「テルという名の女中」は、漱石夫人鏡子氏の著「漱石の思い出」に登場する夏目家の女中さんである。
右端の猫を抱いた女性がその「テル」だが、鏡子夫人によると27・8歳だとされる。
この時期鏡子夫人は21歳、テルは「色の浅黒い人」だというが、鏡子夫人とは6・7歳しか違わないが写真でも色黒が見て取れる。
長女の筆子さんは内坪井の家(5番目)で生まれているが、漱石は「色の黒い人に抱かれると赤ん坊も色が黒くなる」と言って、
テルに抱かせようとはしなかった。
鏡子夫人も買い物その他のことで、そうそう赤子に付きっ切りともいかず、漱石先生があやしたりしているが、泣き止んでくれない。
仕方なくテルに頼むとピタリと泣き止んで、「色が黒くても、私でなけりゃどうにもならんじゃないですか」と自慢したという。
そして赤子を大変かわいがったという。そんな女中に漱石は好感を以て接している。
鏡子夫人は嫁いできて一年目に漱石と二人で上京したことは先に書いた。
合羽町の家を出発しているが、漱石が一人熊本へ帰り大江の家に引っ越していた。
「大変景色のいいところで、家の前は一面は畑、その先が見渡す限り桑畑が続いて、森の都と言われる熊本郊外の秋の景色はまた
格別でした」と鏡子夫人は記す。かっての中央病院辺り、視界には私の母校白川中学も入っていたかもしれない。
「テル」がいつから夏目家に女中として入ったのかその時期は良くわからない。
「漱石の思い出」の中で、テルの名前が初めて登場するのはこの大江の家が初めてのようだ。
よく忠実に働いてくれるのはいいが、これが私に負けないたいそうな朝寝坊です。で私の留守中(東京から帰る前)
朝飯もたべさせずに学校へ出したことがしばしばあったそうですが、そうすると旦那さんに申しわけがないとあって、
帰って来て夏目が御飯をたべてしまうまで決して自分でも箸をとらないのです。
庭に小さい祠がありましたが、テルがその神様に線香を上げ蝋燭を上げてしきりに拝んでおります。
一心に願かけでもしている様子ですから、いい旦那でも欲しいのかと夏目が冗談でたずねてみますと、どうぞ朝起き
になれますようにと殊勝なお祈りしているのでした。
夏目はずっと冷水浴をしておりましたが、寒くなると水をかぶる騒ぎったらありません。フウフウ言いながら、冷た
いのでおどり上がり飛び上がって、あたりかまわず水をはねとばします。
テルが側で見て笑いながら、「旦那さん、はねまわって、小鯛のごとある」と評したものです。
夏目もこの朴直さが
気に入ったとみえて、時々冗談口をきいては私たちを笑わせておりました。
このテルさん、大いに熊本の印象を良くするために力を尽くしてくれたようだ。
先に触れた、「熊本の猫」はこのテルの姉が持ち込んだようだが、こちらはなかなかの自然児であって、人様の食事のおかずを持ち逃げ
するなど、したい放題の猫であったらしい。
案外そのイメージが漱石先生をして「吾輩は猫である」の執筆へと心を動かしたのではないか、と私は一人そう感じている。如何・・・