広島にはこれまで何度かきているが、平和記念資料記念館や原爆ドームを訪れたことはなかった。フクシマのあとだけに思いは複雑だった。
大勢の来場者と共に見て回ったが、日本語以外の声が周りからよく聞こえてきた。ざっとした印象では、半数近くが日本人以外のようだった。ボランティアガイドのみなさんの言葉を聞いているのも彼らだった。
それ対して、日本人のグループの中のはツアー中の方であるのかおざなりに時間を過ごしているように見えたのは、残念なことであった。
展示の側もポストフクシマの特別展時があっても良かったのではないかというのは率直すぎる感想だろうか。
こじんまりとした美術館だが印象派に常設展の半分を割き、残るスペースもフォービズムとピカソ、エコールドパリにと、絵画史の一部に焦点を当てコレクションしたのはわかりやすく好感をもった。
また、特別展として「日本の印象派 金山平三展」を開催していて、彼のフランス時代、日本時代、日本での居住地変化に連れて彼の表現が変わって行く様子、特に光の描き方の変化が興味深かった。
午後、熱海のMOA美術館の「岩佐又兵衛展」にいい、「堀江物語絵巻」を見た。
辻惟雄氏の「奇想の系譜」や「奇想の図譜」に蒙を開かれたのだが、今回、堀江物語絵巻を見て、又兵衛の出生の謎にかかわるカタルシス作品を見ることができて納得!また、又兵衛の筆になる荒木村重を父とするとい書きつけの展示されており、堀江物語のストーリーと又兵衛の個人史の関係がつながって見えた。
辻氏はMIHOの館長であるが、一方、MOAの岩佐コレクションともゆかりが深い。これまた、興味深いことではある。新宗教の相関図も今一度メモしておかなくては!

家内が春日井の同僚宅に集まって持ち寄りパーティだというので送っていく。そのついでに、これまで行ったことのなかった東濃の陶芸関係の施設を回ることにした。
まずは、「岐阜県陶磁資料館」(http://toujiki.net/)にいく。ここは地域における陶磁の歴史に焦点をあてた小規模の資料館で、ちょっとあっけなかった。
次にいったのは、近くにあるセラミッックパークMINO(http://www.cpm-gifu.jp/)の一角にある岐阜県現代陶芸美術館(http://www.cpm-gifu.jp/museum/index.html)の常設展「井田照一展 :土に挑む」と企画展「岐阜県陶磁器試験場の100年展:人間国宝 加藤土師萌・加藤孝造を輩出した試験研究機関のあゆみ」。常設展と企画展が違ったのかと最初思ったのだが、ウェブページには先に記した通り。
私は、もちろん、陶芸は門外漢もいいところだが、現代アートのジャンルのうち、土を用いたアーティストの作品について、個人的な評価は低い。
その理由はふたつあって、器としての陶磁器そのものは普段使いのものから芸術作品まで幅広くあって、こうした器としても利用可能な作品についてはアートを感じる。それは、大量生産の品物と一品製作であり、熱やその他の要因によって引き起こされる偶然性がきらめくものが含まれている。大量生産の品の多くは期待できないものの、デザインとして優れた大量生産の品というのもアートになりうるだろう。しかし、器として使うことを前提としないような作品、いわゆる現代陶芸作家の作品の多くがこれだが、これは、いかがなものだろう。わたしは、疑問符つけたい。
ふたつ目の理由に移っていくのだが、造形の素材として、木彫であったり、石彫であったり、はたまた、大理石やメタルを使ったもの、これらのバリエーションとして、陶芸作品もあり得るのだが、アーティストによって計算され尽くして固まりから削り出されてくる、あるいは、素材を組み合わせて作られてくる陶芸以外の作品には、アーティストの天才を感じるのだが、陶芸の場合、なんとなく気持ちが落ち着かないのだ。それは、器について認めた「熱やその他の要因」が働いていることと、もうひとつは、素材そのものの力が今ひとつ人工的なものと感じるからではないか。もちろん、メタルはそれに近いもので、メタル素材を使う作品はどうか、という所なのだが・・・。
ま、これ以上にうまく説明できる器量は持ち合わせていないので、この辺りにしておくが、この後に見る「織部」のひょうげた味わいにはとても現代陶芸はかなわないのではないかと思った次第。
