津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■宮本武蔵が彫った? 熊本市の「座禅石」にあった地蔵尊、鎌倉市で発見

2023-01-06 10:04:00 | 新聞

 宮本武蔵が彫った? 熊本市の「座禅石」にあった地蔵尊、鎌倉市で発見  

        鎌倉市で見つかった宮本武蔵が彫ったと伝わる地蔵尊(金子家敏さん提供)

 剣豪・宮本武蔵が座禅を組んでいたと伝わる谷尾崎梅林公園(熊本市西区)の「座禅石」の傍らにあり、武蔵が彫ったとされる石製の地蔵尊が、神奈川県鎌倉市で見つかった。長く所在が分からなかったため、武蔵を研究する福田正秀さん(74)=山鹿市=は「巨石の上に座禅する武蔵や、地蔵尊を刻む姿をほうふつとさせる発見だ」と語る。

 座禅石は公園の西側斜面にある自然石で、平たくなった部分は2畳ほどの広さがある。その近くに座禅石の一部を削って武蔵が彫ったと伝わる地蔵尊があり、新熊本市史(1996年発行)には、「明治の頃、この石(座禅石)の前で発見され今は鎌倉にあるという」と記されている。

 今回見つかった地蔵尊は高さ約8センチで、所有者は武田流弓馬道司家の金子家敏さん(神奈川県鎌倉市)。金子さんの家には代々、熊本藩の竹原家から弓馬の故実書なども伝わっている。地蔵尊を収めた厨子[ずし]の箱書きによると、金子家が1961年に「秋山太郎繁治」と名乗る旧幕臣から地蔵尊を受け取ったとみられる。

 地蔵尊を撮影した写真は、谷尾崎の歴史をまとめた公民館の冊子(1985年発行)にも掲載されており、金子さんが持っている地蔵尊と同一のものと福田さんが確認した。

 福田さんは「あくまで言い伝えなので、本当に武蔵がこの地蔵尊を彫ったという確証はないが、座禅石が身近にある地元の人たちにとってもうれしい発見だろう」と話している。(園田琢磨)

      
   宮本武蔵が座禅を組んでいたと伝わる座禅石の         公民館が1985年に発行した冊子に掲載
   前に立つ福田正秀さん。
この石の前に地蔵尊が         されている地蔵尊(福田正秀さん提供)
   あったという=熊本市西区の谷尾崎梅林公園

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    追記:熊本史談会では本年5月の後援会に福田正秀先生をお招きして「宮本武蔵」についてのお話をお伺いする。
      この記事を含め先生の留まるところを知らぬ新たなお話がお聞きできるものと「期待大」である。

 

 
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■芭蕉庵やら神田上水やら

2023-01-06 06:58:06 | 地図散歩

 昨日は夕刻から嵐山光三郎の一連の「芭蕉」物を取り出して読んでいる。
         芭蕉の誘惑芭蕉紀行悪党芭蕉芭蕉という修羅etc.
嵐山は「中学3年生の国語の授業で暗誦させられた「奥の細道」にあてられて、日光、白河へとひとり旅を決行。大学時代に「細道」の全行程を踏破した。」という強者だ。
嵐山の芭蕉に対する人物評は、いわゆる「俳諧」の研究者とは一線を画して裏話が多くて私はこんな話が大好きだ。
芭蕉の事を「幕府の隠密」とか「水道工事監督」とか「イベントプロデュサー」とかいいながら、一方では研究者の間ではタブー視されている禁断の「衆道(男色)」なども平気で取り上げている。
そんな縦横無尽な筆致が何とも愉快である。

 読む進むうちに「芭蕉庵」とか「神田用水・目白下大洗堰」などが登場するに及んで、それぞれが現在の永青文庫に極近い場所だと思い至ったが、例えば「芭蕉庵」が一体何なのかには今迄あまり興味もなく過ごしてきた。
芭蕉と併せてこれらも極めてみたいと考えて居る。

           目白下 大洗堰

    関口芭蕉庵入口 ウイキペディアから                 目白下 大洗堰 [原色再現江戸名所図会、新人物往来社]
           

コメント (2)
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