江南のおばあちゃんからいただいた松茸、第二弾。
松茸のパスタ(松茸を薄く一口に切っておく。タマネギを薄切りしておく。フライパンにEVオリーブオイルで赤唐辛子を炒め、タマネギを加えていためる。しんなりしたところで、松茸を加えて炒める。白ワインとパスタのゆで汁で、ふたをして蒸し煮する。牛乳を少々加える。塩胡椒。アルデンテに茹でたリンギーネをからめて大皿に盛る。葱小口切りを散らす。EVオリーブオイルオイルをかけて食す)
セルバチコとトマト、マッシュルームのサラダ
メゾンカイザーのバゲットとウォッシュチーズ
佐々木 俊尚、2008、『ブログ論壇の誕生』、文藝春秋 (文春新書)
アメリカの新大統領としてバラク・オバマが当選を決めて約一ヶ月、予備選以来彼のとってきたインターネット戦略は無党派あるいは草の根を掘り起こすことに成功した。SNSやブログを活用して、これまで政治に無関心にみえていた階層をネット戦略を通じて掘り起こすことに成功したし、寄付金集めでも従来のような大口寄付者ではなく、多数の小口寄付者からの寄付をネットを通じておこなった。インターネットの中のヴァーチャルな大衆を現実のネットワークと結びつけることに成功したと言えるだろう。もちろん、おそらくは始まりにすぎないのだろう。
イラク戦争などの報道でも、ブログジャーナリズムは既存のメディア報道を突き崩したし、インターネットに潜在する新たなジャーナリズムは、既存メディアもすり寄らざるを得なくなっている。例えば、NYタイムズ紙は有料サイトを撤回して無料化したし、また、メディア王のマードックはいち早く、メディアとしてのインターネットの可能性を嗅ぎ付けて模索しているらしい。
Wall Street Journalサイト無料化へ メディア王マードック氏公言:http://toshio.typepad.com/b3_annex/2007/11/wall-street-jou.html
日本のマスコミではどうだろう。本書は、「毎日新聞低俗記事事件」や「志位和夫の国会質問」、「トリアージ」、「ケータイが生み出す新たなネット論壇世界」、「青少年ネット規制法」など、ブログジャーネリズムのトピックを取り上げながら、日本におけるブログジャーナリズムの動向について触れている。著者の言う「ブログ論壇」とは、「発言のほとんどはペンネームで行われ、従ってその社会的地位はほとんど問題にされない。そしてマスメディアがタブー視してきた社会問題に関しても積極的な言論活動が行われている。その発言が無視されることはあっても、発言内容を理由にネット空間から排除されることはない。その中心にはブログがあり、2ちゃんねるのような掲示板があり、ソーシャルブックマークがある」。
そして、17-8世紀西欧市民社会のコーヒーハウスやカフェ、サロンにおける討論が世論を形成したが大衆社会の成立とともに、エリートによる討論による世論形成が解体し、知識人によるアカデミズムと大衆世論を集約する機能を持つマスメディアに分断されていった。「ブログ論壇」の誕生は、「分断された公論の世界を、再びひっくり返してそこからかき混ぜてしまう可能性をもっている」、という。
しかし、ネット論壇のオープンな性質は、自由なタブーな気議論を可能にしていると同時に、「個人に対する誹謗中傷や嵐、と言った『衆愚化』をどうするか」、また、「サイバーカスケードと言われる言論のなだれ現象」をどうするか、すなわち、同質なものどうしが同じ掲示板、おなじネットコミュニティにあるまり、意見をことにする人との出会いがおきにくくなり、「民主主義の根幹である『多様な価値観を共有する』『違う価値観の人間も認めあう』という理念を破壊してしまう」、ことになる現象をさす。そして、ネット論壇が「どのようにしてリアルの世論とつながり、政治や社会を変える原動力となっていけるのか」が課題であるという。
その意味で、アメリカの大衆政治は、オバマの選挙戦略を通じてひとつの可能性を示したと言えよう。つまり、「Yes, we can」という訳だろう。しかし、これも、ポリティカル・アポインティたちの座席指定が終わった段階で落胆をうみ、ネット社会が、「Yes, we can't」という結論になるかどうか、しばらくは見ておかねばならないだろう。さらに、長期的には、ネット論壇がどのように推移するのか、アメリカ、日本、韓国、ヨーロッパなど、地域ごとにおそらく異なってくると考えると、まだまだ中止していく必要があるだろう。
なお、本書には著者の選んだ著名ブロガーリストがあって、私自身のチェックしているブロガーたちとの相違を見ていくのも面白かろう。
2008-11-30 13:01:43 |
