中沢 新一,波多野 一郎、2008、『イカの哲学』、集英社(集英社新書 0430)
本書は、特攻隊の生き残りで、戦後スタンフォード大学に学び、在野の哲学者となったが、47歳で早世した波多野一郎の「イカの哲学」を再録し、これに、中沢新一が長い解題をつけたという体裁になっている。
「イカの哲学」は、波多野が学生時代の夏のバイトで大量に捕獲されるイカの処理を仕事にした事によっている。大量のイカが漁船によって捕獲され、モントレーの港に陸揚げされる。波多野の仕事は、このイカを大量の小売りの入った水で洗っておく事である。彼よりもあとで出勤してくるほかの者が包装したり、冷凍したりする。
波多野は、大量にとられ、処理しなければならないイカの「人生」について考えた。何のために生きてきたのか。人間に食べられるためだけにか?いや、そんな事はない。彼自身は、特攻隊としての訓練を受けたときに、自分の人生について考えていた。自分は何のために生まれてきたのか、特攻して死ぬためかと。そのとき、彼は、自分が子孫を残さず特攻隊員として死んで行く事を彼は唯一悔やんだ。
彼は、その後生き残り、大学で哲学を学ぶ事でその答えのひとつを見いだそうとした。その事と、イカの「人生」が結びつく。生きるという事、そのものの中で。
中沢は、エコロジーと平和学を結びつけてイカの哲学を語る。イカを人間の食べ物として物象化してとらえるのではなく、イカを実存として心を持つ存在としてとらえる事の重要性を指摘する。人間の心とイカの心はずいぶんと違うし、人間にとってイカの心を理解する事は困難ではある。しかし、人間が世界を見ているのと同様、イカもまたイカなりに世界を見ているのだ、相互の理解は困難であるとしても、その事は、共通のものであるのだ。世界に生きとし生きる者はすべて、そのようである。エコロジーというのは、畢竟、すべての存在が対等の関係を取り結ぶ事であろう。これが、平和学の原点ともなる。他者を理解する事は困難ではあるが、他者も他者なりに自己と同じく世界を認識し生存しているという点の理解は、エコロジーの原点であると同時に、平和学の原点にもなりうるだろう。
3月2日のオーストラリアへの出発の少し前に読了していたのだが、記録するのを忘れていたので、これを書き、該当の日付に登録する事にする。

2008-02-29 23:54:38 |
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名古屋市美術館の帰り、住吉町の「富士屋」で夕食。ふぐの薄造り、メバルの煮付け、海老しんじょう、里芋の煮物、季節の天ぷら。明太子茶漬けとジャコ丼。
今日はあいにく、頼んだものが既に品切れになっているものが多く、ちょっと残念でした。
レイト・フライデイの名古屋市美術館にいってきた。8時までという事で、7時少し前にはいったのだが、結構な人ごみだった。人の頭越しに見る事になったのだが、「富嶽三十六景」は比較的大きなサイズだが、ほかは小さく、また、色あせを防ぐためにライトダウンされているのでいささかつらい。それで、人の流れよりも少し速く移動して、後は図録で見ようと言う気になった。
ざっと見て、別段、北斎についてコメントする資格もないのだが、やはり、画法の多彩ぶりと長命の作家だけに数多くの作品が残されているという意味でも、ほかに例を見ない事がよくわかる。長崎のカピタンが依頼して北斎工房が制作した作品がヨーロッパに多く残されているとの事だが、なぜ、カピタンが北斎に依頼したのか。ほかにはいなかったのか、謎解きが欲しかった。シーボルトが残した著書の日本に関する図が北斎工房のパクリ臭いというのがわかって、これも興味深い事であった。
北斎の経歴のなかで、洋画をまねようとした時期があったようだが、逆に、言うまでもなく、北斎ら江戸の絵画にみられる表現方法(あるいは、構図)をヨーロッパの画家たちが取り入れていった事はよく知られていて、こうした事について、もっと知りたいものだ。
名古屋市美術館「北斎」展:http://www.art-museum.city.nagoya.jp/tenrankai/2007/hokusai/index.html
今夜は、池下「浅野屋」で夕食。平日とあって、客はまばら。土日はいっぱいで、平日はさほどでもないというのも大変だ。
海老フライ定食、ローストンカツ定食、チーズとクルミのサラダ、有機揚げじゃが。
今シーズン、遅れて届いたフレッシュオリーブオイル、今日も買ってきた。
豚シャブ(大根薄切り、白葱ななめ切り、舞茸、えのき茸、豆腐切り。しゃぶしゃぶ用豚ロース。ゴマだれとポン酢で、一味と七味)
八事日赤「芋んちゅ」で、卒業生二人と同僚の四人で久しぶりの会食。昔話に話を咲かせた。
