先に注文した「全国かくれキリシタン研究会会報・第29号」を早々にお送りいただいた。4日の夕方に注文してわずか2日である。
早々に目次を開くと、お送りいただいたご本人・安東邦昭会長の「豊前国細川藩におけるキリシタン禁教政策の展開」24頁、久保田典彦氏の「細川ガラシャの愛と死と」7頁、それにお目当ての高田重孝氏の「細川興秋生存説-400年目の真実」36頁、それに地元天草の中村社綱氏の特別寄稿「長岡興秋の生涯とその心」7頁と、細川家関係の記事が全11件の記事の内4件を占めている。
そして高田重孝氏の新刊の情報なども知ることが出来て、大いに満足している。
さて、元和元年大坂陣後、伏見の東林院で切腹したとされるが(綿考輯録など)、実はその7年後、細川内記(忠利)が長岡与五郎(細川興秋)に宛てた書状が出現した。熊本県立美術館所蔵の「後藤是山コレクション」の書状である。
これは先にご紹介した「高山右近研究室」のブログですでに公開してあるが、当方でも改めて以下の如く引用ご紹介して置く。
そして改めて氏の情熱をこめてこの真実にたどり着かれた熱意に改めて敬意を表したい。新たに発刊される本は「細川興秋の真実」という名前であることが判明した。発刊を首を長くして待ちたいと思う。
元和7年 (1621) 5月21日付 細川与五郎(興秋)宛 細川内記(忠利)書状
(本文) (意訳:高田重孝氏)
一筆申候。 一筆申し上げます。
然者其方 肢煩候処、 あなたが、手足を患っていたところ、
与安法印 療治候て 本復之由、 与安法印が療治して 回復したことは、
一段之事候。 一段と喜ばしいことです。
然者 湯治候て、可整之由、 さらに 湯治をして、体を整えてください。
法印も御申候。 通尤候。 法印も そう申しており、もっとものことと思います。
更に、三斎様 我等も 在国にて、 更に、三斎様 も私も、在国 ( 豊前 ) にいて、
其元 人質ニ有之者候と あなたは人質で有る者として、
心侭ニ 湯治させ申度とハ 難成事候間、 心易く湯治をさせてあげることは 難しい事ですので、
半左衛門尉と申合、 半左衛門と申し合わせて、
伊喜助殿へ相談候而、 伊喜助殿 ( 伊豆野喜助 ) へ相談してください。
兎角、喜助殿之次第ニ仕 可然候。 とにかく、喜助殿の考え次第です。
此方、相易、事も無之候間、可心易候。 私の方は何事もないので、ご安心ください。
我等も 六月廿一日ニ 小倉へ移り申筈候。 私も、六月二十一日に、小倉へ移る予定です。
尚、近日 可期申候。 謹厳。 尚、近日、書いてお知らせします。 謹言。
己上。 以上。
又 申候。 追伸ですが、
法印へも、其方 煩候様を 被入候事、 法印へも、あなたの煩いを治療して頂いたことに
於礼にて、書状遣申候。 以上。 御礼状を遣わします。 以上。
内記 (以下略)
五月廿一日 ( 花押 )
長岡与五郎殿