大晦日の恒例は、実家の両親のところに、キョウダイの家族がそろっての会食。交代で、料理番を勤めることになっている。今回は、妹夫婦の順番。
ということで、今夜は猪鍋。カナダ産の猪肉なのだそうだ。白ねぎ、青ねぎ、水菜、ごぼう、豆腐、えのき、にんじんをたらふく食べるという趣向。味噌仕立てでとてもおいしい。アルコールも進んだ。溶き卵にくぐらせて食する。
妹の主人が言うには、カナダ産の猪肉というのは、狩猟してきた肉というわけではなく、養殖した管理されたイノシシの肉なのだそうだ。
奈良の実家に、午後帰ってきた。昼食をはさんでの3時間のドライブだったので、順調だった。以前の東名阪の鈴鹿バリアがあったころ、かならず渋滞があったのだが、渋滞がなくなった。
青椒牛肉絲(ピーマンを細切り、たけのこを細切り、牛肉を細切り。しょうがを千切り。サラダオイルでしょうがをいため、鼓豆を刻んだものを加える。牛肉を加えて火を通す。ピーマンとたけのこを加えていためる。オイスターソースで味を調える)
焼餃子(一昨日、自宅で作りおいたもの。焼餃子用の皮は手作り。で家内のレシピ。小麦粉をまとめるとき、熱湯を使うらしい。具は、キャベツを微塵にきざみ、刻んだにらとともに、塩でもんで水出しをする。豚ミンチと野菜をサラダオイルと濃い口しょうゆとともによく混ぜる。冷凍してもってきた)
佐々木俊尚、2007、『フラット革命』、講談社
インターネット時代のいわゆるネット・ジャーナリズムに切り込んだのが本書。マスコミに所属しない個人による報道や匿名言論、ブログ・ジャーナリズム、公共性の問題、さらには、著者本人も巻き込んだ「ことのは事件」の顛末まで、綿密な取材に基づき、詳細にそして明確に記述する。そして、以下のように結ぶ。
まだ未来は見えない。
しかし、もう後戻りはできない。
この先に待ち受けている世界を、目を見開いて待ち構えながら、先へと進んでいくしかないのだ。
2007-12-30 00:15:32 |
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豚ロース肉のソテー(豚ロースステーキ肉に塩胡椒とガーリックパウダーをかけておく。フライパンに無塩バターとオリーブオイルを入れて加熱、泡が出始めたところで肉を入れて、バターの泡をかけながら加熱する。前夜の残りの椎茸とえのき茸を加えてバターソテーして、添える)
パスタ・カルボナーラ(パンチェッタをオリーブオイルとともに炒めておく。パスタのゆで汁を少々加える。アルデンテに茹でたトリアッテーレを湯切りして、パンチェッタソースにからめる。大皿にとってから生卵をからめる)
蕪とトマト、ルッコラのサラダ(蕪を一口に切って、塩揉みしておく。胡椒、ミックスハーブ、ホワイトビネガー、オリーブオイルでドレッシングをつくっておく。一口大に切ったトマト、ルッコラ、塩揉みした蕪をあえてできあがり)
スティーブン・ジョンソン、2004、『創発:蟻・脳・都市・ソフトウェアの自己組織化ネットワーク』、ソフトバンク
本書のイントロダクションは、刺激的だ。粘菌は、環境によっては単細胞だが、時に群体となって移動し、採食を行う。中枢が存在するのではなく、環境情報によって移動方向が決まり移動するのだ。この粘菌から、自己組織化の物語が始まる。そして、次は、蟻。
女王蟻ということばは、支配者と被支配者との連想を生むが、女王蟻は、次世代を生産することのできる個体であって、支配者ではない。女王蟻以外の蟻たちは、命令を受けた訳でもないのに、餌を探し、餌を運び、女王の世話をし、巣を守る。
社会性動物である人間も蟻と同じく(といって、人間の場合は、支配/被支配、独立/従属など、もう少し行動が複雑になるかもしれないが)、全体を意識しない個体としての行動が累積した結果、何らかのパターン化を生み出す自己組織的な行動が見られる。たとえば、都市である。そして、脳細胞のネットワーク、また、インターネット。