それから、ついでに、この建物は建築家の磯崎新の設計によるもので、自然地形と植生に配慮したものとなっており、地域の陶磁が建築物の装飾に使われている。しかし、美術館は、とくに、「常設展」の動線がつかみにくい構造になっていて、いかがなものか。これは、建築ではなく、展示の問題かもしれないが、建物の上階と下階の両方にまたがり、いささかわかりにくい。展示の問題だけではなく、施設の配置の問題もあってこのようなことになったのだろうと思われる。巨大なパティオが水と陶板をつかって構成されていて、おそらく、これが斜面の地形を活かしているということなのだろうが、これまた、好きずきだろうな。
最後に行ったのは、「土岐市美濃陶磁歴史館」(http://www.city.toki.lg.jp/wcore/hp/page000000600/hpg000000536.htm)と「織部の里」(http://www.city.toki.lg.jp/wcore/hp/page000000600/hpg000000571.htm)。「土岐市美濃陶磁歴史館」では、特別展『美濃桃山陶の生産:茶陶の流行と窯場の個性』(http://www.city.toki.lg.jp/wcore/hp/page000006800/hpg000006796.htm)が開かれていて、瀬戸黒・黄瀬戸・志野・織部を総称していう美濃桃山陶に焦点をあてて、その歴史的な流れに焦点が当てられていた。 考古学的な資料で窯場の違いもふくめて展示されていて、歴史館から徒歩5分ほどの「織部の里公園」にいくと、復元された窯や窯跡を見ることができる。

今日は、墓地の継承手続の話しを聞きに、妹と東大谷の墓地事務所に行った。手続はなかなかめんどうなものだ。時間を急く訳ではないが、印鑑証明やら原戸籍を必要とする。追々進めることにしよう。4月頃に納骨しようかと、その手続の話しも聞いた。その後、小雨の中二人で久しぶりに墓参。先頃なくなった両親も最近数年は出かけていなかったようであるし、地衣類が墓石についている。少し掃除をしたがそのぐらいではきれいにならない。少子化の時代、墓地や仏壇などは、どうなるのだろうと、我がことながら考えてしまう。
四条通にある何必館・京都現代美術館に立ち寄る。先日、赤瀬川原平の『個人美術館の愉しみ』(光文社新書)を購入して、まだぱらぱら読んでいるだけだが、その中にこの美術館があったのをふと思い出した。この美術館は建物もとても興味深い。避難経路がよくわからないのは今風でないが、一部屋ごとの展示室そのものも面白い。なんと言っても、5Fの光庭と茶室がすばらしい。
開催中の特別展は、「 ドアノーの愛したパリ ROBERT DOISNEAU 展 」。パリの下町を歩き子供たちや庶民の姿を写したモノクロームの写真からも色彩や街の匂いが漂ってくるようだ。
何必館・京都現代美術館:http://www.kahitsukan.or.jp/frame.html
その後、先斗町をずっと入ったところの豆腐料理の店で昼食をとった。妹とこんな長い時間一緒に待ち歩きをするなど絶えてなかったことだ。
午前中、宿で本を読みながらゆっくりしたあと、昼頃になって動きだし修善寺の街に車を止めて散歩をして、これまでも何度か言ったことなる、蕎麦の「朴念仁」で昼食。桜エビのかき揚げの天もり蕎麦を食べる。比べて悪い画前日の昼とは大違いだった。桜エビのかき揚げもサックとして軽くあがっている。
14時ごろ、
松崎にある「伊豆の長八美術館」に向かう。峠を超えたあとは海岸沿いの西伊豆のドライブベ1時間ばかり。
伊豆の長八美術館は、松崎出身の左官職人の長八の作品を集めたもの。鏝絵、あるのは知っているしどんなものかを知っていたつもりであったが、ちょとこれは、目を見ひらかされた。階層からつくった膠と土などを混ぜて作る材料を使って作る、漆喰これを盛り上げて造形するのに左官の使う鏝、これを細かい細工のために各種のサイズを用意して用いる。漆喰で造形したあと、彩色して作るらしい。なまこ塀も同じ職人の仕事らしい。
漆喰で彩色して描く西洋のフレスコ画とも比べられるものらしい。現在では左官のこうした技術も必要とされることも稀で、技術伝承することも困難な状況にあるようだ。この美術館を建設するにあたっては全国の左官組合が協力してできたらしい。なまこ塀がなかなかユニークな建物だ。
http://www.izu-matsuzaki.com/cyouhachi/cyouhachi.html
