津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「熊本市政だより」と漱石先生

2024-01-13 09:33:53 | 熊本

 夏目鏡子述・松岡譲筆録の「漱石の思い出」を精読している。
精読だからなかなか前に進まないが、熊本に関わるところだけはしっかり読もうと苦闘している。
苦闘というのは、読みながら首をかしげることがあるとネットで調べたり、城下町図をとりだしたり、地名辞典で場所を確認したりと脱線して
元に戻るのに大いに時間を費やしている。

そんな中で、熊本西区役所のHPにかって「熊本市政だより」に掲載された「漱石とくまもと」がUPされていることに気づいた。
これは全国の漱石フアンにもご披露してしかるべきだと思いご紹介することにした。

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      〈1〉漱石とくまもと

「漱石写真帖」より〈2〉漱石の生い立ち      

      〈3〉漱石落第す

      〈4〉漱石松山へ

      〈9〉ことしは漱石記念の年

      〈13〉漱石の旅
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■細川斎護世子・慶前、江戸参府(3)

2024-01-13 06:22:06 | 史料

■七月廿二日
白石 御停泊
   過花果峡詩録此
去年峡口陪観瀾、峡雲壓海飛雨寒、盤渦旋沫如鼎沸、萬船宛跨奔馬
鞍、今年追侍天好晴、船方臨峡潮亦生、海穏氣平多興趣、欲求詩料
面縦横、畳石城山蒼如銕、堆沙成峰皓如雪、龍驚虬躍松趣態、映帯
左右争奇絶、嗟我十躡峡間雲、自待青山知己分、青山安記行宛西、
大呼一聲寂不聞 〇昨日弓削御繋船之節、夜分御本船江被召出、海
上作等差出候、猶明朝御出船前罷出候様被 仰付候ニ付、直ニ御本
船二止宿、翌日即今日昼後被召出賜 話、白石御繋之上下船江引取

  (廿三日)
■ 同十三日

 八ツ時白石御出帆、出崎御停泊

■七月廿四日
八ツ時御出帆
〇禮楽在進反之間、便得性情之正、形質者實、々者易滅聲□□處、
 々者盈、君子欲納於言、敏於行
〇終日聞鉦鼓、夜分耳清、終日視物、夜分目乾、目以實施、故労耳
 以虚受、故不労陽費而陰不労亦此理順承之、道其應無窮
〇船上観水、見水退而不見船、進人但見人之動而不見已之動、是以
 天下有不是底人
〇計較心尤非王者事
此日所乗鳳麟号船播州江着、下船就館、
御船夜ニ入湊口江御繋ケ、明朝 御船上り被 仰上候事
一、自分轎一挺橋谷催合播磨路参候筈、具足箱手小折一ツ船中江着
  置、大阪回り
  當船乗組人数 村井玄斎、深水宗古、桑原丹壽、金子民壽、内海
  仙壽、橋谷市之助、片山忠右衛門、村井雲臺、内海惠迪、村井門
  生一人、深水門生一人、国枝喜源太、甲斐永左衛門、内藤■左衛
  門、其外諸間手傳等并下人

■七月廿五日
五ツ比 御上館 謁有之、四ツ半時 御供揃二て被遊
御發駕、七ツ過姫路御着、自分、橋谷一同 御先ニ罷越、八ツ半比着
宿
〇天置我於大倫之中寵霊尤甚
  望姫路城
昨夜蓬窓臥讀書、朝鮮八道凡丘壚、知君初尋肥城日、呑盡西天氣有餘

■七月廿六日 陰、冷氣
明六ツ時 御發駕、加古川御昼休ゟ越、夕六前大蔵谷 御着、海上
悪敷相見へ、渡海之船二如何

 

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