本書は、自己組織化をキーワードにしたエッセイともいえようが、関連する数多くのトピックがとりあげられていて、また、文献や注記もおおく、本書をもとにさらに関心を展開して深めていくことができる。
| 創発:蟻・脳・都市・ソフトウェアの自己組織化ネットワークスティーブン ジョンソン,Steven Johnson,山形 浩生ソフトバンククリエイティブこのアイテムの詳細を見る |
2007-12-29 17:33:15 |
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鴨鍋(鴨あら肉と出汁昆布、花椒を煮立ててあくを取っておく。出汁醤油で薄口の味を付ける。鴨ロース肉を白ネギ、芹、椎茸、えのき茸、豆腐とともに食する。柚子胡椒を器にとって出汁でとき、これに具をつけて食べるとよろしいかと。仕上げに稲庭うどんを折り入れて食す)
有田隆也、2007、『心はプログラムできるか:人工生命で探る人類最後の謎』、ソフトバンククリエイティブ
本書は、コンピュータを使って生命現象を進化論に基づき理解しようという「人工生命研究」のあらましを紹介しようとしたのもである。
評者は、本書を選書するにあたってのキーワードは心、行動、遺伝で、著者のバックグラウンドについてはあまり考えず、副題についても考慮しなかった。一連の選書の中で本書を読み始めたのは、「心はプログラムできるか」というタイトルに引きずられたからだ。しかし、キーワードは本書に含まれていたのだが、内容は期待とは違っていた。むしろ、本書は、人工生命の研究のレビューと著者による研究動向の紹介であって、これはこれで楽しかった。
90年前後、パソコンがさわれる(といって、個人で所有したのではない)ようになったとき、本書でも紹介されるティアラなどのライフゲームに興味を持ち、まねごとで自分でもプログラムを作ってみたり、また、パソコン上の二次元空間をランダムウォークする「虫」を動かして楽しんでいたことがあったことを思い出したからだ。
また、かつて、関連した本を読んで評したことがある。
| 心はプログラムできるか 人工生命で探る人類最後の謎 (サイエンス・アイ新書 31) (サイエンス・アイ新書 31)有田 隆也ソフトバンククリエイティブこのアイテムの詳細を見る |
2007-12-28 16:03:38 |
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ラムチョップのハーブパン粉焼き(ラムチョップに塩胡椒、ガーリックパウダー、ミックスハーブをまぶしてしばらくおく。フライパンに炒め物より少し多めにオリーブオイルを入れ、パン粉をまぶしたラムチョップを入れてパン粉にオイルを吸わせる感じで焼いていく。パン粉がはがれやすいので、あまりうごかさない。ラムチョップの中まで火の通りきらないうちに、仕上げる)
ルッコラとローメインレタス、フェタチーズのサラダ
マグロとアボカド、ルッコラのサラダ(マグロの冊を湯にとってすぐ氷水に落としてしめる、一口の立方体に切っておく。アボカドは同じようなサイズに切って、熟したスダチの果汁=レモン汁でいいのだけれど、とあえる。ボールに塩こしょう、ミックスハーブ、バルサミコ酢、オリーブオイルでドレッシングを作り、マグロ、アボカド、ルッコラ、ブロッコリースプラウトをあえる)
武村正春、2007、『脱DNA宣言:新しい生命観へ向けて 』、新潮新書
題名は、看板倒れ(いいっぱなしとしてはそれでもよかろうが)。ま、雰囲気としては、従来のセントラルドグマ「遺伝はDNAできまる」は正しくないかもしれない、という情報は作ることができたかもしれない。
2007-12-26 21:38:50 |
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JRA競走馬総合研究所、2006、『競走馬の科学』、講談社ブルーバックス
