80歳2日目、9時すぎ朝散歩に出る。歩きながら参勤交代の事を考えていた。
参勤交代の一日の距離は8~10里(32~40㌔)だとされる。これをほぼ一里1時間で歩いたというが、小休みなどを考えるとはたしてどのくらいのスピードで歩いたのだろうか?
例えば「松井章之の江戸旅行記」(八代古文書の会叢書・第八集)を読むと、章之の天保12年の江戸参府に於いては、4月10日熊本を六つ時(6時)に出立して、内牧に夜五つ時(8時)に着いている。少々雨模様であったようで14時間の強行軍である。
いやはや、昔の人たちの体力には畏れ入る。
鶴崎路(豊後街道)に於ける熊本札辻から内牧までは「八里十六丁」とあるから約33㌔程だが、これは少々時間がかかりすぎている。
33㌔を8時間、小休みを入れて実質7時間で歩いたとして、4.7㌔/hということになる。
私は今朝5.2㌔を1時間で歩いたが、もう少しゆっくりしたスピードであるが、これで8時間歩くのかと思うと、ぞっとする。
コロナのせいでここ1~2年中止されているようだが、夏休みの時期小学生の参勤交代の催しがある。熊本から大分まで歩くというイベントだ。
参加した子供たちは、数日間歩きとおして大いに得るものがあるようだ。コロナが終息してこのイベントがまた再開されることを望みたい。
爺様は精々一日4㌔を目標に歩きとおしたいと思っている。
「熊本~大津~阿蘇を経て、大分の久住~野津原~鶴崎港に達し、距離は約122㎞。鶴崎港からは瀬戸内海航路~東海道~江戸となり、約1,025㎞」
江戸は遠い・・・一日4㌔でも今年中にはたどり着くことが出来そうだ。
昨日触れた、三斎の後藤又一郎の音信物に対する礼状である。以前ヤフオクで見かけたが、100,000円で落札されていた。
明らかに三斎の書いたものではない。三斎は目を悪くしていた時期がながく、祐筆の手によるものが多い。
それからもだいたいの時期が推測されるという。それゆえ花押が書かれていないのかと思ったが、それなら印(例えばローマ字印)があっても良かろうにと思った事だった。
よく似たものが早稲田大学にあった。よく確認もせず上の書状の「本物」かと思ったが、うっかり爺様の間違いでまったくの別物だった。
こちらは「宗立」とのみありローマ字印が押されている。どうやら違う人物(祐筆)の筆によるものらしい。
又一郎は父・後藤又兵衛が忠興に預け、田邉城で育てられたという。二人の深い交流がこういった音信で伺える。
ちなみに忠興が三斎宗立と号したのは、元和六年十二月の事だとされる。