こちらもヤフオクに出品されている物。大坂中の島の「蔵屋敷」の図だが、左端っこに細川家蔵屋敷の書き込みがあった。
この図の主役は「安志藩」着色された部分。右上には小倉御屋舗の書き込みが有る。
安志藩とは、忠利室・保壽院の長兄・小笠原忠脩を祖とするが、忠脩が父・小笠原秀政と共に戦死したため嫡子の長次は忠脩の弟・忠真に
育てられたため、小笠原本家は忠真が継ぐことになり、細川忠興の跡を受けて小倉藩主となった。
つまりこの地区は、小笠原一族の集まりを物語っている。興味深い。
以前ご紹介した大坂中の島の「蔵屋敷配置図」を示しておく。
上の図とは方位が上下逆さまになっているし、若干の食い違いがあるのは二つの絵図の時代の相違か?
ここでは安志藩の蔵屋敷は塩屋六ヱ門町の右手に見える。細川藩は小倉屋仁兵衛町の下に当たる。
尚、細川家蔵屋敷の図については大阪蔵屋敷-2をご覧いただきたい。