津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川斎護世子・慶前の矢部視察(1)

2024-01-03 09:38:41 | 歴史

 天保15年(12月2日改元=弘化元年)の9月26日から10月朔日の5日間にわたり、斎護の世子慶前は視察のため矢部地方に出かけている。
斎護は宇土支藩の藩主から宗家を相続しているから、世子・慶前は宇土で生まれている。10歳になってから本家に入り、13歳で嫡子に決定した。
この矢部視察旅行は20歳、翌年には江戸で結婚、嘉永元年には23歳で死去した。

「木下韡村日記」にこの5日間の記録がなされていて、その行動がよくうかがえる貴重な記録である。
韡村に御供を仰せつけられたのは23日のことであった。その5日間を5回にわたりご紹介する。

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  九月廿六日 晴
五ツ半時之御供揃ニて御船迄可被遊 御越筈ニ付、歩行之面々御先ニ罷越候、暁七ツ時分力蔵并夫壱人召連、加々山迄誘ニ罷越候處、
七ツ時過候ニ付、隈部彦四郎同道出立仕候、間道罷越、就而長六之様罷通、御船口ニ而相尋候ヘハ、七ツ半過と申候、田迎騎射場罷通
候節、東方白日氣、飯顆覆舟之間ニ出ル、山氣紫絳色ナリ、至中ノ瀬旭紅初放、此日牢晴、鶴咲清憂、郊田収穫過半、上八龍塘犬塚山
ヲ望ム、五ツ比至御船茶屋、甚兵衛ニ館ス、飯午晴、駕至御本陣江罷出直ニ町裏川筋御釣御供、堤筋所々御逍遥渓ハ即御船川矢部山ゟ
落ル七瀧等之末也、當年非常之水枯ニ而、御釣ニ上ラス、纔ニ数十頭ヲ被為獲候、八ツ過町西山手鞴吹御覧、猶川之様御出ニ而、直ニ
御船城跡江被為入候、山上辛嶋翁之記文鏤石有之、讀方被 仰付候處、餘リ長ク有之、跡以写取差出可申旨、清成方江申出置候、當城
ハ早運が城也、花ノ山ハ一ト隔テ緑川ノ邊南手ニ在リ、御下山猶川端御逍遥ニ而、御本陣ニ被為入候、今晩風邪氣味ニ付、御本陣ニハ
不罷出薬仕候、同宿萱野宗保、杉谷一右衛門父子、御茶弁當持并手傳等次之間ニ六人、都合上下十二人 〇夜分杉谷父子作畫致枚、亥
刻就寝 〇御出御供御用人一人清成八十郎、御小姓頭一人高見権右衛門、御歩頭一人横山源四郎、御近習御次組脇一人中村健助、御附役二人入江
傳右衛門
佐久間角助、御近習六人加々山(権内)・渡部・村上千左衛門・宗 幾久馬・林・船津、御近習御目附六人三浦・木村・内藤・糸永・隈部・北川、御医
師三人村井・土屋・田中養元、御茶道一人菅野宗保、御伽二人金澤邊・嶋田又四郎、御小姓組六人、歩御便(使)番二人、歩御小姓六人、両役二人 
〇付回御郡代江島傳左衛門、御惣庄屋松村五郎兵衛

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■正月の御規式

2024-01-03 06:57:00 | 歴史

 お正月の殿様は在江戸であろうが在国であろうがお忙しい。
在国の朔日・二日は、士分上下から獨礼の身分の者、有力町民などの「御礼」を受けられる。
士分は「松の廊下」よろしく長袴着用だとされる。

 三日の晩はようやく肩の荷も下りての「謡初」が夕刻七つ半(5時)より催される。花畑邸の歌仙御間を上段として下記の如くの要領である。

      

 歌仙の間に殿様は着座、お正月らしく老松・若松が飾られている。
左手に御次衆が並び、右手九曜の間・中柱の間と御入側にかけて、御一門衆・御家老・御備頭衆・大頭などが列座。
着座以下は佐野の間から、御物頭以上は鷹の間から拝見との記載がある。いずれも長袴である。

            正月御謡初之御式
                  正月三日

       一 今晩御謡初付 七ツ半時揃ニ而 御一門衆御家老中
         松井式部御中老御備頭御留守居大頭組外着座
         御物頭並同列迄長袴之出仕 歌仙之御間
         御上段江被遊
         御出座候上 中村藤記罷出 弓矢之立合相勤退去 役者共       
         罷出 御一門衆御家老中松井式部御中老御備頭
         御留守居大頭江 御酒頂戴被 仰付旨 御用人申伝傳
         御一門衆御家老中松井式部御中老 御敷居内江
         被進出着座 少間越置 御備頭御留守居大頭右之
         並ニ座着 御三方三ツ御土器八寸小角二三種盛
         前ニ三ツ御土器居ヱ
         御前ニ差上 高砂初リ 右同八寸小角載三ツ御土器
         是ヲ載 右之面々江引渡之初献
         上之御土器ニ而
         御前被 召上御三方より脇ニ被差置 御一門より一吟頂戴之
         御土器八寸より脇ニ被差置候 猶又 
         御前中之御土器ニ而被 召上 初メ被 召上候御
         土器之上ニ御重 御三方之脇ニ被差置 御一門衆より
         又一吟頂戴右之通御加ト結 御一門衆より下タ之御土器ニ而
         一吟頂戴 初頂戴之御土器ニ重 被差置タ之
         御土器ニ而被
         召上已然之御土器之上御居ヱ重なから八寸之上ニ被遊
         御上 御銚子御加御土器引之八寸茂引申候 何レも
         御禮申上 復座
           但御一門衆御家老中松井式部御中老 中柱之
           御間南之御敷居内座着 風間之御杉戸御敷居
           内御備頭御留守居大頭座着 右頂戴己後
           御一門衆御家老中松井式部御中老御
           備頭座着 御備頭御留守居大頭御給仕口御屏風内座着
         二番目東北相済蝋燭心切り上 数御土器 二通リ
         出置 御銚子御加出掛リ居候内 何レも御酒頂戴被
         仰付旨 御用人申傳 組外より御物頭己上 二人宛
         罷出 御酒頂戴御肴獲歩御使番頭御歩頭
         御物奉行大組付之内 御給仕御小姓組長袴
         着勤之 右相済蝋燭心切候上 役者共
         罷出候而 三番目之御囃子老松初り御薹ノ物
         御押御銚子御加御給仕御小姓役長袴着
         勤之 御囃子相済被為
         入候事

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