随分以前の話だが古文書に親しみ始めたころ、ある資料の中に「円居」という語句が出てきた。
「まどいと読み、丸く輪になって会話などを楽しむ状態を言います。」と教えられ、「又、マトイとも読みます。火消の纏や戦場での目印が円居です」と教えられた。
そしてついでに「そんな円居のなかでお尻には円座を敷きました」と女性の講師先生は解説を加えられたが、話が旨いと感心したことを思い出す。
小学校低学年の頃私は、現在の大江新町に住んでいた。その先が保田窪地区になる。
幼い友人に大きな農家の一人息子がいて、よく遊びに出かけて遊んだものだが、今でも忘れない一つの出来事がある。
米俵の上と下に蓋をかぶせるが、直径30~40センチほどの円座のような形をしている。
子供が遊ぶには格好の獲物で、これをフリスビーのように飛ばしあったりしていた。
それをそこの父親に見つけられて、しこたま叱られてしまったが、友人は尻をひっぱたかれていた。
私も「これは百姓にとっては大事なものだけんな」と睨みつけられて、足がすくんでしまった。
それでも、ちびた干し柿をニ三個もらって、帰ったことを思い出す。
涙を流していたのかもしれない。帰って事の顛末を祖母に話すと、それはお前たちが悪いと又説教された。
母が徳用のマッチを一つ風呂敷に包んで謝りに出かけた。今度は立派な干し柿をもらって帰ってきた。
七つ違いの姉は、思いがけない甘い干し柿に喜んでいたが、長じてからも思い出話にときおり顔を出した。
その時その円座のような形をしたものを、祖母は「サンダラボウシ」だと教えてくれたが、後で友達に話すと後日「サンダワラ(桟俵)と父ちゃんが言うた」と報告を受けた。
ボウシ=帽子と勝手に近いしていたが、そうではなかった。
祖母が言う「サンダラホウシ」が「桟俵法師」だと知ったのは、随分後のことである。そして「サンダラポッチ」ともいうことも知った。
何故「法師」なのか、「ポッチ」なのかは今もって知らずにいる。
左側にある円座様のものが桟俵