津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■先行きが怪しいオリンピック

2021-07-23 13:28:22 | 徒然

 オリンピック開会式を前にして、ここ数日間のごたごたはどうしたことだろう。
関係者の過去の発言が白日の下にさらされて、国際的にも恥をかく結果となった。よくぞまあ、これだけの倫理観のない人をかき集めたものである。
組織委員会の力不足が目を覆うばかりで、これは政府が外からコントロールしなければ、近づく選挙にもマイナス材料になるだろう。
自民党大敗するぞ・・・
現組織委会長の力不足もいなめないし、丸川とかいう五輪相も甚だ以て情けない感じである。
そして直前になり森某なる前組織委会長を名誉最高顧問にしようとする動きとか、迷走ぶりがはなはだしい。
加えて参与の夏野剛氏が「アホな国民感情」等発言してあわてて謝ったりとか、脳学者・茂木健一郎氏はこれは確信犯的に謝ることなく「ごちゃごちゃうるさいノイジーマイノリティーの方」発言とか・・・
もう馬鹿々々しくてあきれ果てるばかりである。

 昼の朝日系のTVでは、上空にヘリが待機してブルーインパルスの五つの輪を描くところを撮影していたが、雲が広がり見事失敗、司会の恵氏など頭を抱えているさまが大いにおかしかった。先行きにも暗雲が広がる感じである。

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■確かめねばならぬ真下家の先祖附

2021-07-23 13:05:24 | 先祖附

 「一色軍記」を取り上げるにあたって、引っかかっていることで「真下家」のことがある。
細川家に残る一番古い侍帳「御侍帳并軽輩末々共ニ」に、次のような記録がある。

    乗物かき小者頭
 三百石    丹後   真下七兵衛
     父ハ一色義有  真下梶之助元重

これは七兵衛が父梶之助の子であることをさしているが、その父が一色義有であるともとれる書き方である。
この事がいろんなところにまことしやかに拡散されている。
「先祖附」を確認していないから、これは早々に確認せねばと思っている。

少々こだわっているのは、忠興の側室に真下氏があり岩千代(後の松井寄之)を生んでいる。
光永文熙氏の「平成宇土細川家系譜」においては、一色義有真下梶之助元重女・才とあり、上記の御侍帳の記述には「臣」が脱落していることを伺わせる。これが正解であろうと考えているのだが・・・

そして先にもご紹介したのだが、元和4年(1618)の秋この忠興の側室・才はのちに沼田延元に再嫁している。
いわゆるフリーの身ではなかったらしく、「おさげ渡し」であったようでこのことに延元は「死を賜ってもご辞退したい」としている。
これに対し、忠利が説得に入り「そうであれば自らが介錯しよう」とさえ言っている。(沼田記)
延元はやむなく「才」を受け入れたが、数年後には「才」を残し死去した。
我が子の岩千代(元和3年正月生まれ)は、6歳で松井興長の養嗣子となったが、生母と別れたこの岩千代はその間どのように育てられたのだろうか。養母が忠興側室松の丸(藤)の娘・古保であり、わが手で育てることは叶わなかった。
細川家の歴史にも悲しい話が盛り沢山である。

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■除籍本「丹後資料叢書・第一輯」

2021-07-23 10:10:58 | 書籍・読書

               

 私はメモというものをしない人間で、後悔することが多い。この古い「丹後資料叢書・第一輯」もいつ購入したのかはっきりしない。昭和二年に発行されたもので除籍本である。
バラバラになりかけているので、厚紙でカバーを作って収めているが、久しぶりに取り出してみた。
というのも、中嶋利雄先生の「宮津の歴史散歩‐細川時代の宮津」を読んでいたら、細川家の一色義有誅伐後の幽斎の娘・伊也に関する「一色軍記」のいわれのない記述についての解説があり、改めて目を通したところである。
これはまことに怪しからぬ史料で、中嶋先生同様にこれが大いなる間違いであることをこの機会にお伝えしたいと思ったからである。
明日から数日この「一色軍記」全文をご紹介しようと思っている。
触るたびに手を洗わなければならないような本だが、いまではなかなか手に入れることがむつかしい本だから大切にしている。
熊本県立図書館も所蔵していないようなのでそのうちに寄贈しようかとも思うが、大体が除籍本だから受け入れはしてくれないのではないか・・・?

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