友人のKSが招待券を送ってくれたので今日、行ってみた。
率直な感想としては、ポロックの絵画史としては、初期はシケイロス、ホアン・ミロの影響をうけて、パブロ・ピカソとの葛藤に明けくれるようにみえる。唯一、ポーリングやドロッピングなどといった新しい手法の中で、抽象絵画のエポックを築いたというのがポロックの人生だろう。46歳の死というのはいささか突然で、何があったかと思ったが、晩年は描けていなかったらしい。
門外漢が言うのもおこがましいが、ほんの数点をのぞき、ポーリング/ドリッピングの偶然性を加味した描法は興味深いのだが、ピカソを果たして超えることが出来たのか。計算され尽くしたピカソらしさを考えると、ポロックのそれは、意識した描き方であったのか。
ほんの数点というのは、ホラーバキュイのように空間を色彩で埋め尽くすような描法ではなく、黒色でポーリングやドロッピングをしているまるで前衛書道を見るような描き方は大変興味深い。前衛書道とポロックの関係は明らかではないらしいが、それはそうとしても、逆にポロックのオリジナリティを考えてみれば、どうだったのだろうか。
私としては、かれの精神科医へのカウンセリングのための彼の心象風景を移したようなスケッチとか、アメリカ先住民のモチーフととった、あるいは、シケイロスを意識した作品の方が、興味深いのだが。べつに、かれは、ヨーロッパの抽象表現にむかう必要はなかったのではないのか。むしろ、そのことにとらわれてしまったポロックにことを思うと、かれの46歳で失われた命の回帰が、もし、再び先住民表象との連関にむかったとしたら、とあり得ない命を考えてしまう。
いずれにしても、刺激的な美術展であった。地下街から県立美術館にむかう人の流れがあって、これがポロック展にむかうのであれば、これは、まいったと思ったが。幸か不幸かそうではなかった。比較的じっくりとほかの鑑賞者との距離を持ちつつ鑑賞することが出来た。これはよかった?悪かった?
奈良の両親のところに行く前に、招待状をいただいたのでタイミングを見計らって行こうと思っていたのだが、期せずして絶妙のタイミングとなった。
梅棹忠夫民博初代館長は、知の巨人。探検、フィールドワークを踏まえて社会システムを分析し、分析のための方法論も明らかにする(『知的生産の技術』)、さらに、分析は、文明論に至る(『文明の生態史観』)。大阪万博の跡地に国立民族学博物館を創り上げ、初代館長となる。
昨年7月、梅棹氏は逝去されたが、今回の特別展は、「梅棹忠夫」の知的生産のすべてを展示しようとしたもの。フィールドノートや写真が多いので、モノを展示する民博としても異例の特別展であると思う。
近くの(とはいえ、両館の連絡はもちろんなく、最寄駅からもどちらも遠い)吹田市立博物館に行って、須藤健一現・民博館長講演会に出席した。これは、吹田市立博物館で開催中の「千里の道は世界に通ず:梅棹忠夫写真展」に合わせた企画で、講演後には、小山修三吹田市立博物館館長との、対談もついた。
民博特別展「ウメサオタダオ展」: http://www.minpaku.ac.jp/special/umesao/
吹田市立博物館「千里の道は世界に通ず:梅棹忠夫写真展」:http://www.suita.ed.jp/hak/moy/moy1.html

先程のアップの前半の続き。
昼前、JBが宿の部屋に訪ねてきてくれて、まずはお互いの近況報告。
JBはニューギニアから2週間の鉱山会社のコンサルタントの仕事から、前日に帰ったところ。このところ、短い契約仕事が多いこと。かれは、アジア・太平洋研究所のリサーチ・フェローだが、それも金を持っているからのこと。こちらはプロジェクトが始まってその内容を告げる。
次の話題は、コンピュータ関係のもの。彼は、むかしから、Windows一辺倒で、マルチプラットフォームに拘る必要がないという論者で、.NETとVisualFoxProを使った開発を続けてきた。しかし、Win_XP以来のMicrosoftのOSのバージョンアップ、.NETのバージョンアップなどの変化にいちいち対応するのが次第に難しくなったとのこと。お前もそうだろうというから、そう、こっちもJavaで同様の問題を抱えていると。
