私は二日ほど前まったくの偶然に、室生犀星の詩「母と子」の朗読をYoutubeで見かけた。
朗読が余りうまくないなと思って途中で見るのをやめて、いろいろググるうちに「青空文庫」の「室生犀星・忘春詩集」というものの中に収められていた。(少々長い詩なので引用は控える)
なぜこのような切ない歌が並んでいるのか、これは犀星の生い立ちが影響しているのであろうと思いいたった。
室生犀星には 夏の日の匹婦の腹に生まれけり という強烈な句がある。
私は犀星の小説と言えば、20代のころ姉が読んでいた「杏つ子」を読んだくらいで詳しくないが、俳句に関する本に親しむようになってからこの句の存在を知った。
そのときこの「杏つ子」が自伝小説だと姉から教えられた。その衝撃と共にこの句が自らの生母をうたっているというのだから、ことさらに衝撃的である。
犀星は加賀藩の下級武士の子と承知していたが、私生児であるという。父親のちょっとした出来心は使用人をはらませ、生まれるとすぐ養子に出された。
犀星はその生母を「匹婦」というのである。「匹婦」とは「教養がなく、道理をわきまえない者たちのこと。封建的な身分制度下で使われた言葉。」であるが、父親こそが「匹夫(父)」と呼ばれるべきではないのか・・・
犀星をしてそう叫ばなければならない、無念さや虚しさが胸を打つ。
預けられたのが僧侶の家でここが室生氏なのだが、実際預かったのはその僧侶の妾ともいうような人で、母の愛を受けることなく育ったと思われる。
上の句を踏まえて「室生犀星・忘春詩集」を改めて読むと、犀星の心情に胸が迫り涙もろい私は少々やばくなる。
匹婦とされた生母と相まみえることはなかったようだが、子を奪われ捨てられたその人のことを思うとその言葉は過ぎるように思うけれど、捨てられた子の心もまた深く傷つけられている。
「母と子」を読むと、「匹婦」だとする生母に対する思慕の情が見受けられてホッとするのだが、作家・俳人としての表現が「匹婦」という言葉に集約されたようにも思える。
身をさらして作品を作り上げるのが、作家の業というものであろうか。