沖縄料理をいろいろといただいたが、なんと言う名前であったか、ぐい飲みに泡盛や焼酎を3種選ぶ事が出来てのみ比べるという酒のメニューがあった。違う銘柄ばかり12種類飲んだ。微妙に味が違うという事がわかったが、どれが一番おいしいのかについては、まだまだ修行が必要なようで、今のところ、どれもおいしかった。銘柄を覚えるにはいたらなかった。
国立国際美術館「エミリー・ウングワレー展」のオープニング・セレモニーに招かれたので、いってきた。
エミリーの天才は国際的な美術市場ではかなりの評価となっているが、日本ではどうかといったところか。4月まで大阪の国立国際美術館で開催された後、国立新美術館で巡回展が行われるようである。
エミリーの作品は、昨年早くのサザビーズのオークションで日本円にして1億円の値付けがあった事でも知られ、エミリーは、アボリジニ絵画でも最高値の作家である。http://www.abc.net.au/news/items/200705/1931554.htm?nt
エミリー・ウングワレーは、1996年になくなったオーストラリア・アボリジニの作家で、80歳になってから彗星のようにアボリジニ絵画シーンに登場した。従来のドットペインティングと言われる中央砂漠のアボリジニ絵画に「スパゲティ」や太い絵筆を大胆に使った「ドット」で革新的な描画法をもたらした。とはいえ、彼女の出身のユートピア・コミュニティでの、インドネシアのバティック技法を用いたプリントの図柄は、エミリーの描画法の基盤を伺う事が出来る貴重な資料である。
抽象的に見える描法に現代絵画の視点が集まると想像されるが、しかし、アボリジニである彼女のコンテキストをなくしては、本質を知る事が出来ないように思われる。
国立国際美術館「エミリー・ウングワレー展」:http://www.nmao.go.jp/index.html
本展覧会に関するリンク情報は、インデックスページから順次探索していただきたい。というのも、トップページからは、「javascript::」といった文字列を採取するだけである。何が何でも、トップページからのみアクセスさせたいらしい。逆にただ、例えば、Googleで「国立国際美術館 ウングワレー」のキーワードで検索すると、ダイレクトに本展の情報に到達する。末端ページからトップページに戻れないようなページレイアウトのありがちな落とし穴なのだが、本展の案内ページもそのようになっている。一貫性のないがリンクの張り方は、どうかとおもう。
その点、国立新美術館のウェッブページは、資料的な見地も加えて構築されているようである。
http://www.nact.jp/exhibition_special/2008/Utopia/index.html
今日は、大阪の国立国際美術館のプレ・オープニングという事で出かけてきた。
オープニング・セレモニーの後にレセプションがあり、また、後輩と西梅田のハービスプラザにある「エノテカ」でちょっと飲んで帰ってきた。「エノテカ」は、ワインバーなどの半値でワインが飲めてつまみもおいしいお得な場所ではないか。
エノテカ大阪店:http://r.gnavi.co.jp/k596910/
帰宅してから、用意してもらっていたヒジキの煮物と冷や奴に納豆で軽い夕食。
仙台出張は、天候大荒れだった。昨夜の雪は今朝にはやんでいたが、風が強く、朝のうち、新幹線は運転を見合わせていたようだ。今回の出張は飛行機を使ったので、果たして飛ぶかどうか気がかりではあった。とはいえ、仙台空港のある名取市は仙台よりも暖かいのか、民家の屋根に残る雪も少なく、ともかくも、午後早くの帰り便で予定通り帰ることができた。
自宅用の土産に、牛タン、長茄子、ほやの塩辛、粒うに、ずんだ餅を買ってきた。
牛タン(塩味、本当は網焼きがいいのだろうが、フライパンで焼いた)
キャベツ、胡瓜、人参の即席漬け(キャベツを粗く切る。きゅうりを集めの薄切り、人参を四分して薄切り。出し昆布を切って加える、赤唐辛子小口切り。合わせて塩もみ。即席漬け用の押すものでしばらく押しておく)
ほやの塩辛と粒うに
仙台の長茄子
仙台出張の帰り、帰り便までの時間があったので、富沢遺跡の上に立つ「仙台市 地底の森ミュージアム」に行ってきた。
ここは、旧石器時代から弥生時代にいたる複合遺跡だそうで、2万年前の遺跡の上に長円形の博物館をかぶせたという趣向。地下水の影響を避けるために地中に壁を打ち込み、遺物に含まれる水の代わりに何か化学物質を代替させたそうだが、見たところ、何やら塩分が析出している。ま、それはともかく。