本書は、競走馬の馬体に関する生物学や遺伝、運動生理、食餌、馬場、サラブレッドの歴史についてダイジェスト的に記述されており、競走馬のアウトラインを理解することができる。興味深かったのは、とくに、歩行形式の説明であった。個人的には、毛色の遺伝や交配について知りたかったが、それは、また別の本を探すことにしよう。
2007-12-26 18:20:32 |
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駒崎弘樹、2007、『「社会を変える」を仕事にする 社会起業家という生き方』、英治出版
本書は、学生起業家としてITベンチャーを立ち上げた著者が自分自身の生き方の悩みのなかから、社会事業家として「社会を変える」仕事を見出し、病児保育のNPO法人「フローレンス」を立ち上げた過程をくわしく記録したものである。
いやあ、すごいの言葉につきる。著者は、多くの人が重大な問題であると考え、悩みながらも解決方法を見出すことのできなかった病児保育を、複合的なファクターを組み合わせてビジネスモデルとして立ち上げてしまったのである。ここでいう複合的なファクターをキーワードとしてひろっておくと、以下のようである。
プロフェッショナル・ボランティア
学生インターン
地域ボランティア
地域おこし
プレスリリース
ワークライフバランス
NPO
「社会を変える」
社会事業家
ほか
また、「クリエイティブな解決方法をあらゆる方法でプロモーションし、政策化を後押しする」とか、現代は、「『気づいた個人』が事業を立ち上げ、社会問題を解決できる時代」であり、同時に、私たちは、「『社会を変える』を仕事にできる時代に生きている」とのメッセージを送る。そして、巻末には、社会事業(ソーシャル・ベンチャー)に関するリソースが添付されており、社会事業を志す、あるいは、社会事業をもっと知りたいという人々への助けとなっている。
なお、法人名の「フローレンス」がナイチンゲールのファーストネームであることや、彼女がまさに著者とおなじ社会事業家(ソーシャル・ベンチャー)のハシリであることを知ることができた。
さらに、行政組織の持つ問題性についても多々触れられており、国政、地方行政にかかわる大臣や役人、国会議員などこそ、本書を読んで、自らの仕事が一体なんであるか、どうあるべきかを学ぶべきであろう。
NPO法人「フローレンス」:http://www.florence.or.jp/
Days like thankful monologue 病児保育のNPO法人フローレンスを運営している駒崎弘樹のblog:http://komazaki.seesaa.net/
社会事業家ブログ:http://www.socialventure.jp/
2007-12-26 10:05:05 |
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麻婆豆腐(白ネギを縦に四分の包丁を入れ、小口切りしておく。中華鍋にサラダオイルを入れて、ニンニク、ショウガの粗みじん切りをいれて、香りだしをし、豚ミンチをいれて炒める。ネギを加えて炒める。あらかじめつくりおいた、豆板醤、豆鼓醤、オイスターソース、紹興酒、中国醤油、濃口醤油でつくったタレを加えて煮立たせる。絹ごし豆腐を1センチほどの立方に切って加えて、あまり崩さぬように一混ぜする。溶き片栗粉を加えてとろみをつける。小松菜の塩ゆでを添えて、白飯とともに食する)
塩ブタと白菜、小松菜の蒸し煮、卵麺添え(塩ブタブロックを薄切り、白菜を1センチほどの幅にきる。小松菜を好みの大きさに切る。土鍋に白菜、小松菜を並べ、塩フタの薄切りを並べる。紹興酒をふりかけ、水を少々加え、花椒、豆鼓醤、唐辛子小口切りをのせ、ナンプラーをふりかける。中火で蒸し煮にする。卵麺をゆでて、湯切りし、鍋に加えてスープをよく吸わせる)
安富歩、2006、『複雑さを生きる:やわらかな制御』、岩波書店
本書は、宮沢賢治の『春と修羅 序』の冒頭の詩句にでてくる
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電灯の
ひとつの青い照明です
