我が家の四代目の死について先にふれたが、我が家に残る先祖附には「病乱ニ而寸七枚仕候事」とあり、永青文庫蔵の先祖附の方は「病乱异死いたし候」とある。
私は「寸七枚仕候」と「病乱异(異)死いたし候」は同義の事であろうと思い込んできた。その記述からすると尋常な死にざまではなかった様に思える。
二つの言葉のまえには、同様に「五十二歳ニ而」と記されていて、二つの先祖附の内容に異同はあまり見られない。
一つ一つの文字を色々調べていく中で「枚」という字に「ばい= 昔、夜討ちの時などに、声をたてないように口にふくませた道具。箸(はし)のような形で、横にくわえ、両端に紐をつけて頭上で結ぶ。馬にも用いた。口木。〔易林本節用集(1597)〕」という記述を見つけた。
寸七とは7寸の長さの事であろうか?「病乱異死」したとあることからすると、何やら七転八倒し唸り声をだしていたのかもしれない。异(異)なる文字の意はこの場合、「普通ではない」と解すべきだろう。
病気は長きにわたっていたかもしれない。尋常ではない唸り声に家族は病人に長さ7寸の「ばい」を口に含ませていたのかもしれない。
さてこれが正解かどうかは知る由もないが、上のように解するとその生涯の最後のありさまが見えてくるような気がする。
例えば癌なども、今日では決して不治の病ではなくなったが、私の友人の話によると父親が胃がんにかかり、最後は苦しみに苦しんで亡くなったという話を聞いた。壮絶という言葉がぴったりするようなことであったらしい。
ましてや江戸中期のことである。治療法もなくただ効き目があるのかどうかも知れない漢方の薬だけが頼みの綱であったのだろう。
家族とて手の施しようもなかったろう。もしこのような手段が行われたとしても、非難することはできない。
家に残された先祖附では最後の模様を、藩庁に提出した鮮度付け先祖附では普通でない死に方で亡くなったとしたのであろうか。
これが全くの的外れであったならば、これは「赤つ恥」では済まされる話ではなくなってしまうのだが。