津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■夏目家に愛された「テルという名の女中」

2024-01-23 08:17:52 | 人物

「テルという名の女中」は、漱石夫人鏡子氏の著「漱石の思い出」に登場する夏目家の女中さんである。
            
 右端の猫を抱いた女性がその「テル」だが、鏡子夫人によると27・8歳だとされる。
この時期鏡子夫人は21歳、テルは「色の浅黒い人」だというが、鏡子夫人とは6・7歳しか違わないが写真でも色黒が見て取れる。

 長女の筆子さんは内坪井の家(5番目)で生まれているが、漱石は「色の黒い人に抱かれると赤ん坊も色が黒くなる」と言って、
テルに抱かせようとはしなかった。

鏡子夫人も買い物その他のことで、そうそう赤子に付きっ切りともいかず、漱石先生があやしたりしているが、泣き止んでくれない。
仕方なくテルに頼むとピタリと泣き止んで、「色が黒くても、私でなけりゃどうにもならんじゃないですか」と自慢したという。

そして赤子を大変かわいがったという。そんな女中に漱石は好感を以て接している。

 鏡子夫人は嫁いできて一年目に漱石と二人で上京したことは先に書いた。
合羽町の家を出発しているが、漱石が一人熊本へ帰り大江の家に引っ越していた。
「大変景色のいいところで、家の前は一面は畑、その先が見渡す限り桑畑が続いて、森の都と言われる熊本郊外の秋の景色はまた
格別でした」
と鏡子夫人は記す。かっての中央病院辺り、視界には私の母校白川中学も入っていたかもしれない。

「テル」がいつから夏目家に女中として入ったのかその時期は良くわからない。
「漱石の思い出」の中で、テルの名前が初めて登場するのはこの大江の家が初めてのようだ。

   よく忠実に働いてくれるのはいいが、これが私に負けないたいそうな朝寝坊です。で私の留守中(東京から帰る前)
  朝飯もたべさせずに学校へ出したことがしばしばあったそうですが、そうする
と旦那さんに申しわけがないとあって、
  帰って来て夏目が御飯をたべてしまうまで決して自分でも
箸をとらないのです。
  庭に小さい祠がありましたが、テルがその神様に線香を上げ蝋燭を上げてしきりに拝んでおります。
  一心に願かけでもしている様子ですから、いい旦那でも欲しいのかと夏目が冗談でたずねてみますと、どうぞ朝起き
  になれますようにと殊勝なお祈りしているのでした。

   夏目はずっと冷水浴をしておりましたが、寒くなると水をかぶる騒ぎったらありません。フウフウ言いながら、冷た
  いのでおどり上がり飛び上がって、あたりかまわず水をはねとばします。

  テルが側で見て笑いながら、「旦那さん、はねまわって、小鯛のごとある」と評したものです。
  夏目もこの朴直さが
  気に入ったとみえて、時々冗談口をきいては私たちを笑わせておりました。

 このテルさん、大いに熊本の印象を良くするために力を尽くしてくれたようだ。
先に触れた、「熊本の猫」はこのテルの姉が持ち込んだようだが、こちらはなかなかの自然児であって、人様の食事のおかずを持ち逃げ
するなど、したい放題の猫であったらしい。

案外そのイメージが漱石先生をして「吾輩は猫である」の執筆へと心を動かしたのではないか、と私は一人そう感じている。如何・・・

 

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■細川斎護世子・慶前、江戸参府(7-了)

2024-01-23 07:07:37 | 史料

■八月十五日
昨夜ゟ風騒敷有之、今朝弥以小止不致、海波撲岸、聲如雷霆、噴雪
四五丈、平生所未見也、小田原より大磯當り迄ハ同し、小陶綾ノ浦
二て波打渚一様に回りたるか波のよするするを見んとて、加々山、
橋谷等渚ニおり立て潮を避て四五町を避て東二行ぬ、近比の壮観と覚ゆ
る、今日早ク大磯御着、但シ来ル十八日可被為遊
御着府との御事ニ付、御道押御緩め也
一、今日強風ニ而海濤荒候故、馬乳川阻候由、其上 御風氣御痰氣
  被為起候由ニ而、明日之 御發駕御延引被仰出候

■八月十六日 強風如昨
〇入江傳右衛門江戸江早ノ御使ニ被参候二付、手前差駕用ニ立候事、
 今日當宿御滞座
一、少御不快ニ被為在候趣ニ付、橋谷・片岡同道、御本陣江罷出奉
 伺、當番辛川方江奉伺候處、今朝ハ御宜敷被為在候由被申聞候、
 尤右ハ十七日之事

■八月十七日
伺後、国友館江罷越、久保等圍碁 〇今日迄も強風ニ付海邊江出見
物仕候處、當驛左右相模沖一大湾白浪重々、榎嶋ノ浪ハ遥ニ白ク峙
チ見事ナル事也

■八月十八日
御發駕被 仰出、程ヶ谷御着
一、作や入江傳右衛門着、今日途中江尾藤健之助早ニ而参ル
〇田代雄次郎掛川縁家ゟもらい候とて慊堂景宋本爾雅ヲ見スル、立
 派ノ刻也、轎中本文一覧
〇我讀爾雅得三語、日篷篠口柔也、戚施面柔也、夸眦體柔也
此夜程谷御止宿、明日河崎御昼ニ而可被為遊 御着府旨ニ候

■八月十九日
御發駕ニ相成際、堀内弾右衛門早之御使者、今日

御着之儀公邊御届御手数不被為済候間、河崎御宿館ニ而明日
御着可被為遊との御事ニ候、依之河崎御留宿
一、江戸御出入之町人共参ル 
〇遠山換御使ニ而向家ニ館ス、来
 話、正月十四日之災委細承聞いたし候事 〇有室而後知事親之
 難、仕宦而後知朋友之交之難 〇米卿臨別日、直截之失解之亦
 易、迂回之失反之甚難、當服膚而不失

■八月廿日
御發駕五ツ半時被 仰出、橋谷御用残り候間見合、御跡ニ河崎ヲ
立、大森 御小立ニ扣へ、御跡ゟ罷越、鮫州ニ而支度、八ツ過参
邸、御小屋用聞ゟ畳諸道具、調へ有之、御殿江出謁有之
一、田代錣三郎肴重持参、夜隣家小川半次郎、船津三右衛門小飲

           (了)

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