振替休日だが、授業日に振替え、今日は金曜日だった!最近の学生は、熱心というか、こういうときには、ちゃんと出てくる。自分自身が学生の頃は、なんで行かないかん!当然のように行かなかったのだが、最近の学生は真面目で結構!というべきかそれとも?・・・・
麻婆豆腐:添え野菜として青梗菜とグリーンアスパラのゆでたもの。
明太子とブロッコリーのクリームパスタ:バター+小麦粉をまぜて、これに豆乳を加えてホワイトソースを作る。オリーブオイルでタマネギ薄切りをいためて白ワイン+ホワイトソースを加えてゆるめて、薄皮を取った明太子を加える。アルデンテにフェトチーネとブロッコリーをゆでて、そーすにからめる
鶏もも肉のローズマリー焼き:塩胡椒+オレガノ+ローズマリー+オリーブオイルで鶏もも肉と白ネギ筒切りをマリネしておき。これを焼く
ルッコラとトマトのサラダ:江南にあるかないの祖母の畑、祖母がなくなったので、このあと、ルッコラは届くのか・・・
浮世絵名品展、広重の東海道五十三次の前半、日本橋から掛川までを見た。それぞれの宿場を題材に、縦絵と横絵では構図の違いがあり、通行人の服装や交通業者、宿場の様子が見て取れる。客引きや名物の店など当時の風俗も。
家内の祖母の葬儀が午後に江南であって帰ってきて、ひさしぶりにOsawaへ。
仔牛肉のハム
イワシのパン粉グリル
羊肉のラグーのパスタ
キノコと豚肉のパスタ:オリーブ・オイルでニンニクを炒めて香りだし。ブタ一口カツ用ロース肉を加えて両面焼く。冷蔵庫に残っていたセロリ、パプリカ、タマネギをざっくり切って加える。生ブナシメジ+乾燥キノコ(コストコで買ってきた)を戻したものを加えて炒める。白ワイン+戻し汁+トマトソースを加えて、塩胡椒+オレガノ+赤唐辛子。別に茹でていたリンギーネ、アルデンテの二分前に湯切りして加える。
トマトとモッツァレーラチーズのサラダ:バジルも
牛もも肉とブロッコリーとしいたけの中華風炒め物:ごま油+生姜みじん切りで、牛もも肉とブロッコリー+椎茸を炒める水を加えて蓋をして蒸し煮にする。花椒醤+豆鼓醤+甜面醤+紹興酒をくわえて、溶き片栗粉でとろみを付ける。
豆腐スープ:ガラスープ、ナンプラー+薄口醤油+溶き片栗粉、とろみを付ける。豆腐を加えて溶き卵を加える
鶏つみれとフキと干し椎茸の煮物:鶏モモつみれ+おろし生姜+塩胡椒+花椒+全卵+片栗粉をよく混ぜて粘り気を出しておく。干し椎茸の戻し汁+戻した干し椎茸+カツオ出汁+日本酒+ナンプラー+薄口醤油を沸騰させ、一口サイズのつみれを落として加熱。予め、筋を取って、一口にとって酢水+塩で軽くゆでて水にさらしておいたフキをくわえて、味を調える
春菊の白和え:絹ごし豆腐を水切り。当り鉢ですりおろす+ゴマペースト+薄口醤油+塩ゆでしてみずに晒した春菊を一口に切ってよくあえる
フリカッセのエスニック風:生クリームじゃなくてココナツミルクを使うということ。
タコとキュウリのサラダ:クミンシードを炒って刻み香り出しをしたドレッシングを使う。
須賀敦子、2007、『須賀敦子全集〈第8巻〉 (河出文庫)』、河出書房新社
著者の作品を少なくとも文庫レベルで読み進めることをここしばらくの寝本の方針としてきた。だから、ようやく最終巻までこぎつけたことはうれしいことではある。
本巻では、キリスト者としての著者の姿が全面に出ているので、その点について、若干言及しておきたい。著者がイタリア・ミラノに居住し、イタリア文学の翻訳や日本文学のイタリヤ語訳に従事したことは、彼女の西欧文学への造詣の深さによるものではあるが、同時に、彼女のキリスト者としてのヨーロッパ、特にはカトリックの牙城であるバチカンおよび日本やイタリアでの関係者とのカトリック者(聖職者)との交流の結果であることは明らかであろう。わたしは、個人的には、キリスト者としてにくわえて、個人的な感性として異文化を見続けた著者にたいして敬意を表したいのだが、それだけではすまないだろう。それは、彼女の日本におけるキリスト者としての学びとくわえて、ミラノの「コルシカ書店」の「解放の神学」あるいは、カトリック社会主義の動向との関与であろう。
著者のイタリア人の夫のペッピーノはナチスに対するレジスタンスの過去をもち、戦後、イタリアにおける。カトリック思想界の左派に属した。著者もまたそれに共感したのは、日本における、日本人の太平洋戦争戦前戦後の情況認識と関わってはいよう。著者自身はカトリック左派であるかどうかは明らかにしていない(とおもわれる)が、その所属する背景からすると、また、バチカン公会議への言及を見ると、明らかに共感はカトリック左派であろうことは読み取ることが出来る。
また、著者は夫の死後、帰国し留学生の支援やイタリア文学者としての残り少ない人生を送るが、一時彼女が重要な役割を担ったのが反貧困運動のエマウス運動である。学生たちの支援者を募り、廃品回収を行い収益を貧困者にすべて寄付するというもので、彼女の帰国後の活動のひとつでもあった。
いわゆる「解放の神学」、植民地主義と関与したカトリックからの決別を目指すというもの、そして現教皇のフランシスコの出身(アルゼンチン)や彼の経歴をみると、おそらくかれもまたその系譜を引くものであることがわか。著者のミラノ、パリ、ローマでの活動はおそらく、こうした運動関わっている。1950年代以降、バチカンの世界政策は右に左に揺れ動くその過程の中に著者の一連の著作も含まれていたと思える。1962−65年の第二回バチカン公会議はカトリックのミサに用いられる普遍語としてのラテン語から解放し、現地語によるミサを解禁したのではあるが、著者は、日本語によるミサの試行に違和感を述べているのは、カトリックという世界普遍言語をを目指す宗教と解放の神学の両義性、つまりは、植民地主義の経験を踏まえた個別性を喚起すると同時にカトリックの普遍性をないがしろにする可能性を内包していることと照らし合わせると興味深い。ダイバーシティと普遍性の競合は、今後も続くし、その評価はなんとも結論付けることは困難であるとしても、1950年代から、自らの生活拠点も含めて、この両者を架橋しつつ、晩年の著作活動を続けた著者の営みの意義は、とても大きかったのだはなかったか。
2018-04-24 11:56:20 |
読書 |
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