津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■ツツミ様のご教示

2023-07-11 06:49:11 | 歴史
 菊池寛の小説に「忠直公行状記」がある。その史料になったであろう「片聾記」という史料が存在する。
それを知ったのは約19年前、唐木順三の「千利休」を読んでいたら「福井県立図書館から藩の裏面史「片つんぼ記」なる本が出版されそれを購入したとあったことに始まる。
何だこれはと思い、福井県立図書館に電話をしたら、「片聾記」でありそのようなよみかたではなく「へんろうき」と読みますとお教えいただいた。そのことをブログに書いたら、いろいろコメントをいただいた。
4年ほど経過した2008年7月、HN「ツツミ」様からコメントをいただいているが、氏とのお付き合いはこれが始まりだったようだ。
それ以来度々コメントを頂戴し、いろいろご教示をいただいている。

先に「■可惜人生を棒にふる」越後騒動について少し触れた。この事件に連座した小栗美作の弟で遠島となった小栗兵庫の年端もいかぬ幼い子供たち四人が細川家に預けられ、二人は夭折、残りの二人は四十年にも及ぶ拘禁生活をすごした。
越後高田藩主・光長の後継者争いのよるものだが、遡ること55年ほど前、その光長の父で家康の次男結城秀康の嫡男・徳川忠直の狂気に満ちた事件によりその忠直は豊後国へ配流となった。
これが菊池寛の小説になった。
夫人勝姫の父・秀忠により隠居を言い渡され豊後国(大分市萩原大分市津守)に流されたが、それまでの狂気に満ちた行いは、付き物が落ちたようにように穏やかに過ごしたという。
ここで生まれた男子二人は、忠直の嫡男・光長の許に帰国して仕えたが、こちらでは越後騒動が起きた。
大分で生まれた忠直の二人の男子の下の子・永見太蔵が小栗美作の非を訴えたのが、後の越後騒動の始まりであり、これも罪を得て配流となった。

 そんな、忠直の大分に於ける状況についてツツミ様から数度にわたりコメント頂いているが、コメント欄にうずもれたままでは申し訳なく思い、御承引をいただきここにご紹介する。

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■Unknown (ツツミ)
2019-07-12 21:46:16

こういう本が出ていたんですね。今度図書館で読んでみようと思います。
中日新聞で連載されていたもののようですが、私が、越前藩士と忠直の娘達の萩原随行の事を知ったのも、一昨年の中日新聞のウェブ記事でした。けっこう興奮を覚えた記憶が有ります。

忠直卿の狂気を示す例に、正室の勝姫を殺害しようとした、という話が挙げられる事があります。越前の編纂史料には、勝姫だけでなく娘の殺害も企てたとしているものまで有りますが、もし本当にそのような状態であったのなら、二人の姫を随行させるような事は無かったでしょう。

文禄四年(1595年)に、長崎に居たルイス・フロイスが、忠直乱行譚と全く同じ内容の話が載る報告を、イエズス会に送っています(『関白殿薨去の報知』)。
文禄四年というのは、松平忠直が生まれた年であり、ここに載せられているのは、同年、豊臣秀吉により自害させられた「殺生関白」豊臣秀次に関する噂です。秀次自害から間も無く、長崎にまで届いていたこうした乱行の噂は、秀次追い落としの正当化の為に、秀吉の周辺が、広めたものだったのではないでしょうか。
この乱行譚はすっかり定着し、『聚楽物語』、『真書太閤記』、『絵本太閤記』と、秀次の悪行として語られますが、一心太助や、松平長七郎の登場する『大久保武蔵鐙』あたりで、松平忠直の行った事にされてしまいます。『大久保武蔵鐙』の忠直乱行譚は、『本邦続々史記』にそのままコピペされ、その内容は豊後にも伝わっており、天保年間に編纂された豊後の地誌『雉城雑志』に、歴史的事実のごとく引用されています。このようにして、日本国中にステレオタイプの暴君忠直像が広まって行ったものと思われます。
誕生した年に、自分の暴君像が作られていたというのは、なんとも皮肉な話です。
■お蘭様 (ツツミ)
2019-07-28 21:43:37

先日ご紹介した忠直関連史料は、『大日本史料』の「十二編の六十」でしたが、その後、既に「十二編の六十一」も刊行されていたらしく、東大史料編纂所の刊行物紹介を見ると、先に未載録とお伝えした、「萩原御姫様」や随従家臣団についての、中川家史料も採録されているようです。熊本の図書館でも、ご覧になれると思います。
これまでバラバラに掲載されてきた忠直の書状なども、ほとんど網羅されているのではないかと思います。府内の医師小野昌庵に宛てた書状は、越前の三陽和尚宛の物同様、忠直の人間味を感じさせるものです。

