津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■硬貨どうしてらっしゃいますか

2022-01-24 10:59:30 | 些事奏論

 先日郵貯銀行が硬貨の交換の有料化を発表した。
これを受けて奥方は駆け込みで、500円玉貯金を定期に入金しようと銀行に出かけたが、限の良い金額にしたのでまだ数十枚の硬貨が残っている。
500円硬貨であればまだ厭な顔をされることもなく使用できるが、一昨日スーパーに買い物に出かけた奥方は、財布の小銭をへらそうと端の9円までそろえて、自動精算口に投入した所エラーがでたそうな。
何やら音がなり店員が駆け付けたという。「一円玉・五円玉の投入はお断りしています」というのだ。
もう一つ奥方情報によると、某スーパーではこの際小銭を使い切ろうと、多くの客が小銭を持ち込み支払いに使ったため、夕方には機械に不具合が出たらしいことであった。
膨大にたまった小銭はスーパーにとっても頭が痛いことだろう。
消費者は小銭が使えないとなると仕方なく桁上の硬貨を投入することになる。当然ながらそのおつりに小銭硬貨が出てくることになる。
少額硬貨は消費者に押し付けようということになる。

 その内には1円玉、5円玉は製造コストの上でも赤字らしいから、これをなくすべく消費税をすべて10%にしようという極端な話が出る可能性もありうる。
キャッシュレス決済という世界へ誘導されていく感が強くなってきた。
街頭募金や神社さんや、□□時間TVに寄せられる子供さんたちが集めて寄付される浄財など、この後どうなっていくのだろうか。

「些事奏論」というカテゴリーでこの記事を記したが、これは些事とは出来ない一大事であろう。国会などで議論されるべき問題ではないのか・・・

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■側室がいなかったという御二方・・?

2022-01-24 08:15:24 | 歴史

 細川護貞さまの御著「魚雁集」を読むと、細川家歴代の中で幽齋(藤孝)と宗孝には側室がいなかったとされる。
最近では他家の史料から、幽齋女で日出藩主・木下右衛門太夫延俊室である加賀が伊丹氏・加藤重徳妹が生母であることが判ってきた。
この伊丹氏系図を見ると、やはり伊丹氏である郡主馬首宗保の女が忠興の側室・藤(松の丸殿)であることが判る。
郡宗保の妹が伯父・加藤重徳に嫁いでいる。
重徳の娘婿に黒田蔵人や薮内匠などの細川家重臣が居り、細川家と加藤(重篤)家とのかかわりの深さが見て取れる。

 一方、宗孝だが、こちらは若くして(32歳)江戸城中で不慮の事件で死去するが子女がなく、護貞さまは「側室はいない」とされている。
宗孝夫人は紀伊大納言宗直女である。
父・宜紀は綱利の養嗣子となる前に四人の子女をなし、宗家養子となってから十七人の子女をなした。藩財政の悪化の原因でもある。
宗孝に子女がなく、重賢が急養子となったが、こちらは三人の側室が三人の男子を設けた。父・宜紀を反面教師として慎み深いように思える。

 忠興は最晩年、二人の女子をなしているが、この生母は「側室」としての取り扱いはうけておらず、その女子はすぐさま里子に出している。
綿考輯録に紙面を割いて記載されているが、さすがに忠興も恥ずかしかったらしく、二人の処分は家臣に委ね、密かに行わしめた。

 随分以前「細川家には隠し子はいないのか」という質問を受けたことがあるが、この二人の他にはないように思う。
側室がいなかったのは、宗孝一人である。

コメント (1)
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