(以下、略)
を序章冒頭におき、「わたくし」と「社会」の関係性のあり方について、複雑性をキーワードにして、文理を架橋して個人と社会のあり方について、問題提起を行う。詳しくは読んでいただくほかないのだが、20世紀のキラ星の知性たちの思考思索をめぐって考察がすすめられ、めくるめく思いの中、様々な事が腑に落ちてくるだろう。
例えば、「ハラスメント」。著者はハラスメントについて、「ひとがコミュニケーションを実現するために形成する信念、すなわち相手も自分と同じ世界をもっているだろうという信念と、その信念を基盤として相手を理解するための理論を構成しようと言う努力とを悪用し、他者を操作しようとすること」(本書74頁、以下同じ)であるとする。さらに、「ハラスメントによって搾取された人間は、往々にして同じタイプの操作を別の他者に向けるようになる」という。ハラスメントの行為は、人間による他者理解の手段、他者が自己と「同じような世界を持っている、とまずは勝手に信じ込み、何らかの動きを示すというかけにでざるを得ない」という人間理解のための本質を逆手にとるというものである。
著者は人間理解のための本質を「学習」(本書75頁、以下同じ)とよぶ。ハラスメントは、「この学習のダイナミクスを悪用する事で成立する。自分はこの学習過程を作動させず、相手にのみ無駄な学習を続けさせる事が根幹である」。やがては自己はハラスメントをする他者を「うまく解釈できないのは、自分の学習能力に欠陥があるせいなのだと考え始める。・・・不安に陥り、その自身と判断力を奪われる」(本書77頁、以下同じ)。そして、ハラッサーは「お前は何もわかっていないのだから、私の言う事を聞けばいい、お前は私の幸福のために働けばいい」というハラッサーにとって好都合な行動基準をあなたに送り込む。
こうして、ハラッサーと被害者の間の支配/被支配の関係が成立する。人間のコミュニケーションの本質に基づく関係は、こうした関係に発達する可能性を常に常にはらんでいる。しかし、たいていの関係においては、加害者がコミュニケーションの過程において犯した過ちに気がつき、反省し、その事を他者に伝え、また、被害者もその事を理解するという調整過程にはいる。ところが、人間の中には、そうしたフィードバック機構を持たない、自己愛的なモラル・ハラスメントの加害者が往々にして存在するのである。
また、「ハラスメントの根源が、コミュニケーションそのものの本質と関わっている以上、それを根絶する事は不可能である。すべてのコミュニケーションが潜在的にはハラスメントたりうるからである」(本書89頁)。そうした状況に対処し、「ハラスメントの魔の手から逃れるには、相手を理解するための理論形成の学習過程を作動させたり停止させたりする自由を確保する事が肝要である」(本書90頁)。
著者はその処方箋を示すのだが(本書94-5頁)、すべての人が「断固たる姿勢をしめす」ことが出来るとは思えない。しかし、少なくとも、ハラスメントを行う事が非人間的であるとして単に排除してしまうのではなく、ハラスメントが人間のコミュニケーションの本質に関わり、誰もがなし得ることを相互に了解する事が、きわめて重要なのではないだろうか。
そして、冒頭の宮沢賢治の詩、「有機交流電灯」である。私たち有機体は他の有機体と交流する事によってお互い灯し合う事が出来る。この本質からは逃れる事は出来ないのである。著者は、ハラスメントに関わる議論を経て、「やわらかな制御」や「やわらかな市場」という概念を提示しつつ、「市場/共同体のような幻想の対立枠組みに依拠して思考してはならない」と説く。いずれにしても(と、長くなったこの書評を閉じようとするのだが)、著者の文理を超えた人間理解の提示とフィールドワークに基づいた論理構成は、小気味よく、同時に、複合的な内容にも関わらず、むしろよく理解できた。読むべし。
2007-12-24 10:55:49 |
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