だから、次のバージョンは、Script言語とSQLを組み合わせるかもしれないというと、かれもまた、同じようなことを考えているという。しかし、彼の仕事は、私のような定収入があって外部研究費をとっている状況とは違っているので、集中して開発ができないと。その話の続きは、定収のあるものは授業や様々な管理業務が付いてきていて、仕事に割く時間は時間は限られていると・・・。
12時半頃になったので、昼食は、彼が車に乗せてくれて食べに出る。旧パーラメントハウス近くの「Pork Barrel」(http://www.porkbarrel.com.au/)というカフェ。
JBによると、隣接する「the Robby」レストラン(http://www.thelobby.com.au/)は、議会に近いので新聞記者や議員たちのたまり場で、記者たちはせいぜい言論の弾丸を議員に向かってぶっぱなしたのだそうだ。また、このレストランで長話しすぎて議会での論戦に遅れて、そのために首相の座を棒に振ったものもあるのだという。
彼はカレー3種というレンチメニューを選んだので、話がカレーに集中した。まず、まずいイギリスの料理の幅を広げたのは、インドを植民地支配したからだと。その結果として、カレーがイギリス料理の中に入ったとの説をいう。
それに、私が追加して、日本のカレーは、明治維新以降、文明開化の象徴の一つでイギリスからもたらされたもので、これは、インドカレーとは似て非なるもので、カレー味のシチューとでもいうもので、カレーライスという、と披露した。
すると、今度は、ライスの話に転じて、以前、ニューギニアで老人にインタビューしていたところ、現女王陛下の1953年における戴冠式に、当時、イギリスの植民地下にあった各植民地がその規模に応じて、閲兵の部隊(軍や警察)をだした。インフォーマントの彼はニューギニアから送られた24人の警察官のひとりであったことがわかったという。
そして、彼は、船に載せられて、オーストラリアのブリスベーンでオーストラリア軍と合流して、インド洋、スエズ運河を経由してロンドンに到着。かの女王の閲兵及びパレードにのぞんだのだという。そして、そのイギリス体験を聞いたところ、あんなまずい料理を食べたことがない。コメがないなんて、と言われたのだそうだ。
何がうまい、何がまずいというのは、全くそれぞれの地方によって異なるものであって、とくに、何かが欠損している場合の結論には、いかんともしがたいものがあるなあという。
そのあと、国立肖像画美術館(http://www.portrait.gov.au/site/index.php)に二人でいって、彼も初めてであるというので、結構、じっくりと見て入った。
彼の説明が加わったので、知らない人物もまた興味深く見ることができた。この美術館のコンセプトとしては、オーストラリアの成立から現在にいたるまでのオーストラリアの成立から現在にいたるまでの人物を時系列ではなく、むしろ、業界別といったカテゴリーでならべてあっておもしろい。例えば、画家たちは自らの肖像画を中心に集められている。アボリジニ関係とか、研究者関係とか、スポーツ関係とか、政治関係とか、オーストラリアの成立に関わる人達であるとか・・・。
さらに、国立美術館のアボリジニ展示を見ていたKSと合流して、今度は、歩いて2ブロックほど先の国立文書館(National Archives: http://www.naa.gov.au/whats-on/exhibitions/index.aspx)で「Frank Hurley: Journeys into Papua」という写真展を見た。1920年代にパプアニューギニアでの貴重な写真が展示されている。これまた、JBが一緒だったので、写真に映るそれぞれの場所の現在を知っている彼のコメントが聞けてこれまた、大変面白かった。
JBとは、駐車場でわかれ、KSがニックの車に乗ってきていたので、近くのKingstonのカフェでお茶をして、酒屋でビールを買って、NPの家に行く。
まずは、ビールを飲みながら、今年の恩師を囲む旅行の打ち合わせ、ゴールデンウィークの連休中に1泊2日で高野山行きを企画しようということになった。さてうまくいくか。
続いて、YBがFacebookにアップしている写真をみせたり、わたしがBook Launchの時にとった写真をNPに見せた。
