アマゾン・プライムで観た。
個々で登場するヒットラーの怒り狂うシーンは「総統閣下はお怒りです」という吹き替えビデオクリップでおなじみだが、しかし、本編をちゃんと観ないとだめだな。
秘書に採用された女性の視点で見たヒットラーとナチス帝国の最後(ヒットラーやゲッベルス、高官たちの自決やSS部隊の投降など)。救いは、明日へ向かってババリアへもとヒトラーユーゲントだった少年と自転車にのって脱出する最後のシーンだが、その後、ご本人の証言の「若かったから」ということで許されることと許されないことがあるという言葉。たしかに、彼女は秘書としてヒットラーの口述筆記をしたというだけで、制作決定に関わっているわけではない。とはいえ、ユダヤ人の大虐殺から生き延びたユダヤ人女性の証言から、彼女の筆記の結果起こっていたことについて思いを巡らし、若い頃の自己の行動について深い悲しみを語っていたシーンが印象的だった。
このシーンのあと、この映画に登場したヒットラーの最後に関わった建築家や医師、軍人たちのその後がタイトルバックのように紹介されるのだが、それなりの方が、1990年代ごろまで生きておられたようで、かれらもまた、本作の影の主人公であった元秘書の女性と同様に、ナチスの影を引きずり、心に傷を持って余生を過ごされたのだろう。
ヒットラーの人間性と政策とが乖離しているかのようにも見えるのだが、つまり、優しく秘書やヒトラーユーゲントの少年に接する彼と激高し、連合軍の進行により、逃げ惑うのドイツ国民やベルリン市民のことを考え、ヒットラーにベルリン退去や降伏を進言する部下たちに怒鳴り散らし(これが、「総統閣下はお怒りです」のシーンだが)、戦時に市民の安全はないのだといいはなつヒットラー。たとえ独裁者であっても、あるいは、政治家には、やはり、公人としての人間性をもつ人物を選びたいものだ。そう考えたとき、トランプ前大統領を支持する人々に、この映画を捧げたいとおもった。まあ、トランプとヒットラーの姿が二重写しにみえたということだが。