津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■ご存じですか「さんだらぽっち」

2024-01-15 10:02:44 | 徒然

 随分以前の話だが古文書に親しみ始めたころ、ある資料の中に「円居」という語句が出てきた。
「まどいと読み、丸く輪になって会話などを楽しむ状態を言います。」と教えられ、「又、マトイとも読みます。火消の纏や戦場での目印が円居です」と教えられた。
そしてついでに「そんな円居のなかでお尻には円座を敷きました」と女性の講師先生は解説を加えられたが、話が旨いと感心したことを思い出す。

 小学校低学年の頃私は、現在の大江新町に住んでいた。その先が保田窪地区になる。
幼い友人に大きな農家の一人息子がいて、よく遊びに出かけて遊んだものだが、今でも忘れない一つの出来事がある。
米俵の上と下に蓋をかぶせるが、直径30~40センチほどの円座のような形をしている。
子供が遊ぶには格好の獲物で、これをフリスビーのように飛ばしあったりしていた。
それをそこの父親に見つけられて、しこたま叱られてしまったが、友人は尻をひっぱたかれていた。
私も「これは百姓にとっては大事なものだけんな」と睨みつけられて、足がすくんでしまった。
それでも、ちびた干し柿をニ三個もらって、帰ったことを思い出す。
涙を流していたのかもしれない。帰って事の顛末を祖母に話すと、それはお前たちが悪いと又説教された。
母が徳用のマッチを一つ風呂敷に包んで謝りに出かけた。今度は立派な干し柿をもらって帰ってきた。
七つ違いの姉は、思いがけない甘い干し柿に喜んでいたが、長じてからも思い出話にときおり顔を出した。

 その時その円座のような形をしたものを、祖母は「サンダラボウシ」だと教えてくれたが、後で友達に話すと後日「サンダワラ(桟俵)と父ちゃんが言うた」と報告を受けた。
ボウシ=帽子と勝手に近いしていたが、そうではなかった。
祖母が言う「サンダラホウシ」が「桟俵法師」だと知ったのは、随分後のことである。そして「サンダラポッチ」ともいうことも知った。
何故「法師」なのか、「ポッチ」なのかは今もって知らずにいる。

      左側にある円座様のものが桟俵

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■肥後墳墓録-(9)海福山泰陽禅寺

2024-01-15 06:53:25 | ご挨拶

長州・大寧寺の末寺で、熊本市中央区坪井3-9-8にある曹洞宗・海福山泰陽禅寺は、細川忠利の肥後入国後の寛永10年造立された。

 ■遠坂家 代々が「関内」を名乗っている。
      初代助左衛門(関内・越後)は、ガラシャ夫人に殉死した河北(河喜多)石見の甥だとされる。

      丹後の地侍であったが、忠興の召しを受けて細川家に仕え幽齋の田邊城籠城を共にした。
      関ケ原役などでも働きあり、豊前に至り、1,500石拝領。
      3代孫九郎は光尚に殉死した。
      代々が藩の中枢にあってそれぞれ働きをなしたが、特に9代の遠坂楽翁(名は玄房、関内と称)は、
      十八歳で時習館訓導となり、後奉行副役、奉行を経て中老兼大奉行となった。
      藩財政が立ちいかぬ中、関内の緊縮財政策が入れられず蟄居を命ぜらている。
      一門により積極財政策に転じた藩もなんら好転をすることはなかった。
 

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