人類の進化と石器の利用や製作および当時の遺跡の自然環境に焦点を当てた常設展もある。また、建物の周辺は、「旧石器の森」として自然環境を復元しようとしている(らしい)。あいにくの積雪で、どうもよくわからなかった。展示について、石器の作り方の紹介など面白いのだけれど、何かインパクトがない。確かに旧石器から弥生の水田までの複合遺跡としてのユニークさは持っているものの、ここならではというものがあるだけではない。悪く言えば、行政発掘のアリバイ作りのための博物館、あるいは、資料館であるか。
仙台市 地底の森ミュージアム:http://www.city.sendai.jp/kyouiku/chiteinomori/
海堂尊、2007、『チーム・バチスタの栄光(上)(下) 』、[宝島社文庫] (宝島社文庫 599)
本書は、ミステリーでエンターテインメントなのだが、きわめて告発性の高い内容を含んでいる。それは、同じ著者の以下の書を読めば明らかになる。
海堂尊、2007、『死因不明社会 (ブルーバックス 1578)』、講談社:http://blog.goo.ne.jp/sig_s/e/34a81189c469e1ff0a405d2a6418356c
本書では、ほんの数カ所だけ登場するAiということば、CTやMRIなどを用いて、画像処理によって検視を行うという技術「Autopusy imaging」これが、極めて重要なキーである。主要登場人物は、狂言回しである。もちろん、本書に登場する、明確に性格が描き分けられた登場人物たちと、謎解きのプロセスは大変楽しむことができるのだが、しかし、『死亡不明社会』を読まずしては、十分とはいえない。
読者は、両書を平行して読む必要はないが、ほぼ同時期に読むことでさらに、ミステリの醍醐味を知ることができるのではないだろうか。できれば、『死因不明社会』を読んでから、本書に戻る方がよいのではないだろうか。関連する医学的知識もあらかじめ入手することができるのである。
著者は、現役(?)の医者で、ならではのストーリーとなっているのだが、そのうちは、「現役の腕」を捨てて、別の領域で啓蒙書とミステリーという組み合わせの作品を書いてもらいたいものだ。著者のストーリーテラーとしての才は、大変あるし、登場人物の描き分けも巧みである。なおさら、領域をことにしたチャレンジを望みないと思うのだが・・・。つまり、そうなれば、ミステリー作家として、本物であることが証明できる・・・、かな?
 | チーム・バチスタの栄光(上) 「このミス」大賞シリーズ [宝島社文庫] (宝島社文庫 599)海堂 尊宝島社このアイテムの詳細を見る |  | チーム・バチスタの栄光(下) 「このミス」大賞シリーズ [宝島社文庫] (宝島社文庫 (600))海堂 尊宝島社このアイテムの詳細を見る |
2008-02-22 21:59:38 |
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鴨肉のワイン煮ドライイチジクとともに(鴨肉薄切りに塩胡椒しておく。ドライイチジクをあらみじんに切って赤ワインにつけておく。オリーブオイルを熱したフライパンで鴨肉を軽く焼く。赤ワインとドライイチジクを入れてとろ火にして少々に込む)
ブロッコリーとブリのパスタ(ブロッコリーを小房に切り分けよく茹でる。フライパンにオリーブオイルと赤唐辛子小口切りを熱し、ブリの切り身を焼く。ゆであがったブロッコリーをくわえて、ブリのみをほぐしながら炒めにする。必要に応じて塩胡椒。白ワインを加えてしばし。太めの生パスタを茹でてよくあえる)
サラダほうれん草のサラダ(パルメジャーノのスライスを加えて)
温野菜のアンチョビーソース(ブロッコリーとグリーン・アスパラガスを蒸して、これに、オリーブオイルにといたアンチョビーフィレ、赤唐辛子小口切り、ガーリックをかけて食する)
豚ロース肉のソテー(豚ロース肉ブロックを好みの厚さに切って、塩胡椒、ミックスハーブ、ガーリックパウダをかけてしばらくおく、オリーブオイルで両面をこんがり焼く。柚子胡椒をつけて食する)
水菜とクレソンのサラダ(水菜とクレソンを好みに切る。本当は、香菜なんだけれど、あきらめた。塩胡椒、ミックスハーブ、バルサミコ酢、オリーブオイルのサラダ。あらかじめ炒めて油を抜いたパンチェッタのさいの目、ペコリーノ・チーズのスライス)
アサリと大根のスープ(上のパンチェッタを炒めたフライパンを使って殻付きアサリをを赤唐辛子とともに炒めて若干口の空いたところで、辛口白ワインを入れ、さらに加熱して、口があくまで。別の鍋でとっておいた鰹節だしで大根の拍子木を煮て、火が通ったところで、アサリをスープとともに加えて、一煮立ち、好みで塩胡椒。ボウルに持って、刻み葱を散らす)
メゾンカイザーのバゲット、ロックフォールチーズ、フレッシュオリーブオイル