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隔月の研究会の後の懇親会。今回は院生の参加が多かったようだが、いつもは、そうではない。毎度、たくさんの参加があるといいのだけれど。
星ヶ丘「しき」はお手頃な値段で、大皿料理ほか、様々なものを味わうことができる。最近は、おやじさんをみることが減ったが、息子が跡を継いでいるようである。
今晩は、池下「浅野屋」久しぶりに行った。すると店の隣の一角が更地になっていて、駐車場になるそうだ。久しぶりと言ってもここ一ヶ月ぐらいのものだが、えらくかわっていて、びっくりしてしまった。
鴨と茸のサラダ、胡桃とチーズのサラダ、おろしトンカツ定食、メンチカツ定食。
主人おすすめのイタリアワイン。なんとかいう地ぶどうがブレンドされているとかで、なかなか、香りよくおいしかった。
「キムチ鍋」の残り汁を使ったリゾット(一昨日のキムチ鍋の残り汁を冷蔵庫にとっておいた。これを使ってリゾットを作る。フライパンにEVオリーブオイルを入れて生米を絡めて軽く炒める。白ワインを注ぐ。ローリエと赤唐辛子小口切りを少々、塩を少々、好みで。暖めておいたキムチ鍋の残り汁を加えて米がアルデンテになるまで煮詰めていく。パルメジャーノチーズをおろしてかけ、イタリアンパセリを粗く刻んだものを振りかけ、EVオリーブオイルをかけて食す)
スズキのバター焼き(スズキの切り身をあらかじめ塩胡椒しておく。フライパンにEVオリーブオイルを入れて両面焼く。仕上げにバターを入れて香りをつける)
サラダほうれん草とブロッコリースプラウトのサラダ
ラム肉のラーブ(ラム肉を一センチほどの幅に切っておく。タマネギを薄切りしてみずにさらしておく。ボールに、香菜、バジルを刻んでおく。水にさらしタマネギをざるにとって水切りして加える。レモングラスを細かく小口切りする。ニンニクみじん切り、赤唐辛子小口切りとともにフライパンでごま油で炒めて香りを出す。ラム肉を炒める。紹興酒を加える。ナンプラーと塩少々で味を整える。汁ごと、ボールに入れておいた、タマネギ、香菜、バジルに加えてよくあえる。大皿にレタス細切りをひろげておいたもににこれを広げてのせ、レタスとともに食す)
キムチ鍋(土鍋に水、出汁昆布、白菜キムチ、白菜、白ネギそぎ切りを加えて、にる。薄口醤油、ナンプラー、日本酒で味付け。あとは、豚もも肉薄切りしゃぶしゃぶ用、舞茸、えのき茸、菊菜、豆腐、くずきりをくわえて食す)
今日は振替休日だが、午後仕事。氷雨が降って冷たかった。
麻婆豆腐(白葱を縦に四分の包丁を入れ、小口切りしていく。椎茸を五ミリ角ほどに切る。中華鍋にニンニクみじん切りをサラダオイルで炒める。豚ミンチを加えてほぐすように炒める。白葱と椎茸を加えて炒める。花椒辣醤と紹興酒、濃口醤油をあわせたものを加えて、よくまぜる。溶き片栗粉を加えてまとめる。ごま油をかけ回して、大皿に盛る。香菜と花椒を散らす。花椒辣醤をつかうのははじめてだったので、塩分と辛さのバランスが悪く、豆板醤をくわえて食べた。最初から入れておけばよかったか。空心菜の塩ゆでとご飯とともに食す)
桑田忠親、1990、『古田織部の茶道』、講談社学術文庫
山田芳裕、2005-、『へうげもの』、講談社(モーニングKC)
古田織部、あいにく、彼が戦国の武将であったことと織部焼に名を残していたことをのぞき、ほとんど知識にかけていた。千利休の高名にかくれていたというべきか。私は、茶道に関心もないし、ましてや習ったこともないのだが、マンガの『へうげもの』を読んで、刮目することになった。それで、改めて古田織部のことを知りたく思い『古田織部の茶道』を手に取ったということではある。
中世から近世への革命は、社会階層が逆転する下克上の時代が引き起こしたが、その政治的な主人公、織田信長は、美の世界においても、それまでの価値観を逆転させた。信長とともに世に出た古田織部こと「佐介」もまた、時代の寵児であったというべきか。戦場を駆け、同時に茶道と茶道具に命を燃やす「へうげもの」として、生を全うする人生、最後は大阪夏の陣に関連して、徳川家康に切腹を命ぜられ、一族は断絶する。豊臣秀吉に死を命ぜられた千利休が後に名を残しているのにくらべると、いささか、気の毒な気もするが、これも、まさに「へうげもの」としての生を全うしたことになるのだろう。
「へうげもの」という呼び名は、マンガの作者が名付けたかと思っていたが、古田織部の茶会で使用した瀬戸の器について「セト茶碗ヒヅミ候也。ヘウゲモノ也」と書かれているそうで(桑田 211頁)、まこと、古田織部の呼び名にふさわしい。
なお『へうげもの』は『モーニング』誌に連載中である。
