のなんと柔和で良い面構えか。そして人里離れた山中の自宅+作業場での自然を相手の悠々たる生活ぶりは、まさにいまも禅の道を探求されているのではないか。
ただただ作りつづける、死ぬまで作り続けたいと言われる。

 例えばヤフオクで「細川」と打ち込むと、護熙様の作品がずらりと並んで出てくる。そして高い。
そして護熙様の師匠としてこの辻村史郎氏の作品も顔を出す。これは出品者のテクニックによるもので辻村氏の意とするところではなかろう。
護熙様は氏を「轆轤の指導をうけた」と仰っているが、その師弟関係がどの程度のものかはよく知らない。

 自ら土を掘り、小さな礫や植物の根なども完全に取り出すことなく、曝し練り上げていかれる。
それが器の表面に何とも言えぬ味わいをもたらしている。荒い肌に鉄釉でさっと模様を着けられて、出来上がりを楽しみに待たれる表情が何とも楽しそうで、こちらもほっこりしてくる。

 茶道からはなれて40年ほどになるが、まだ茶器や花器などに興味が残っている。
野の草花が好きなのも、茶道をやった名残だ。辻村先生の茶器を購入して一服のお茶に親しみたいものだと本当に思うが、天下の名人のお作にはなんとも手が届かない。

                 NHKのプロフェッショナルで辻村史朗氏を観た 樹下美術館の辻村作品 ...
                        史郎氏と夫人

 

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■亀さん死して火鉢を残す

2021-07-18 07:50:16 | 歴史

          

 東京・小石川區(現文京区目白台1丁目)高田老松町にあった、細川家の玄関前である。
玄関前に町名の由来となった松が二本(鶴亀の松)が立っている。子供たちがたむろしている通りが現・目白通りであり隔世の感がある。
建物の右手に左へ入る小道が見えるが、これが幽霊坂であろうか?
細川護貞様の御著「怡園随筆 茶・花・史」によると、「鶴亀」のうちの亀の松が大正六年に枯れたとされるから、この写真はそれ以前のものであることが判る。
鶴の松は一度枯れて植え替えられた二代目だそうであり、小さい右手の松がそうであろう。
左手の亀の松が枯れた後は、火鉢に加工されている。「亀さん死して火鉢を残す」である。

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