19時の待ち合わせにむけて、NP宅を出発。洗練された待ち合わせは5-10分遅れていくものだとか。我々3人は5分遅れ、まもなく、8分遅れでHMも現れた。みんな、洗練されているのだ!、と。

今年の4月にできたヤマザキマザック美術館に始めて行った。
この美術館は名前の通り、世界最大級の工作機械シェアをもつヤマザキマザックの会長の山崎照幸氏の個人コレクションを公開するもので、館長はご自身が務める。氏の現役時代、海外出張の無聊を慰めるのが美術館めぐりであったという。
公開されているのは、18世紀のロココ以来、20世紀半ばまでのフランス絵画のコレクションで、小品を中心に素晴らしい。と言って、素人目に見てという事ではあるが。また、アールヌーボーの家具やガラス器のコレクションも展示されている。こちらも、ガラス器だけのコレクションは見るが家具も含めるとなるとどうだろう。運動としてのアールヌーボーがよくわかる。
ビルの四階と五階が展示スペースにあてられていて広くはないが、その展示スペース自体もまた一見の価値ありだ。
となりのビルには(といって、同じ敷地内だが)、ヤマザキマザックの展示スペースがある。工作機械が展示されていて、実際に稼働している。インダストリアルデザイナーの奥山清行氏のデザインになるスーパーカー、工作機械が削り出したものも、展示されている。無骨なままの工作機械というイメージではなくデザイン的にも優れているマザーマシンというのは、とてもいいイメージだと思う。
建物を出て地下鉄に乗ろうとしたら声をかけられた。一期生のYYさんだった。それこそ十年ぶりであった。彼女はいま美術館の一階にあるカフェ「Tope」のマネージャーをしているとの事で、店にもどってコーヒーをいっぱいご馳走になりながら近況を聞かせてもらった。近いうちの再会を約して別れた。いやあ、ビックリした。
ヤマザキマザック美術館:http://www.mazak-art.com/
今日の午後、岡崎に行ってきた。6月に恩師を囲む旅行の幹事になったので、二日目の場所の検分に行った。ウェブで観光協会の資料で調べるとちょっと魅力的に響いたのだが、しかし、現実は少し違う。「岡崎宿の27曲り」というのが売りなのだが(城下町の町並みは鍵状に何度も曲っているというのだが)、近代的な町並み整備は、全くコンセプトは違う。まっすぐ、グリッド状に道を通す。道幅も当然大きい。
まったく、城下町のそれではない。道路標識も完備されていない。岡崎市内の神明社の祭礼で山車が出ていたので、途中少々気が紛れたのだが、でも、これも、東海道の街道をたどるものとは違う。
岡崎市中、現代の東海道である1号線が横切っていて、当然のようにクルマ中心である。横断歩道もあるわけではなく、バリアフリーではない。これに、市中が分断されることになる。百歩譲って、これはしょうがないとしよう。せめて、道しるべをもう少し分かりやすくしてはどうだろうか。
岡崎宿の外れの八帖村(はっちょう)むらの八丁味噌の味噌蔵2軒の間を「東海道往還」がとおる。唯一、風情が残るところで、NHKの「純情きらり」の舞台になったようだ。今日の散歩の中で、岡崎公園(岡崎城趾)から八帖にかけてが、それらしい風情があったところだった。まあ、しょうがない。でも、もう少し工夫があってもよさそうなものだ。
今日の午後、京都で会合があったので、早めに出て、相国寺承天閣美術館に「柴田是真の漆絵」展を見てきた。
柴田是真は幕末から明治にかけての漆芸師で、この美術展はアメリカ・テキサス州のサンアントニオのエドソン夫妻のコレクションを主体にしたもので、振り文句としては、伊藤若冲につぐというのだが、伊藤若冲もまた国内もさりながらプライス夫妻のコレクションが著名で、いずれも、海外で見出されて凱旋した作家というところが、なんとも寂しいのだが。
しかし、柴田是真の真骨頂はいうまでもなく漆芸で、墨絵などはあまり好みではないが、同じ絵でも漆を使ったものは目を見張る。もちろん、漆芸そのものももちろんだが、「もどき漆器」というのがとても素晴らしい。手にとることができないのが残念だけれど。陶器や金属器に見せかけた竹や紙に漆をつかって、あたかも、本物のように見せる芸当は、すばらしい。若冲にしても是真にしても、職人的な技工というのが麗しいと思う。
今出川に戻る途中、冷泉家の節句の飾りでオープンしていたので初めて覗いてきた。むしろ、質実な建築で建物の背後にある蔵づくりの建物に定家以来の伝来の文書があるとは・・・。