既に『大分縣史料』に載録されている、津守の熊野神社に納められていた忠直の願文も、採り上げられているのではないかと思いますが、これらの願文には、萩原で元和九年十一月二十一日に死去し、浄土寺の比翼塚の一方に葬られたはずの、「お蘭女」の署名が見られます。
『忠直に迫る』の試し読み画面を見ると、「お蘭様」は切支丹で、元和九年十一月に死去した、という説を唱えているようです。実際浄土寺でもこの没年を採っていますが、私は、これには、疑問を持っています。
「お蘭女」の署名が最後に登場するのは、寛永九年正月の寄進状です。翌年正月の寄進状からは、その名を見る事は、出来ません。この間に亡くなったものと思われますが、あるいは、「寛永九年」の没年が、「元和九年」と、誤って伝えられたものかも知れません。そして、この寛永九年に誕生し、翌年の寄進状から署名に名を連ねるのが、忠直の三男熊千代(永見長良)です。
いつか津々堂さんが紹介されていた『津守一伯公伝記』では、津守で生まれた忠直の子は、三人とも「おふり殿」の所生となっています。しかし、系譜上忠直の直系である津山藩の家譜では、次男松千代(永見長頼)と熊千代の母は、家臣平賀治郎右衛門の女であり、三女お勘の母は「小糸」となっており、平賀氏は、熊千代を生んだ日に死去したとされます。
例年願文に名を連ねる女中は、「小むく女」、「お蘭女」、「おむく女」、「おいと女」でしたが、寛永十年からは、「お蘭女」の名だけが記されなくなります。忠直の子を生む女中であれば、願文に名を連ねる立場だったはずであり、この四人の中に熊千代の母親が居たはずです。そして、熊千代が生まれた年に死去した(と推定される)のは、「お蘭様」だけである事から、私は、この平賀氏が「お蘭様」であり、松千代、熊千代の母だったから、比翼塚に葬られるという特別な扱いを受けたのではないかと考えているのですが・・・。
■Unknown (ツツミ)
2023-07-05 21:16:52

先週の記事「可惜人生を棒にふる」で触れられていた「越後騒動」は、松平忠直が配流先の豊後津守でもうけた、次男松千代(永見長頼)、三男熊千代(永見長良)、三女お勘が、直接、間接に関係している(騒動当時長頼とお勘は既に他界し、その子等が騒動の火種)ものですが、熊千代誕生の翌年(寛永十年)、津守の熊野神社に奉納された熊千代名義の寄進状願文に託した、「万〃ねん/\、松竹靏亀、千世にや千よ、いくひさしく、ちやくし越後守殿(長男越後高田藩主松平光長)へたいめん申、ぢなん松千代我等(熊千代)同前ニ、きやうだいもろともに、ちとせの春いわい可申候、はじめての御いわい之しるしまでにしんし候物也、」という、兄弟の繁栄を願う忠直の想いが、虚しく感じられます。
ところで、コロナ前に記したコメントに、これら熊野神社に納められた寄進状の署名から、松千代、熊千代の母は、浄土寺忠直廟所の比翼塚に葬られたとされる「お蘭様」だったのではないか、という推論を立てましたが、あながち突飛な考えではなかったかも知れません。水戸彰考館で享保年間に編纂された、徳川一門を網羅する系譜『源流綜貫』に、長頼、長良、お勘の三人について、以下のように説明されているのを見つけました。

「長頼 母某氏(《割注》“名蘭”号紅源院)寛永七年庚午正月二十日生于豊後小名熊千代為光長家臣称永見市正寛文七年丁未八月十六日卒年三十八葬高田善行寺㳒名蓮長日頼号立源院」
「長良 母同長頼寛永九年壬申七月二十三日生于豊後小名松千代為光長家臣称永見大蔵天和元年壬酉六月二十二日有故流八丈島」
「女子 名閑母某氏寛永十一年甲戌生適光長家臣小栗美作正矩生大六某寛文五年乙巳五月十七日卒年三十二㳒名清誉春㳒号高源院」

長頼と長良の幼名が取り違えられてはいますが、二人の母親は「蘭」である事が明記されています。忠直の系統が、津山藩主として復活した後、永見長頼の子孫は、津山藩家老として存続していますので、長頼の母に関する正しい情報が伝えられていた可能性は高いと思われます。彰考館にしても、根拠も無しに、いきなり「蘭」という名を持ち出すはずもなく、津山藩から得た情報に依り、このように記載したのでしょう。
今では、大分市民でも、忠直卿の愛妾「お蘭様」という人が居たと知る人は、ほとんど居ないのではないかと思いますが、私が子供だった大昔には、「おらんさま」という大分銘菓(どういう菓子だったのかは知りません)が有りましたので、その名だけは聞き覚えがあるという人は、けっこう多いはずです。大分の史料館や浄土寺でも、「お蘭様」の実像について再検証して、その存在に再び光を当てて欲しいものです。
コメント
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