性は、性転換する魚類や爬虫類の例を上げるまでもなく、生物学的生理学的にも一意的ではないことは明らかだろう。オスとメスの両性しか存在しないわけではなく、多様な性のあり方が存在する。また、生殖目的のためには同性の組み合わせは生物としては合目的的でないにもかかわらず存在するのは、人間に限った話ではない。多様な性やセクシャリティのあり方が人間のみならず他の動物の例からも報告されていることからして、本書も生物一般に拡張したバージョンを必要とすることになるのだろう。
人間の場合などと限定することもないかもしれないが、人間の場合、性やセクシュアリティは、当然、社会的に構成された存在である。抑圧されればされるほど、あるいは開放あるいは解放されればされるほど、様々なバリエーションが生み出されていくことになる。また、かくあるべき、かくあってはならないといった規範性の裏側でバリエーションが膨らんでいく。だから、実態として、本書で描かれることが架空の話でもなく、事実であることは言うまでもない。しかし、これまで、こうしたトピックが一般書として出版されたことはおそらくはなく、ましてや、開高健ノンフィクション賞を受賞したことは、好ましく思う。
著者が自身の経験した恋人のDVから書き始めていることも興味深い。ただし、このバリエーションはSMとして、すでに様々に取り上げられる性のあり方のバリエーションのひとつと考えられるだろう。著者のケースのように一方がDV状況から脱出を願っている場合であっても、一方的な性の行使の手段としてのDVが存在しうることもまた、認めざるを得ない。これもまた、人間の社会的に構成された性とセクシャリティのあり方のひとつと言わねばならない。
人間の性のあり方を考えると途方もなくバリエーションがあって、著者は一体どのような方向に行こうとするのか、見守りたいと思う。