ゴーヤチャンプルー:ゴーヤを縦割り、中の綿を取り出し、斜めに薄切り。塩もみして苦味をさらす。生姜千切り+赤唐辛子小口切り+豚ロース切り落とし+ゴーヤ+日本酒少々+濃口醤油+溶き卵
モロヘイヤのすり流し+ひきわり納豆:昆布+カツオの合わせだしを冷やして、茹でたモロヘイヤを叩いてあえる+薄口醤油。ここに挽き割り納豆。
別の学部の同僚のランブルスコおじさんことIKと会食。おおさわの最後の休日をつかって開けてもらった。明日が最終営業日。
おまかせですすめてもらったが、印象に残ったのは、焼きトリッパと三種の豆のとりあわせ。
年内に今池で再開するとのことで、期待しよう。
レモンチキン:鶏もも肉ぶつ切りをオリーブオイルで炒め、玉ねぎくし切りを加えてしんなりしたところで、ぶなしめじとマイヤーレモンを一口に切ったもの+赤唐辛子を加える。レモン汁をくわえて、塩コショウ。仕上げに、たっぷりの香菜!
パスタフンギ:ドライフンギを水で戻しておく。鶏もも肉の細切れをオリーブオイルで炒め、絞ったドライフンギを加えて炒め続ける。戻し汁を加える。塩コショウ。茹でた生リンギーネを湯切りしてフライパンに加えて、フレシュオリーブオイルをかけ回して供する
ベビーリーフとトマトのサラダ
J.M. クッツェー、2015 、『マイケル・K (岩波文庫)』、岩波書店
アパルトヘイト時代の南アフリカ、カラードで口唇裂のマイケルは、移動許可証なく、病気で身体が不自由な母親を故郷に連れ帰ろうとする。手押し車を押し、警察の検問などの障害をのりこえて、たどり着く。しかし母や入院を余儀なくされ、治療の効果なくマイケルの不在のうちに母親は亡くなり荼毘に付されて遺骨が残される。この頃から食欲をうしなったマイケルは母親が働いていた農場の一角の小屋に隠れ住むが、やがて、警察に踏み込まれ、ゲリラの支援者として収容所に収容されてしまう。食欲不振のために収容所内の療養所のベッドで過ごすが、やがて、脱出に成功して、自分の暮らしていた海岸の街にもどる。
著者のクッツェーはオランダ系のアフリカーンスの血をひくが、アフリカーンス語ではなく英語でそだったために、アフリカーンス社会からは阻害され、かといってイギリス系でもない。南アフリカで大学を卒業後、イギリスで職に就くが、イギリスやアメリカで文学を学び直し、文学を講ずるが、アメリカでのベトナム反戦運動に関連して、永住権が得られず、南アフリカに帰国、現在はオーストラリアのアデレードに居住するという。彼の作品の背景には南アフリカの歴史や社会文化についての知識が欠かせないが、彼のテーマは、普遍性を持っている。歴史、植民地主義、他言語状況、人間性、他者理解、個人と社会、様々な共通するキーワードである。また、かれの生活した場所は、イギリスとイギリスの旧植民地で、作品は英語でかかれるが、彼の姓はオランダ系のアフリカーンスのものなのである。
2018-07-29 11:02:03 |
読書 |
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ラムランプ肉とペンネのトマトソース
ルッコラのイタリア風おしたし
午後は、愛知県陶磁資料館、岐阜現代陶磁美術館、美濃焼ミュージアムの英文パンフレットを入手するために巡った。それはそれだったのだが、そのなかで荒川豊蔵資料館の存在を知ってはじめていった。森のなかにあって可児市が管理しているという。こじんまりとしてなかなか良かった。
学外の院生二人、KA、DH(DFを改めるそうだ)と。鉄板焼きを中心に。
久しぶりの「焼肉金城」、二人で仕事をしているので、体力的に大変なので、火曜水曜休み、ときによっては9時過ぎには占めるのだそうだ。夫婦は私とそれほど年齢は変わらないが、からだが細くて、大変そうな感じ。長く続いてほしい店なんdなけれど。
豚ひき肉のラーブ:同僚のEHの畑からいただいたレモングラスを細かく刻み、生姜みじん切り、赤唐辛子小口切りとともに、ごま油で炒める。粗挽き豚ミンチと2センチほどに切った捧げを加えて炒める。日が通ったところで、紹興酒+ナンプラー+塩コショウ。ボールに江南の畑から来たルッコラ+EHの畑から来たバジル+スーパーで買ったスペアミント+江南の畑から来たプチトマトを四分をくわえ、炒めたひき肉等を加えたよく混ぜる。ローメインレタスを1センチほどに刻んだものを大皿に乗せて、この上に、ミンチなどを乗せる。
モロヘイヤの卵とじのスープ:EHの畑から来たモロヘイヤを塩ゆでして刻み、ガラスープ+ナンプラーに加えてひと煮立ち。仕上げに溶き卵。
夕方からの公開講座のあと、講師や関係者と懇親会。いろいろと、惣菜がメニューに有るし、日本酒がいろいろ用意されていて、重宝している。