津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■鏡子夫人の入水事件と「うらなり」氏、そして猫いろいろ

2024-01-11 10:28:42 | 書籍・読書

 昨年暮れに亡くなった伊集院静氏、小説はあまり読んでいないが、エッセイを10冊ほどは読んだと思う。
小説では唯一といっていいものが夏目漱石を扱った「ミチクサ先生」だけだと思う。
かって図書館で見つけ上下巻をかりて、一気に読み上げたことを思い出す。
この中で伊集院氏は漱石夫人の身投げ事件を取り上げている。

 当然のことながら、その当事者・漱石夫人夏目鏡子氏の「漱石の思い出」においては全く触れられていない。
二番目の借家は、家主の落合東郭が東京から帰って来たので仕方なく明け渡して、急遽白川に面した井川渕の三番目の家に引っ越した。
そこで鏡子夫人は「つわり」がひどくヒステリー状態となり、白川に身投げするという事件となった。
いまでは大方がご存じであろうが、新聞掲載などをさしとめるのに尽力したのが、「坊ちゃん」の登場人物「うらなり」のモデルとなった漱石の同僚・浅井栄凞氏である。
地元の新聞社の社長が教え子であったらしい。
 この栄凞氏は細川家家臣・浅井家の9代目である。初代は五左衛門とあるが、祖は浅井万菊丸(直政)といって浅井長政の家系だとすることを、かってくにさき半島歴史研究会の会長久米忠臣氏が杵築史談会誌に「生きていた浅井長政・お市の次男 万菊丸・浅井直政」を発表されている。
入水の顛末は福岡女学院大学の原武 哲名誉教授の「夏目漱石と浅井栄凞ー鏡子入水に関わった禅の人」に詳しいからお読みいただきたい。
伊集院氏が資料にされたのではないかと思われる。

 この栄凞氏はのちに細川家の家扶をされているが、その時期をみると私の祖父が家扶をしていた時期と重複するところがある。
祖父は栄凞氏が「うらなり」のモデルであったことを知っていただろうか。

 小林信彦氏は「うらなり」氏の後日談として、小説「うらなり」を書いて2006年の菊池寛賞を取っているがまだ読んでいない。
野上弥栄子氏のご主人で能楽研究家の野上豊一郎著の『吾輩も猫である』や、内田百閒の『贋作吾輩は猫である』、高田宏の『吾輩は猫でもある・覚書き』等は、本棚に夏目作品と肩を並べている。

「ミチクサ先生」も「うらなり」も新たに購入してそろえようと思っている。

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■細川斎護世子・慶前、江戸参府(2)

2024-01-11 06:40:29 | 史料

■  同十八日 晴
由布浦迄 御舟行
  追録途中詩 〇過久留米
   田野不兼前日同、平原稼秀碧途空、清香十里芙蓉水、涼意一提鳥
   柏風、昂激稍看生士氣、免除又聴勧農功、美政正如旱後雨、要在
   涵濡漸積中
  久留米候新襲封新政甚美、役夫輩口之不置、畝懸りヲリ除事一稜ノ
  事也、一反ニ銀五匁三匁等有之たる由
    上舟
   赤間関前一輪月、金鼓聲起萬舟發、恰是猛秋之望夜、風露冷欲動
   毛髪、舟中客子神飛揚、大座楼上先呼觴、携厨醇物濃如油、酌月
   尤宜桂華香、又■坂醸清且烈、薩酎刺舌如食薑、酔来浩々歌窈窕
   日落雲起水香州、鞺鞳已是山陽潮、一帖欲渡八州暁
  此夜由布舟中作
   群船人定四無聲、唯聴暗潮觸纜鳴、不是死生争絶滅、醉餘抱月臥
   空明 舟中讀征韓偉略作[朱]

■七月十九日
終日東北風舟不前、由布より二里ツワト申所江昼前 御着、其儘御停泊
風至晩不歇

■ 同廿日
海上未静 五ツ比 御出船
   島嶼索回水路料、海無蒹葭与斤卥、青松低處沙如雪、蒼石蟠邊浪
   作花、闢草■田混樵径、傍山僧寺接漁家、荒村酒薄不能飲、催煎     ■=余の下に
   西州黄烏茶
 一、征韓偉略五冊、舟中披玩畢、發程前讀大河内茂右衛門朝鮮日記、
   頗愛其詳、看今於水戸史聞其与請書不合、日記蓋可疑也
 〇 録古人言行猶或堕於玩物喪志、況作文章模索縁飾言、其所未信、
   即是為人之大者
 〇 納鑰自牖甚難事、或過於順徒徘徊瞻望、終失下手之機
 〇 悪訐直而順従、或過則以水済水適与納鑰相反
 〇 風之人物有竅隙則入、雖竅隙之處、風無不在故、能得竅隙而入之、
   但発屋抜樹非巽之妙用
 〇 有事出於勉々強々之心、仍是牖避勉強而別求其所、真好難矣
   後受取       (市之進)
 一、四百六拾文 橋谷分一人前船たはこ十九日迄四日分振替
   後受取   
 一、九百二十文 片岡分二人分右同
 船中洋越儀并例年之通御船手江遣候、員数いつも見合を失申候故、記置
   九百文  御船頭二人  六百文  船横目 
   二百文  めしたき   二百文  下掃除
 右之通候處、去年見合候ヘハ少々之違有之候、臨時之申談も可有之、御
 物頭列三百餘、平士二百餘と段を取候事
 此日終日逆風潮勢亦不好、夜九ツ比御手洗ニ押付クル

■七月廿一日
弓削 御繋船
 

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