ゴーヤ・チャンプル(本当は、豆腐を買うのを忘れたのだが・・・。ゴーヤを薄切りにして水にさらす。生椎茸を適当な厚みに切る。ショウガとトウガラシを油で炒め、ブタ三枚肉を入れて炒める。椎茸、ゴヤを入れて炒める。仕上げに溶き卵を入れる)
レッド・オニオン・サラダ(レッド・オニオンを薄切りにする。水にしばらくさらす。生ワカメを水に戻し、小さく切っておく。タマネギに、生わかめをのせ、カツオ削り節をのせ、シェリー酢と醤油を合わせたものをかける)
豚ロース・ステーキ(塩胡椒、イタリアンシーズニングをかけた後、タマネギの薄切りをまぶしておく。30分ほどおいて、オリーブオイルにガーリックペーストをいれ、豚ロースを入れて、焦げ目が付くまで約。タマネギを入れてあわせて炒める)
ブロッコリーパスタ(リンギーネとブロッコリーを一緒にゆでる。ざるに移して水を切り、オリーブオイルをかける)
トマトと卵のスープ(プチトマトとドライトマト、コンソメキューブを入れ、煮る。タマネギのみじんやガーリックペースト、塩胡椒で味を調える)
初めて、DVDソフトを買った。
ニュージーランド女性監督のニキ・カーロの作品で、2002年トロント国際映画祭観客賞、2003年サンダンス映画祭観客賞、2003年ロッテルダム映画祭観客賞。76回アカデミー賞主演女優賞最年少ノミネート、ケイシャ・キャッスル=ヒューズ主演、という勲章を持つ。
この映画を見て、アボリジニの映画をプロデュースしたくなった。
映画は、ニュージーランド・マオリの伝説上の人物「パイケア」という最初にこの島にやってきたクジラにのる勇者の神話と、現代のマオリの置かれる状況とがドキュメンタリーのように描かれている。
マオリの首長の家系であり「パイケア」の直系に生まれながら、事情があって、一人生き残った少女「パイケア」と首長である祖父の葛藤と理解が主たるモチーフである。
マオリの現在について、知ることは少ないが、映画の中に描かれる彼らは、伝統を学ぶことをせず、老人たちも、鮮明な伝統の記憶を持ちながらも、それを伝承できずにいる。若者は、伝統に対して、なんの思い入れもない。少女「パイケア」の父は、重圧に負け、ヨーロッパに行ってしまって、ドイツ人の女を孕ませた。マオリのアートセンスを引き継ぎつつも現代アートを志向する父は、村で、「ワーガ」(カヌーのこと)を作り上げることができず、放置して、村を去っていた。
様々ないきさつがあって、祖父は、女である「パイケア」に望みを託すことができず、彼女を排斥して、村の少年たちに自らの後継を託すが、その望みは絶たれる。そうした中、少女は祖先のシンボルである「クジラ」を呼んでしまう。彼らは、その呼ぶ声に従って、群れごとランディングしてしまう。少女は、クジラにまたがり、彼らを海に帰すのである。
祖父は、彼女を女であるが新たな首長として認め、村に帰ってきた父とともに、「ワーガ」を完成させ、海に乗り出してゆく。マオリの復活をイメージさせるシーンでこの映画は幕を閉じる。
女性監督の目から見た、因習の男性中心主義のマオリ、しかし、生まれながら女性でありつつも未来の首長を予兆させる少女「パイケア」、それを認めたくない祖父。
この映画のマオリへの影響はどうであったのか、また、同じようなイベントを生んだのかなど、様々興味尽きない余韻を残す映画であった。
最大の影響力は、アボリジニについても、こうした映画をとりたいという思いを生んだことだった。無理かもしれないが、新たな課題を認識した気がする。
クアトロ・イタリアン、シーザーサラダ、チキンナゲット、フライドポテト。
夜8時頃帰宅したので、家にあった、乾そばをゆで、納豆・ワカメ・ネギ・黄身を、冷や盛りにのせて、薄目のたれを流し入れ。いただいた。ほかに、つけておいた、新生姜とミョウガの甘酢漬け、らっきょう、山椒の水煮、ちりめんじゃこを魚に、ビールと赤ワイン。
モード・バーロウ&トニー・クラーク、2003、「水」戦争の世紀、集英社新書。
世界人口の増加とともに、石油などの化石燃料の枯渇も去りながら、水資源の枯渇も緊急の課題である。水道水は、1リットルが数円だが、一方、いわゆるミネラルウォーターは、300円近くの価格で販売されている。ガソリンは、現在のところ、105円から110円くらいのものか。水が、これほどの価格の差がありながらも、人々の意識では、どのくらい深刻な問題と受け止められているのか。
本書では、水資源が資本主義経済の渦中に巻き込まれていって、豊かなものが水資源を独占し、貧しいものがそれを得ることができなくなると言う状況を世界の事例を挙げて、告発している。水ビジネスは、現在、もはや石油ビジネスと並ぶもしくはそれ以上に「儲かるビジネス」なのである。
人間、いや、生物は、水なしにはその生命を維持することはできない。ガソリンは、生活のレベルや移動の欲求のために、必要量が異なるのだが、水は全くそれとは異なる。それだけではなく、生命にとって、無害な水でなければならないのである。本書は、そうした問題にかかわり、告発する。
日本は、山に降った水がすぐに急流をかけ下り、海に注ぐが、海に注ぐと、無塩化のプロセスを必要としてしまうので、それまでに、十分に水を使い尽くさねばならない。かつて、様々な装置産業がない時代にあっても田畑を耕すための水利は、まさに、農民の死活問題であったが、現代においては、それ以上に、人類自体の死活問題である。
