夏目漱石の「吾輩は猫である」は11章に分かれている。これは、1章づつホトトギスに掲載されたことによる。
そして刊本としてはホトトギス掲載の途中から、上中下三巻が発行されている。ホトトギス掲載中から評判であったことがうかがえる。
(お手元に所蔵していない方は吾輩 猫 - 達人出版会や青空文庫でご覧いただきたい)
第1章は明治38年1月のことだが、漱石が執筆を始めたのがいつのころかは定かではないが、鏡子夫人の「漱石の思い出」によると37年の12月ころかららしい。
さてこの主人公の「猫」のことだが、第1章ではその登場ぶりが紹介されているが、身元不明の野良猫である。
どうやらお手本になった猫がいる。鏡子夫人の述によると「(37年の)六・七月の夏の始めころ(中略)どこからともなく生まれていくらもたたない子猫が家の中に入ってきました」とある。
熊本でも猫と同居していた鏡子夫人だが「猫嫌いのわたくし」なのだそうで、何度つまみ出しても入り込んでくる猫に並口している。
泥足でやって来て御櫃の上にうずくまっていたり、おはちの中に納まっているのを見て根負けしている様子を見た漱石に、「そんなに入ってくるのならおいてやったらいいじゃないか」という一言で夏目家に居つくことになる。
黒猫だったらしいが、出入りの按摩さんが、「爪の先まで真っ黒で福猫だから御家が繁盛する」といわれ定住権を得たようだが、相変わらず御櫃の上に上がり、蚊帳をひっかき、子供を襲って怖がられたりしているが、漱石の肩に乗ったりやり放題である。駒込千駄木57番地の家でのことである。
第2章の中ほどに出てくる「吾輩」は正月三日、雑煮を食べてのどに詰まらせ踊り狂うシーンがあるが、是はまさしく実話で、鏡子夫人の述によると、子供の食べ残しの雑煮の餅を食べ、前足でもがきながら踊っている、女中たちは「いやしんぼう」をするからだ笑ったりしたというが、漱石がこれを見て第2章で取り上げたという。
この猫が「死亡通知」され「顕彰碑」たてられた、初代の猫である。熊本の猫はどうやら忘れ去られている。