このブログを始めてから今月24日で丸19年になる。(実はその前からUPしているがPCのトラブルで消えてしまっている)
その最初の記事が今私が頭を悩ましていること -1-である。
その(1)が「細川忠興の六男とされる寄之(松井)の生年が「綿考輯録」では元和四年、「松井家先祖由来附」では元和二年」であるという喰い違いについてだった。
綿考輯録の記述が優先されていて、刑部家の興孝を6男、松井寄之を7男とする史料が多いが、最近では「松井家先祖由来附」の記事から寄之を6男、興孝を7男として扱われている。
その(2)が宇土支藩の祖・細川立孝と刑部家の興孝の生母・清田幾知のことについてである。ご親族の方からのご報告でその戒名や幼名などをお教えいただいた。
当時は勉強不足で承知していなかったことが判るが、有難いご報告だった。ただし、幼名については「**む」とあり*については判読不明だという事であったが、これについては未だ判明せずにいる。