津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■お出かけは取りやめ・・

2023-07-27 17:38:08 | 徒然

 今晩は熊本史談会の会員M氏が出演されているという映画を鑑賞する予定だった。19時半の開演である。
         千年映画祭「密室」
夕方5時過ぎ雷と共に猛烈な夕立である。瞬く間に水無川の水位があがり濁流になり始めた。
こりゃ~バス停に行くまでにびしょぬれになるぞと思いながら、M氏から送られてきたパンフを再確認してみる。
なんと・・29日とある。エッと思いカレンダーを確認すると今日は27日、ああ間違っていた。
そろそろ出かける準備をしようかと思った時のことで、一人で笑ってしまった。
数日前から27日は夕食はいらないと奥方に言っていたから、慌てて報告、すっかり馬鹿にされてしまった。
「お茶漬けでもいいよ」と言ったことである。それにしても確認してよかった。
熊本駅前の新都心プラザで右往左往して挙句がっくりするところだった。

最近どうも右目がおかしい。視野の下のあたりが雲がかかったようになる。白内障かもしれないなと思ったりして眼科検診を受けようと考えているが、29日を27日と見間違えたのはそのせいかもしれない・・としておく。
雨のお陰で外気温が5・6度以上確実に落ちたようだ。

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■「ゐ」「ゑ」と言う文字

2023-07-27 10:38:54 | 徒然

 古文書を読んでいると「ゐ」「ゑ」と言う文字が結構登場する。

 私が子供の頃だって「ゐ」とか「ゑ」とか言う文字は、読めてはいても使ってはいないと思うが・・どうなのだろうか。
ある本を読んでいたら「あれは猪(い)の鼻の穴の形から来ている」と、いうくだりがあり、「おいおい本気かい」と笑ってしまった。
神社仏閣などでみられる彫刻に「猪の目」と呼ばれる形の模様があるが、これは猪の目そのものだというが、これとて信憑性は確かではない。
数年前のお正月のお詣りで健軍神社を訪れた時「猪の目」を見付て嬉しかったことを思い出す。
■健軍神社の懸魚

「ゐ」は漢字の「為」の草書「「為」の草書の画像」から来ているが、ア行の「い」とワ行の「ゐ」の違いは発音の違いであったという。
「い」は「i」、「ゐ」は「wi」であった。
「ゑ」は「恵」の草書体からきている。これも「e」「we」という発音の違いによる。

こうなってくると、古文書における使い分けが気に成るではないか。遡って調べる元気はないが、今後は大いに気を付けてそれぞれがどのように使い分けされているのかを調べてみようと思う。


その区別を「いろはにほへと ちりぬるを・・・(色はにほへど、散りぬるを・・・)」で知ることが出来る。

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■元田永孚と井上毅

2023-07-27 06:31:24 | 人物

 二人の名前を挙げたものの、私は明治以降の歴史にはとんと疎い。
ただ、二人とも幕末の実学党派の人物であること、元田永孚は天皇の側近として名をなし、井上毅は大久保利通や伊藤博文の側近として、教育勅語や明治憲法の制定に尽力したことくらいは辛うじて承知している。
熊本が産んだ二人の偉人でありながら、その詳しい所を知りたいと思い勉強を始めている。

 二人は実学党派ではあるが、元田永孚は横井小楠の沼山津派系、井上毅は陪臣で坪井派の家老・米田是容の家臣である。
また二人は、大久保利通の推挙でそれぞれの道を歩き出している。

元田は一貫して明治天皇の側にあってその生涯を閉じた。井上は外国語学研鑽の結果西欧使節団の一員となりフランスやドイツの憲法を学び帰国後はその実績を以て一連の諸法の策定に力を尽くした。
二人はある時期、或る局面で直接対峙している。それは明治新政府の方向性を決定する教育勅語や・明治憲法制定のうえで決着がついた。
元田永孚は天皇側近として「天皇親政」を目指し、井上毅は伊藤博文の「君主機関説」の強力な牽引車となった。
元田は如何にも保守的・儒教的な「忠孝」をとき、井上は新しい国家観として「国家・国民」を加えた。
明治新政府の新しい方向性は、井上毅の働きが大いに影響している。

「元田永孚と井上毅」という内容に特定して、どなたか講演して頂ける方はいないだろうかと考えている。 



 

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