津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■水が出ないというアクシデント

2023-07-03 07:26:03 | 徒然

 日が変わる頃から猛烈な雷鳴と雨が続きましたが、空が明るくなる時期ようやく雷鳴もやみ雨も小康状態になりました。
処が断水と言う思いがけないアクシデントに襲われました。停電はしていないにもかかわらず、揚水ポンプのブレーカーが落ちているのでしょうが、このマンションでは一番の新参者ですからよく事態が呑み込めません。
周辺を見回すとどうやら町全体が停電しているようです。わがマンションは発電機が動いているのかもしれません。

先住の人たちが三々五々集まっておられますが、お任せするしかありません。
考えて見れば、アクシデント時の連絡方法などを聞いていないことに気付きました。
平常の不動産屋さんへの連絡可能な時間まであと二時間ほど待たなければならないのでしょうか。
同フロアの方がコンビニに水を買いに行くと云われお声掛けしていただき、お願いすることにしました。有難い事です。

 涸川の健軍川はまだ安全な状態ですが、小さな河川ですから先のような雨が降ると一番低いやや下流部ではあと1mほどの余裕しかなく越水する恐れもあります。
線状降水帯がかかっていて、今後も多量の降雨の警報がでましたが、市内全域の状態がよく判らないでいます。
穏やかな六月の雨とは打って変わった状態です。

 又、雨が降り出しました・・・・

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■細川慶順の嫁問題「細川・久我・一條家の関り」

2023-07-03 06:42:29 | 歴史

 白杉少一家(南東50-10)の5代目・専九郎については 細川斎護公御書出(弘化四年)に、「四百五十石 京都留守居定詰」とある。
当時の京都留守居は、後年のように政局に多分に関わるというようなことはなく、買物方や細川家の縁戚に当たる公家衆(久我家・一條家)との窓口的意味合いが深かったように思われる。
この白杉専九郎はその後、「御前様付」と言う役に付いている。
これは専九郎が、細川慶順(韶邦)の結婚に関わったことによるものだと考えられる。
慶順の正室は一条忠香の養女(三条実萬女=実美妹)の峯姫である。
そんな三条家女を一条家の養女となして慶順の正室に迎えようという動きが起きた。そもそもどういう発想からそういう事になったのはうかがい知れないが、江戸表からそのような指示が白杉専九郎にもたらされた。
細川家縁戚である公卿衆とは、日ごろの出入りもあり専九郎は先ず「久我大納言」に取り入っている。
当時の久我家当主は久我建通、細川重賢夫人・由婦姫が久我通名女であり、建通はその四代の孫にあたる。そしてその実父は一条忠良・生母は細川齊茲女・冨子である。
そして峯姫の養父一条忠香は忠良の異腹の子であり、久我建通は異腹兄になる。
非常に複雑な関係だが細川家とは濃い血でつながっていることが判る。そんなことは百も承知であったろう専九郎が久我建通を説き伏せ又一条家にも別して説得を試みて、三条實万女・峯姫を一条家の養女と為して慶順の正室として迎えることに成功するのである。
京都留守居という役職がこのような、大変重要な案件を一任せられていることに驚かされるが、その期待に応える実力を備えていた。
一条家の三人の姫君は、長女・美子姫が明治天皇妃、二女・三賀子姫が徳川将軍慶喜の正室、三女・峯姫が細川慶順の室であり、そういう女系のつながりから幕末・明治の政変を眺めると又興味深いものがある。
少々、白杉家から脱線してしまったが・・・・・

そして細川・久我・一条家の関係略系図を書こうと思ったが、複雑すぎて難儀している。      

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