津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■四代目の死ーつづき

2021-07-08 14:03:15 | 人物

 我が家の四代目の死について先にふれたが、我が家に残る先祖附には「病乱ニ而寸七枚仕候事」とあり、永青文庫蔵の先祖附の方は「病乱异死いたし候」とある。
私は「寸七枚仕候」と「病乱异(異)死いたし候」は同義の事であろうと思い込んできた。その記述からすると尋常な死にざまではなかった様に思える。
二つの言葉のまえには、同様に「五十二歳ニ而」と記されていて、二つの先祖附の内容に異同はあまり見られない。

 一つ一つの文字を色々調べていく中で「枚」という字に「ばい= 昔、夜討ちの時などに、声をたてないように口にふくませた道具。(はし)のような形で、横にくわえ、両端に紐をつけて頭上で結ぶ。馬にも用いた。口木。〔易林本節用集(1597)〕」という記述を見つけた。
寸七とは7寸の長さの事であろうか?「病乱異死」したとあることからすると、何やら七転八倒し唸り声をだしていたのかもしれない。异(異)なる文字の意はこの場合、「普通ではない」と解すべきだろう。
病気は長きにわたっていたかもしれない。尋常ではない唸り声に家族は病人に長さ7寸の「ばい」を口に含ませていたのかもしれない。

 さてこれが正解かどうかは知る由もないが、上のように解するとその生涯の最後のありさまが見えてくるような気がする。
例えば癌なども、今日では決して不治の病ではなくなったが、私の友人の話によると父親が胃がんにかかり、最後は苦しみに苦しんで亡くなったという話を聞いた。壮絶という言葉がぴったりするようなことであったらしい。
ましてや江戸中期のことである。治療法もなくただ効き目があるのかどうかも知れない漢方の薬だけが頼みの綱であったのだろう。
家族とて手の施しようもなかったろう。もしこのような手段が行われたとしても、非難することはできない。
家に残された先祖附では最後の模様を、藩庁に提出した鮮度付け先祖附では普通でない死に方で亡くなったとしたのであろうか。

 これが全くの的外れであったならば、これは「赤つ恥」では済まされる話ではなくなってしまうのだが。

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■本来有一物

2021-07-08 09:57:04 | 徒然

 細川護熙様の一行物であったと思うが、「本来有一物」という書がヤフオクに出品されていたことがあった。ここ半年の事だと思う。
禅語に「本来無一物」という言葉があることは知っていたが、この言葉がどこからきたものなのかは知らなかったが記憶に残った。
一昨日、細川護立候が亡くなられた後に出版された「老松町の殿様」という本のページをめくっていたら、なんと護立候の書によるこの五言の一行物が掲載されていた。
日本刀剣協会の関係者に揮毫されたものらしい。
護熙様はこの御祖父さまの五言が頭に残っていらしたのだろう。

何も持たずに無一物で生まれ、また死ぬときもわが身一つの無一物である。
しかしそこには「わが身」が存在している。これが「有一物」なのだろう。「わが身」と一生どう付き合い育てていくのかという大きな課題を人一人ひとりに課されている。
含蓄あることばで、そういう意味合いではないかと、私はとらえているが如何だろうか。

何気に検索していたら、過去護立様のこの書がヤフオクに出品されていたことを知りびっくりしてしまった。
日本刀剣協会の関係者が出品されたらしい。その時知っていれば応札していたかもしれない。

                    

                  ヤフオクから                  「老松町の殿様」から

                        

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