フランスのストラスブールで言語学を学んだ著者が、トルコを第三の故郷として各地を旅してトルコ民族とトルコ語しかないという政策を取るトルコ国内の少数言語を話す人々との出会いを記録したのが本編である。また、中央公論社の新書編集部(編集長と担当者)からの指摘をうけ新書は出版されたものの、草稿をもとに、新書との相違を注釈とともに冊子にしたものが補遺編である。
そもそも著者が言語学を学び生活したストラスブール自身が、アルザス地方の中心の街で、アルザス語を話す人々で、フランス国内の少数言語の地域である。同系統のアレマン語を話す人々は、ドイツ、スイス、イタリアに広がって分布している。ドーテの「最後の授業」でも知られるが、ドーテのそれは、「フランス万歳」がキーワードである。しかし、アルザス地方の人々の母言語はドイツ語系であり、政治的にはともかくも文化的にはむしろ独立性が高い。本書の中でもアルザスの人々が内地にいくとかフランスに行くと称している(自分たちの土地以外のところに行くという表現)ことが紹介されている。
そうした著者が夏休みなどの休暇や調査期間をつかって数十年もトルコ各地に旅して、少数言語の人々と出会って、様々な言語を採集していく。ヒッチハイクやバスや自転車、あるいは徒歩でくまなく歩きまわる。
私が知っていたトルコの少数言語はクルド語ぐらいのものだったが、また、クルド語がクルディスタンという地域での人々の広がり、コーカサス地方から、イラン、トルコ、イラク、シリアにまたがるというイメージはかんたんに覆される。そもそもが、このあたりの地域の言語は系統の違う様々な言語が歴史的な事情によってキメラ状に分布していることが語られる。また、宗教、回教徒でも様々な宗派があり、様々なキリスト教の宗派があり、言語や文化と宗教が一致するわけでもなく、さらには、「隠れ民族」や「忘れ民族」というのも紹介されて、更には複雑である。隠れというのは、自らの出自を明らかにしない人々、忘れというのは、様々な経緯で自らの出自を失ってトルコ民族と自称するが、実は彼らの話す言語の断片から著者はもともとの言語を指摘するのだ。
しかし、トルコ政府の民族や言語についての政治的な立場はトルコ国はトルコ民族とトルコ語からなっていて、例えたような言語があろうともそれは、トルコ語の方言に過ぎないというものである。著者はついには国外退去処分となってしまう。その後、どうなったのだろう。
ただ、本書を読んでよく理解できなかった点は、なぜ、トルコの外交官であるY氏の車に同乗してアンカラからフランスのリヨンまで旅し、彼とトルコの少数言語について話したのだろう。確かに、彼のような調査手法を取り、トルコのような言語政策が行われているという状況からすると、調査の成果を論文として公開していくことの困難があり、ある種の切羽詰まった状況がそのような行動につながったのだろう。結果として、トルコ政府の形式的な「お墨付き」をえて、秘密諜報員らしき随行員付きの調査行が行われたのだが、それも、最後までできずに追放処分になってしまった。
さて、日本でもつい最近までアイヌが置かれていた立場はどうであったか。また、琉球の人々はどうであったか。さらには、国語教育やNHK標準語の浸透によって、方言話者の立場はどうか。著者が教鞭をとる名古屋にある大学では様々な方言地域からの学生が通学してくる。愛知県内だけでも大きくは尾張弁と三河弁は違う。それぞれにはさらに小さな地域的な違いもある。また、三重弁や美濃弁はことなる。三重県から近鉄で通ってくる学生から聞いた話では、近鉄では地元の友人達と三重弁で声高に話しをしているが、名古屋駅についてドアがあくと、学生の標準語(名古屋なまりだが)に切り替えるのだと。それでも、言葉の端々にはなまりがのこる。三河の学生もおそらく同様なのだろうと思う。日本ではトルコとのような露骨な言語政策はないと思うが、それでも、情緒的な「中心と周縁」の意識差が、方言と標準語を使い分けさせることになってしまうのだ。
私の研究領域からも本書の語るところは非常に重要な意味を持っている。植民国家における先住民言語の扱いの問題、危機言語(消滅の危機にある言語)の問題、先住民言語の共通語化の問題(先住民言語間においても、様々な課題があるということ)、複数言語併用教育の問題、言語だけでなく文化をどのように維持するのかなどなど、あげればきりがないぐらいである。本書に刺激を受けたことによるのみならず、今後とも言語や方言の問題について強く関心を持ち続けていきたいと思う。
もう一冊『漂流するトルコ―続「トルコのもう一つの顔」』も、注文した。