昨年暮れに亡くなった伊集院静氏、小説はあまり読んでいないが、エッセイを10冊ほどは読んだと思う。
小説では唯一といっていいものが夏目漱石を扱った「ミチクサ先生」だけだと思う。
かって図書館で見つけ上下巻をかりて、一気に読み上げたことを思い出す。
この中で伊集院氏は漱石夫人の身投げ事件を取り上げている。
当然のことながら、その当事者・漱石夫人夏目鏡子氏の「漱石の思い出」においては全く触れられていない。
二番目の借家は、家主の落合東郭が東京から帰って来たので仕方なく明け渡して、急遽白川に面した井川渕の三番目の家に引っ越した。
そこで鏡子夫人は「つわり」がひどくヒステリー状態となり、白川に身投げするという事件となった。
いまでは大方がご存じであろうが、新聞掲載などをさしとめるのに尽力したのが、「坊ちゃん」の登場人物「うらなり」のモデルとなった漱石の同僚・浅井栄凞氏である。
地元の新聞社の社長が教え子であったらしい。
この栄凞氏は細川家家臣・浅井家の9代目である。初代は五左衛門とあるが、祖は浅井万菊丸(直政)といって浅井長政の家系だとすることを、かってくにさき半島歴史研究会の会長久米忠臣氏が杵築史談会誌に「生きていた浅井長政・お市の次男 万菊丸・浅井直政」を発表されている。
入水の顛末は福岡女学院大学の原武 哲名誉教授の「夏目漱石と浅井栄凞ー鏡子入水に関わった禅の人」に詳しいからお読みいただきたい。
伊集院氏が資料にされたのではないかと思われる。
この栄凞氏はのちに細川家の家扶をされているが、その時期をみると私の祖父が家扶をしていた時期と重複するところがある。
祖父は栄凞氏が「うらなり」のモデルであったことを知っていただろうか。
小林信彦氏は「うらなり」氏の後日談として、小説「うらなり」を書いて2006年の菊池寛賞を取っているがまだ読んでいない。
野上弥栄子氏のご主人で能楽研究家の野上豊一郎著の『吾輩も猫である』や、内田百閒の『贋作吾輩は猫である』、高田宏の『吾輩は猫でもある・覚書き』等は、本棚に夏目作品と肩を並べている。
「ミチクサ先生」も「うらなり」も新たに購入してそろえようと思っている。