熊本藩主2代細川忠利公書状控文書 6月25日 加々山主馬宛 寛永頃 折紙 全紙36×46㎝ 若干虫損あり
加々山主馬にあてた細川忠利の書状である。「肥後」とあるから、光尚が寛永12年7月23日将軍家光に謁して従四位下侍従・肥後守となった以降、忠利が寛永18年3月に没する迄のものである。
主馬は永い江戸詰であったらしく、その苦労に対して100両の金子を与えることを記している。
虫食いがひどく判読にも難儀するが大方下記の如くか?
猶々若未逗留申候而
爰元知行なと
違候共跡々妻子之
便宜候間申候其方事
事可心易候 已上
永々逗留一入
大儀候其許ニ人
無之候間肥後次第ニ
可仕候永く下候まて
苦心仕事ニて此金子
百両遣候定て隙明
次第可歸候随分
肥後ためよき様二
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肝を煎候可申事
肝要候 謹言
越
六月廿五日 忠利御判
加々山主馬殿