津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■我が家は縄文系

2024-01-04 12:57:30 | 徒然

 昨日娘と孫三人がやってきたが、しみじみ顔をみながら思ったことだが縄文だったり弥生だったり混交しているとは思うのだが、しかし基本は縄文系だなと言えそうだ。 
というのは、祖父が務めていた小石川の細川侯爵邸の御役間(現永青文庫建物)では「しんどう鼻にさくま黒」という言葉があったのだそうだが、その「しんどう鼻」が我が家のことである。
佐久間さんは色黒だったのだろう。

我が家は父方も母方(母は細面だが)も典型的縄文人の顔かたちで角ばった顔で鼻がでかい。

 縄文人は多い時には26万人ほどいたというが、氷河期に入り食料不足で8万人まで減少したとされる。
そこに渡来系の弥生人が入るのだが、考えてみると縄文系の我が家はその8万人の生き残りだと考えると、案外生命力があるのだろうと思ったりする。
 最近はやりの遺伝子検査Hapro2.0のことについて先に触れたが、「純日本人」と思っている人が、思いがけず異種の渡来人系と思われる血が混じっていることに驚かれるケースが多いらしい。
私の義弟(奥方の弟)などは、瞳は黒いがまさにハーフかクオター?という顔をしている。
奥方にもその傾向があり「私は小さいころテンプルちゃんと呼ばれていた」と自慢するが、齢を重ねたいまとなると、娘や孫たちが首をかしげている。

 東京大学大学院、理学系研究科・理学科の「縄文人と渡来人の混血史から日本列島人の地域的多様性の起源を探る」というプレスリリースがある。
これなどを読んでいると、学問の進歩がこのような段階に至っていることに大変興味をそそられる。



 

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■大矢野源左衛門、鍛冶屋七左衛門を無礼討ち

2024-01-04 07:16:05 | 熊本

以下に記すのは堀内傳右衛門の「旦夕覚書」にある、貞享四年(1687)一月四日、大矢野源左衛門鍛冶屋七左衛門を無礼討ちの顛末である。
この無礼打については、特に被害者の子が後にその父の冥福を祈り出家し放牛と名乗り、熊本城下とその周辺に107体の石仏を建立して供養に努め「放牛地蔵」として知られることから、非難の対象に取り上げられることがある。
これは封建時代の武士の行動規範上においては非難されるべきものではない。時代が生んだ悲劇である。
堀内傳右衛門は大矢野源左衛門の身近な同僚であっただけに、驚きを以て事件を記録に残している。
尚、第一号は、熊本市南区田迎小学校前にあり、制昨年は享保7年(1722)5月だとされるから、事件から35年経過している。

一、右の大矢野源左衛門皆共一同に新知被下候 其翌年正月三日か四日に寶町山本玄長とか申弾蔵方へ出
  入仕候 其屋敷の近邊かちや町通り候刻子わるさ仕候故親しかり/\割木を投打仕候處に通り懸り源
  左衛門ひたひに割木當り少し皮打裂申候 其儘親逃申候故追かけ打果申候 其時分拙者追廻御馬御殿前
  通り申候刻林仁左衛門とか申歩の小姓廻り横目にて知人にて候 大矢野源左衛門殿唯今鍛冶屋町にて
  人を切被申候由にて走々参候故源左衛門は何方に居候哉と尋申候得は組脇蓑田左五右衛門へ被参候
  由申候故其儘参候へは早々宿に歸り申候 左五右衛門屋敷は唯今宮村武左衛門屋敷と一ツ成申候 源左
  衛門は歩御使番の時の屋敷にて唯今菅九左衛門隣屋敷にて座敷に這入申候へは唯今西山八郎兵衛被
  参候 源左衛門兄彦四郎組頭大矢野彦四郎は西山組脇にて候 源左衛門申は傳右唯今八郎兵衛被参候う
  つけたる事西山被申候 打果候者町人と存候 刀差居不申由咄候へは先御仕合にて候 刀を差居不申者
  にてと被申候ゆゑいや刀さし候とて遠慮可仕様無御座と返答致し候由近比御番頭口上には合點せぬ
  とてしかり申候故いかにも/\道理先々口上書可入候 拙者手跡あしく候へ共御右筆山崎傳左衛門父
  子向屋敷にて見習申候硯々と申候て下書調申内同名半助参候故拙者ゟは半助能筆迚好(コノミ)半助
  に書せ申候 西山は其刻も能番頭と申他國にも御使者に節々被参候 結構成人にて候得武道と申事は本
  にて常には入不申候へ共ケ様の時早源左衛門見おとし申候 定て西山は後の吟味にて刀さし申さぬは
  町人にて可有候 刀差申せは牢人か後の吟味やかましく存被申たるにて刀さしたる者は切兼可申様成
  口上故にそなたは心に叶はぬと存候 尤西山殿少念入過たる口上なれ共彦四郎殿御組頭にて贔屓の心
  にて被申たると存候由拙者申候へは兄の彦四郎いかにも/\御察の通と申候 源左衛門身にしては参
  打果申節に當り後の吟味の刀さしさゝぬに構ひ可申様なく候 尤其刻迄も源左衛門はせき居申候故尚
  以聞咎申候 ケ様成る時節は見廻に被参候者も可尋事も米銀勝手の咄とは變り常々武道を心かくると
  かけぬと顕れ可申候 (以下略)

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