津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■コロナの広がりの中・・映画鑑賞

2022-01-08 17:38:20 | 徒然

 一か月以上0が続いていた熊本のコロナ感染者数、5日が4人、6日が24人、7日が31人と広がりを見せています。
地方ながらもちゃんと半数位はオミクロン株が広がっています。
首都圏や沖縄の広がり方は尋常ではない感じがしますし、三県には蔓延防止措置が発出されるなど第6波が到来したようです。

    そんな中ですが、今日は前売り券を購入した映画「われ弱ければ‐矢嶋楫子伝」を鑑賞に出かけました。
多くの人がお出でになるだろうと、少々おっかない気もしながら、万全の態勢で臨みました。
なにしろ、郷土が生んだ賢夫人の矢嶋楫子が主人公のお話で、全国のトップを切ってのご当地上映ですから、これは見逃すわけには参りません。
会場に入りましたら長蛇の列、主催者も驚かれたらしく臨時の席も30~40席設けられるという有様で、開演も少々遅れました。

私はちょうど中央の前から5~6列目の席を陣取りました。お目当ては主演の常盤貴子さんのご挨拶です。
さすがに女優さん真っ赤なワンピースでお出まし、周りの女性たちが大歓声です。

                   

 映画もなかなかのものでした。三浦綾子さんの原作に大変に忠実に構成されていました。
原作を読まれた方がどのくらいいらっしゃったかわかりませんが、読んでおいてよかったな~と実感しました。
そしてそれぞれの出演者の選択と好演が見事としかないと、92歳の山田火砂子監督の眼力に敬意を表したいと思いました。
渡辺いつけいさんや星田英利さん(ほっしゃん)の場面は違えどの酒乱ぶり、森三中の怪演技などなどです。

徳富蘆花はこの矢嶋楫子が不義の子を産んだことに激しい詰問をしたとされます。それは終生の思いだったようですが、楫子の世界的といって良い名声と活動に対する嫉妬があったのだろうと言われます。
改めてこの大偉人を熊本が生んだということを誇りとしなければならないと思ったことでした。

 見事に楫子を演じられた常盤貴子さん・・・お美しい女優さんでした。

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■川田順著・細川幽齋「歌仙幽齋」 選評(二十八-了)

2022-01-08 07:31:14 | 書籍・読書

      「歌仙幽齋」 選評(二十八-了)

・さすがまた小田守る賤も鹿のねの遠ざかるをば慕ひてや聞く

 この歌、衆妙集には漏れて居るも、後水尾院御撰集外三十六歌仙に採らる。鹿は田
                                                                                        ひた
圃を荒らすものとして、百姓はこれを防ぐために或は引板を設けておどろかし、或は
小屋を作つて夜中不寝の番さへする。さやうに厄介な動物だけれども、秋ふけ冬に近
づき、漸く鹿の鳴く聲も山の方へと遠ざかり、終には全く鳴かなくなつてしまふ時分
には、百姓といへども何となく名殘を惜み、却而その微かなる聲を慕うて聽くことも
あるのではないか、と歌人の幽齋想ひやつたのである。實際は、そんな風流な百姓は
居るまい。幽齋が百姓になつてゐるのだ、西行

 小山田の庵ちかく鳴く鹿のねに驚かされておどろかすかな

は事實のままの歌であるが、平安時代以降、大宮人の好みで、百姓でも、漁師でも、
炭燒く男でも、擣衣する女でも、皆風流の「心あるもの」と想像して、そのやうに
歌つた。ほんの一例だが、宮内卿局、(後鳥羽院の官女源師光の女)

 心ある雄島のあまの袂かな月やどれとはぬれぬものから

「心ある人」は實は雄島の海人ではなく、宮内卿局みづからなのだ。人間は悉く風流な
ものと前提するのが、中世以降の歌人達の定石であつた。

 

・筒井筒いつつに割れし井戸茶碗とがをばわれのおひにけらしな

                陶製茶碗 重要文化財  昭和25年8月29日指定 金沢市・個人蔵

 醒睡笑巻之八「茶の湯」の條に出。朝鮮古陶の名物井戸茶碗を某大名所持すと聞            
き、幽齋一見を希望し訪問したが、小姓の粗忽で取落し、五つに割れてしまつた。幽
齋氣の毒におもひ、右即興一首を示すと、大名の心やはらぎ、小姓も手討を免れたと
云。伊勢物語の、

 筒井筒ゐづつにかけしまろがたけ老いにけらしないも見ざるまに

を頗る上手に踏まへて、上品至極の誹諧歌としたのだ。第四句、本によつては「とが
をばわれが」「とがをば吾が身」などと傳へてゐるが、共に悪い。第五句「おひにけら
しな」は負ひにけらしなの意で、假名遣は「おひ」であり、伊勢の本歌は「老いにけ
らしなで「おい」であるが、幽齋は單に字音を取つたもので、假名の相違などは問題
ではない。この即興歌の挿話が餘り面白く出來てゐるので、筆者は、實は江戸好事家
のつくり話かとぐらゐ考へてゐたのであつたが、先年偶然の機會で此の名物を一見
し、まさしく高臺まで、五つに割れ、「筒井筒」といふ銘の國寶になつてゐたのに驚
いた。みだりに史談の眞僞を論ずるものでない。

                (了)

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