本書は、2021年11月に入手していたのだが、購入した理由は、このあたりから、親鸞や近角常観のことが気になって、調べ物をしていた時期だった。そのピークは、2022年8月のころで、中島岳志の
『親鸞と日本主義 (新潮選書)』、近角常観の書簡の整理などをしていた(その理由の一端は、中島の書籍についての書評に書いてある)。
しかし、本書をこの間手にとって、デスクサイドに置いていたものの、読みすすめることはなかった。ふとしたことで読み始めたのは、本書の帯に鶴見俊輔の名を見つけたからである。鶴見俊輔については、先日も
『日米交換船』を読了し、現在は『鶴見俊輔伝』を読んでいるところだ。
本書で鶴見が登場するのは、最末尾であるが本書の副題「私は間違っている」は鶴見の言葉であることがわかる。鶴見は子供の頃、母からの暴力を受けていたが、キョウダイで唯一人受けていたのでそれは自分が間違っているから受ける母からの愛であると思っていたという。
本書のタイトルは、宗教者である親鸞の思想をについて述べたり紹介するのではなく、親鸞を手がかりに、親鸞の思想を考えた人々に焦点が当てられることから来ている。明治以降の近代化日本の中で、欧化やキリスト教の影響を受けつつ日本とはなにか日本人とは何かについて考え他人々の考えであり、結果的には近代化の進行の中で親鸞を再読する(再考する)事になっている。
親鸞の残した言葉や行動、「非僧非俗」「悪人正機」「弟子一人も持たず」「絶対他力」「法難」「自然法爾」「I am wrong」などについて考察を加えている。私が気になっているのは、こうした考え方が、明治以降の近代と関連付けられていることだ。というのは、親鸞は中世の殺伐とした世界、殺人や裏切り(其々には正当性がある)に溢れ、生きるために他人の命や財産を奪うといった、ある種呵責ない世界に生きていたはずだ。また、中世的政治権力や平安仏教の権威の中で、叡山を降り、流配されるといった生を全うしたのが親鸞だ。そうした彼自身の生きた歴史を背景なくして語れないと思うのだ。
だから、苦しい世の中に生を受けた人々に、弥陀の本願を信じさえすれば悪人善人を問わず、往生したときにあの世で阿彌陀佛の救済(成仏)が待っていると解いたのだ。この世の中での行いの善悪の判断ではなく、弥陀の本願を信じることが救済の鍵となるのだと。名号を称えることがその証というわけだろう。
とはいえ、明治以降、現代に至る社会にもし親鸞が生きていたら、彼の思考が何を契機としてどのように深まったか、とても興味がある。それゆえ、本書の「考える親鸞」というタイトルが意味を持つのだが。本書に取り上げられた人々(親鸞に準拠して近現代を考えた人々)は、生きていた時代に矛盾を感じ、その生を考察するために呵責ない時代に生きた親鸞に依拠しようとしたに違いない。とはいえ、歴史的な背景や「個人」や人間についての考え方も大きく異なっていたはずだ。とはいえ、可能なら、蘇った今生きる親鸞に聞いてみたいとおもうのだ。
「蘇り親鸞」がもし目の前に現れたとしたら、聞いてみたい。
別のところにも書いたことだが、2011年10月末に亡くなった父と2012年2月初めに亡くなった母は、ともに、毎朝二人で経を読み、名号をしょっちゅう唱えていた。大谷派の寺でのお説法にも通っていたし、お寺さんや檀家の皆さんとも仲良くしていただいていた。しかし、父は入院先でせん妄に陥り(ぶりかえした戦争神経症によるとでも言うべきものだっただろう)、入院中は念仏を唱えることもなかった。いっぽう、母は入院したもののその日のうちに突然に意識を失いこの世を去った。かれらは、毎朝の習慣のようになっていた「南無阿弥陀仏」の名号をすら意識のあるうちに唱えることもなく逝った。
両親は成仏できたかどうか、おそらく、親鸞は何も答えてくれないだろう。というか、自明のことだからだ。弥陀の本願は善人悪人を問わず救済することだと親鸞は述べているのだから当たり前に弥陀の救済を期待できるだろう。人々の信仰は、それがその人々にとっての救済の願いとすれば、それはそれで良い。とはいえ、もちろん、信仰が深ければ成仏できるというわけでもない。じつは、信仰の有無は関係がないとすらいえるはずだ。両親は念仏を唱える暇もなくこの世から去ったが、生前十分に名号を唱え、経を読み、おかげ(かどうかわからないが)をもって、予定通り空に消え去ったのだろう。
両親の没後、私がしたことは、位牌を寺に預け、檀家であることを継続した。また、父が墓を京都の東大谷に新たに建てて(朝鮮戦争のときの好景気でボーナスがいつもより多く支給されその金で建てたという)、そこには祖父母が眠っていた。両親がなくなったので、私は、墓地を承継し両親の遺骨を納骨した。そして、ときには墓参をしている。こうした一連の行為は、じつは私が納得すること以上でも以下でもない。おそらく、親鸞はこうした行動についても「おまえの好きにしろ」といったに違いない。
今の我々からすれば殺伐とした中世に生きた親鸞は、おそらく、人々の心の平安のために、様々語り聞かせたということだったのではないだろうか。人々は彼に問いかける。どのようにすれば成仏できるのかと。彼は聖人(法然)様の言葉に従ったのであって、たとえ聖人に騙されたとしても良い、自分はただ聖人を信じるだけだといったという。聖人は弥陀の本願、信ずるものは死後の世界において成仏できるとのべた。とはいえ、教団をつくり、真理(弥陀の本願)を教え、それに従う人々を生み出すこと(たとえば、浄土真宗中興の祖、蓮如のように)、それは、絶対他力とは矛盾してしまうのではないだろうか。教えとそれに対する従順は「自力そのもの」なのだから。親鸞は弟子一人も持たずといったのは、絶対他力からすれば自明のことであったはずだと考えるのだが、どうだろうか。