津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「肩こり」という漱石の新造語ーその後

2023-07-23 06:02:59 | 徒然

 一昨日「■「肩こり」という漱石の新造語」を書いたら、いろいろとご教示をいただき驚いている。
先ずは熊本史談会の事務局長・K氏から、一番乗りで「肩こり」についての紹介された放送番組の資料を添付してお教えいただいた。

 その後別の方から同様のご教示をコメント欄に書き込みをいただいた。そしてその初出は夏目漱石の作品「門」であるとの事である。
幸い青空文庫に掲載されていたから、眺めてみたがえらい長編である。スクロールしながら斜め読みしたけれど発見できなかった。
こんな中から発見されたとは、驚き入ってしまった。


 午後に至るとメールで、吉竹博著の「おつかれさん」の研究にその旨が紹介されていたとのご連絡をいただいた。
本を処分しているようで、掲載ページは不明だとの事であった。

                

 そうこうしている内、昨日の夕刻にはまた別のメールが入った。
「津々堂さんもお持ちの(半藤一利氏著)「続・漱石先生ぞな、もし」のp164~165に詳しく紹介されています」とあった。
えっ、しょっちゅう読んでいるのにと思い、慌てて本棚から取り出して見てみると仰せの通り、詳しく紹介されている。
作家の井上ひさし氏が週刊文春に連載していた「二ホン語日記」(第14回)に「明治維新このかた大正七年前後まで漢語による新造語がどしどしつくられていたが、なんてったってその大親分は疑いもなく森鴎外である。(中略)ひるがえって、贔屓の漱石先生となると、新造語では振るわない。」とあり、半藤一利氏も「これぞ漱石の新造語といえるものを探し出さなくては義理が悪いと思った」とある。漱石の孫娘(末利子氏)聟である半藤氏の意気込みである。
ただ、半藤氏が直接見つけ出したのではなく、叉引きで吉竹博氏の著作を読んで偶然見つけだされたらしい。
まさしく、漱石先生の作「門」であった。ただし「肩こり」とはなく「頸と肩の継目の少し背中へ寄った局部が、石のように凝っていた」とある。一方漱石夫人の「漱石の想い出」には、漱石が「年じゅう肩がこるの頭がいたいのと言って・・・」とこちらは、漱石先生に殉じて「肩がこる」と書かれている。
半藤氏もこれで井上ひさし氏に「義理を果たした」と記しておられる。
改めて青空文庫の同作品を見てみると、第11項に間違いなく確認することが出来た。
主人公の奥方の、これはひどい「肩こり」の話で、寝込んだというとんでもない症状であった。

 私がブログに書いた下らぬ一言に、すぐさま反応してこのようなご教示をいただき驚くとともに只々感謝である。
改めて深くお礼申し上げる。この文章をタイピングするのに当方の「肩こり」もさらに増したように感じられる。

 

 

コメント
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