| へうげもの―TEA FOR UNIVERSE,TEA FOR LIFE (1服) (モーニングKC (1487))山田 芳裕講談社このアイテムの詳細を見る |
2008-11-24 10:10:42 |
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山田和、2008、『魯山人の美食:食の天才の献立』、平凡社新書
1998年に松坂屋美術館(巡回展)で開催された「北大路魯山人展」を見たのをきっかけに、何冊か魯山人についての本を買って読んだことがある。魯山人展は、陶器と書画が展示されていて、アーティストとしての彼に焦点が当てられていたが、その作品は、彼自身が料理の腕を振るった高級料亭「星岡茶寮」で使用するのを前提に制作されたものであったという。
買ったものの一冊が、魯山人の生誕百周年記念特集と銘打たれた別冊太陽の『北大路魯山人:美味求真の生涯』であった。こちらは、魯山人の年譜や陶器書画などの作品、器に盛られた魯山人好みの料理の写真、かれに関する対談などが盛りだくさんに書かれていて、all about Rosanjinの呈であった。
本書は、魯山人ゆかりの父をもつ作者が、その裏話も交えながら、魯山人の料理のヒントを伝えていて興味深い。魯山人の美食追求は、旬のおいしい材料を惜しげもなく求めるのは、少々無理があるにせよ、買い集めた材料を魯山人のレシピをつかって再現するのもまた、面白かろう。
本書に記録されているレシピは、ヒント満載である。本書を読む間に「すき焼き」をつくったが、魯山人が下々とする作り方であったかと・・・。ともあれ、たまには、レシピを時にはひもといてみようか。
2008-11-24 09:52:46 |
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ビーフカレー(深鍋にオリーブオイルを入れて加熱し、ニンニク荒みじんと牛もも肉シチュー用を加えて炒める。軽く焦げ目が付いたところで、一口に切ったタマネギ、ニンジン、ごぼうを加える。赤ワインとローリエを加え、一煮立ちしたところで、水を加える。30分ほど煮込む。カレールーを加えて溶かす。カラーピーマンとマッシュルームを加え、10分ほどに込む)
芋ご飯(奈良の実家の菜園でとれたサツマイモ、しばらく前にもらってきたのだが、残っていたのでつかう。よく洗って皮付きのまま、大きめのさいの目にきって新米とともに炊飯する。水加減は米の分量に従い、芋の分はない。水加減には日本酒少々が含まれる。塩をひとつまみ加える)
今日は、冬支度の買い物で長島のアウトレットとユニクロに行った。どちらも、買い物客でたいへんにぎわっていた。どちらも、年末セール前のセールで在庫を減らそうとしているようであった。
夕食は、自宅ちかくの「そめいよしの」へいった。これまで何回か予約を取ろうとしたがいっぱいでかなわなかった。カンターが10席もないくらいで、小座敷がひとつ。カウンターがいっぱいで、小座敷がたまたま空いていた。
飯と酢の加減がとても良く。また、寿司の大きさも小振りで、これもなかなか。にきりがあらかじめつけられているネタのあしらいもよい。おまかせで、肴、にぎり、巻きと用意してもらった。
アーシュラ・K. ル・グウィン、S.D. シンドラー、『空飛び猫』、講談社(講談社文庫)
アーシュラ・K. ル・グウィン、S.D. シンドラー、『帰ってきた空飛び猫』、講談社(講談社文庫)
ル=グウィンのファンタジー。羽の生えた子猫の冒険を描いた。村上春樹が訳しているが、まあ、それほど気にすることもなかろう。
主人公は4頭の羽の生えた子猫たちなのだが、彼らの生まれ育ったゴミ箱のまわりは、環境が悪くなり、母猫は彼らを追い出す。『帰ってきた・・・』の方では、彼らの町での居住環境の大きな変化が描かれるが、深読みすれば、環境問題が重要なテーマなのだけれど。
2008-11-21 23:58:46 |
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ブロッコリーとブリのバッバルテッレ(あらかじめ、ブロッコリーを小房にわけて塩ゆでしておく。ニンニクをあらみじんに、赤唐辛子小口切りをEVオリーブオイルで炒める。ぶりの切り身を焼く。ほぐす。茹でたブロッコリーをまぜてぶりとともにほぐしていく。マッシュルームを加えて炒める。白ワインを加える。塩胡椒、ミックスハーブ少々をくわえる。アルデンテに茹でてバッバルテッレのゆで汁を少々。大皿に茹で上げたパスタをあげて、ブロッコリーとブリのソースをかける。イタリアンパセリのみじん切りをのせて供する)
キャベツと豚バラ肉のシチュー(何日も煮込んでいる)