「吉利」・・誰? そう思われる方が多いと思うが、綱利の御二男である。嫡男與一郎14歳、二男吉利18歳、綱利公の悲嘆の程がうかがえる。
熊本市横手の妙解寺の御成り道に沿うように妙立寺というお寺がある。
私は以前、このお寺の古文書を読んだことがあるが、この吉利が参詣の為の小さな部屋を寄進していたことが記されたいて驚いたことであった。
そしてお寺の片隅に、生母・仁田氏の一族のものと思われるお墓がある事を知った。この生母は三歳年上の嫡男・與一郎も生んでいる。
二人とも江戸で生まれ、仁田氏は江戸で亡くなっているから、ずっと江戸住まいであったと思われる。
ところが、地元では、綱利が花畑邸から舟でお忍びで通ったという話がある。それも妙立寺ではないかという話なのだ。
先に、ここ妙立寺からクルスが刻まれた立派なお位牌が現れた。クルスは胡粉で隠すように固められていたという。
新聞紙でくるまれて秘するようにされていたといい、ご住職もその存在を御存知なかった。
このお位牌の主は誰なのかをお尋ね頂いたが、その法号や没年月日からすると、細川家関係者に該当する人物が浮かばない。
他にも忠利公そのたのお位牌があるようで、綱利・吉利がお参りに来たのであろうか。
今年はお正月から、加賀山隼人とか小笠原玄也その他キリシタンがらみのことで毎日をすごしている。
そして妙立寺さまは現在山門の建て替えが行われている。落慶が真近である。