九州でコロナ大流行の兆しです。5日の熊本に於けるコロナ感染者は6,615人と3日の約3倍増と急拡大しました。
私は後遺症の肩痛が未だ完全には治らず、4回目の注射も怖くて控えている処ですが・・・どうしたものか困ったものです。
朝散歩などはマスクなしで出かけていますが、皆さん律儀というか多くの皆さんがマスク掛けをされています。
明日からは私もマスク掛けを励行したいと思います。多くの皆さんがお正月は里帰りされたでしょうから、予想は出来ましたが余りの急増に驚きです。
図書館に出かけたいのですが、少々考え込んでいます。皆様もお気をつけてお過ごしください。
(加賀山隼人正興良)其次ハ加賀山源左衛門正房トテ (南東18-22)加々山権十家の祖
是モ初ハ高山右近長房ニ仕後筑前中納言秀秋卿ノ内
ニモ居タリシガ慶長五年ヨリ御當家ニハ仕奉リヌ 又三男ハ加賀
山金左衛門之久肥後国ニ下リ宇土城主小西摂津守行長ノ
家ニ仕其子太郎兵衛之成ハ筑後国柳川ノ城主田中筑後守
忠政カ家ニ仕其後加藤肥後守忠広殿ノ家ニ在シカ彼御
家御改易ノ後御當家ニハ召出サレヌ 主殿盛久ハ後ニ出
家入道シテ名モ東雲ト改穪シ古曽部村ニ象王山
伊勢寺トテ禪寺ノ有ケルニ住職シテ身マカリヌ
加賀山乾性寺 法華宗古曽部村加賀山ニ在リ
象王山伊勢寺 歌人伊勢ノ御ノ住シ所此地ニテ終
レリト云 因テ後世寺トナス 伊勢ノ墓所寺
内ニアリ 伊勢ノ愛セラレシ名木遅櫻アリ
伊勢
見る人もなき山里の桜花 餘所の散なん後に咲まし
伊勢寺所持什宝
伊勢画像 同鏡 同硯
能因法印画像 伊勢寺記二軸 深草元政筆
元治二乙丑年三月十二日游時當住千岩周永ゟ見スル
(5に続く)
熊本市東区戸島にある放牛石仏‐95体
「放牛石仏を守る会」では、現存する石仏に彫り込まれた文字が、「放牛さん一人の筆か、いやそうではないだろう」という説で議論が行われていると前会長Nさんが仰っている。
11月の史談会例会時「どう思いますか」と分厚い資料を見せられた。
そこで、全ての石仏の写真が200枚ほど撮影されていたA3判にコピーされている資料をお預かりした。
そのすべてをA4判でスキャンした。そしてそこにある文字を切り抜き、各体ごとに並べて比較してみることにした。
総数118体と言われる石仏は、享保7年(1722)から同17年(1732)にかけて作られている。
10年の間の文字の変化は余り見えず、並べてみるとどうも同一人の筆と考えるのが妥当なように想える。全く他人の筆と思われるようなものは見いだせない。
石仏そのものは地蔵であったり阿弥陀様であったり多様で、地蔵だけを取り上げてもお顔が随分異なるから、石工が変わっていることは間違いなかろう。
しかし、後背や台座に刻まれた文字は、放牛さんが筆を執り指示したものが刻まれたと考えるのが妥当のようだ。
余りに數が多いためまだ完了したわけではないが、暮れからお正月にかけてこんな作業を続けている。
史談会の1月例会(21日)にはN氏にこの成果をお届けしようと頑張っている。