蓑田勝彦氏の、「横井小楠の『酒失事件』について」という一文が、1998年の甲佐高校の『甲高紀要』に掲載されている事を知った。『史叢・十号』にある「横井小楠と米田監物」の中に記されていた。
圭室諦成氏の「横井小楠」で氏は、「史料が乏しいので推論の範囲を出ないが、・・」としながら、「酒失と帰国」を書いている。「理由は酒席での失言」とされるが、どうやら真実はそうではない。小楠自身は「被告として沈黙をまもることを余儀なくされた」と、氏は弁護するが、実は弁解の余地のない事件であった。帰国の裁定をしたのは、当時は同志であった米田監物である。彼をしても「弁護の余地」が無かったに他ならない。それは「酒席からの帰途、幕府の役人に対して暴力を振るった事件である」と蓑田氏は結論付けられている。小楠の「沈黙」はここにある。
圭室氏はまさしく実学党擁護派の人であることを承知の上でも、「横井小楠」の入門書とするにはいささかの不安を感じ得ない。「贔屓の引き倒し」という言葉がある。
圭室諦成氏の「横井小楠」で氏は、「史料が乏しいので推論の範囲を出ないが、・・」としながら、「酒失と帰国」を書いている。「理由は酒席での失言」とされるが、どうやら真実はそうではない。小楠自身は「被告として沈黙をまもることを余儀なくされた」と、氏は弁護するが、実は弁解の余地のない事件であった。帰国の裁定をしたのは、当時は同志であった米田監物である。彼をしても「弁護の余地」が無かったに他ならない。それは「酒席からの帰途、幕府の役人に対して暴力を振るった事件である」と蓑田氏は結論付けられている。小楠の「沈黙」はここにある。
圭室氏はまさしく実学党擁護派の人であることを承知の上でも、「横井小楠」の入門書とするにはいささかの不安を感じ得ない。「贔屓の引き倒し」という言葉がある。