この本を読んで、何度も、背筋の寒くなる思いをした。
2004-06-27 22:13:34 |
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岐阜県の福地温泉「山水」旅館で、合宿。とにかく、これでもかと言うほどの量で、この間3食で、数キロ体重を増やした気がする。
翌日(27日)は、飛騨・世界生活文化センターで、6人で講演会をした。
青菜炒め(ブタ三枚肉、空心菜を炒めた)
昨夜の麻婆豆腐、麻婆茄子、その他。
麻婆豆腐(ショウガをサラダオイルで炒めておいたところに、豚挽肉を入れさらに炒める。細かく切っておいた白ネギを入れ炒める。あらかじめ用意しておいたたれ=甜麺醤、豆鼓醤、豆板醤、日本酒、をいれる。豆腐を入れ、すった花椒を入れる。必要があれば、塩などで味を調える)
バーボー茄子(茄子を適当なサイズに切り、油炒めしておいて、ペーパータオルなどで油を切っておく。しょうが、トウガラシ、白ネギのみじんを入れ炒める。挽肉を入れ、火をとおす。茄子を入れ、中国醤油を入れ味を調える。塩分が足りなければ、塩で味を調える)
前夜のローメンレタスのおしたし、甘長トウガラシのみそ炒め。
サワラの西京漬け(スーパーで買ってきた)
甘長トウガラシのみそ炒め
昨夜のローメンレタスの煮浸しに、オクラをゆでて加えてみた。ほかに、カツオの角煮(スーパー)
トマトの煮浸し(ダシにトマトを漬け込み、約20分ほど。しらすをかけて供す)
ローメインレタスの煮浸し(ダシに軽く塩ゆでしたローメインレタスを漬け込み、約20分ほど。適当なサイズに切って供す)
大根と手羽先の煮込み(手羽先をフライパンであらかじめ焼いておく。適当なサイズに切った大根、赤唐辛子、酒、醤油で煮込む)
ダシを取り始めて、約45分。
前夜と同じなのだけれど、前夜に入れ忘れたタマネギがキーとなる野菜であった。
鶏と野菜の蒸し煮・ブルーチーズソース(タマネギとベーコン、ニンニクピューレを炒め、そこに、昨夜の残り物を入れ、白ワインを足し、ブルーチーズを追加する。昨夜のは、ブルーチーズが足りなかったようだ。今夜の方が上々であった)
桜エビのトマトソース・リンギーネ(桜エビをニンニク・ピューレとオリーブオイル、赤唐辛子で炒め、そこに、トマトソース=昨夜の残りを入れる。赤ワインを入れ煮込む。残念ながら、桜エビは、トマトソースに負けてしまった)
鶏と野菜の蒸し煮・ブルーチーズソース(Danchuにのっていたレシピ、心ならずもアレンジしたが、これもまた。パプリカ・ナス・ゴーヤ・白アスパラガスを適当なサイズに切りそろえる。トリを皮の方から焼き、一時取り置く。野菜をオリーブオイルで炒め、塩胡椒する。トリを戻して、水を差し、ふたをして蒸し煮にする。できあがったところで、バットにあけ、残った水分にブルーチーズと生クリームを入れて一煮立ちさせる。鶏と野菜を皿に取り、ソースをかけ回す)
リガットーニ・パスタのトマトソース
今日は一橋大学佐野書院ホールで若い友人を偲ぶ会があって、上京していた、往路はちょうど昼時で名古屋駅のJR高島屋のデパ地下で天むすのお弁当を買って、車中で昼食。帰りは、これもまた、ちょうど夕食時で、東京駅で穴子寿司とビールを買ってすませた。
堀井秀之、2004、問題解決のための「社会技術」:分野を超えた知の協同、中公新書
著者は東大工学部で社会技術論を講じていて、本書において社会問題の解決に焦点を当て、その解決策である「社会技術」というあたらし概念を提示している。著者の言う社会技術とは科学技術システムだけではなく、法制度や経済制度、社会規範などすべての社会制度システムを包含しているという(iii)。また、活用できる知を総動員し、文理融合的な全体像把握を目指し、そのためには「構造化」と「可視化」が重要であるという。
著者は、小宮山宏(東大副学長)をヘッドとする「社会技術研究グループ」のメンバーで、この共同研究については、以下のサイトに見ることができる。
http://www.ohriki.t.u-tokyo.ac.jp/S-Tech/M1/
また、このサイトでたどることのできる、問題構造の可視化に関して、「知識構造ビューア」が大変興味深かった。それは、以下のサイトに見ることができる。
http://www.ohriki.t.u-tokyo.ac.jp/S-Tech/M1/group_soukatu/EDPDBV_1.10/html/index.html
ただ、残念なことにこのビューアはこの研究グループがまとめた地震防災をテーマとしたものについてであり、多様な知識の「可視化」のための汎用的な「ビューア」の技術が公開されていないのは、残念に思われる。
いずれにしても、現代社会は、社会問題の要因は複雑であり、様々な要素が絡み合って単純なインプット・アウトプット系で記述できようもなく、その意味で、本書の指摘している社会問題解決のための社会技術の必要は理解できるのだが・・・。社会問題解決のためのアプローチに関する様々な試みのひとつとして記憶しておこうと言うところであろうか。
2004-06-19 09:55:20 |
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