South Is. Alps
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Coromandel
Coromandel, NZ
Square Kauri
Square Kauri, NZ
Lake Griffin
Lake Griffin


すき焼き

[昼食]自宅、いただきものの出石そば(とろろとともに)+スーパーで買ったかき揚げ(まあ、望むべきもないが、もう少し粉を少なく揚げてほしい)

お節の宅配を依頼せず。家内が作ったのはローストビーフ。わたしが作ったのは、ナマス、レンコンのきんぴら、ゴボウのきんぴら、出汁巻玉子。

すき焼き:近所の肉屋で毎年買う(年1回の悪い客だ)赤身の肉。タレを作っておく。ダイコン拍子切り+レンコン薄切り+白ネギ筒切り。ほかに、セリ+シイタケ+糸コン+焼き豆腐+焼き麩。まずは、一枚だけフライパンで肉を焼いて塩コショウをつけて食す。あとは、タレと白ワイン(ほんとは、ビールのはずだったが買うのを忘れた)、白ネギの煙突からの蒸気で肉が煮えるように上に被せる。あとは、順次追加。溶き卵とともに。

2023-12-31 22:42:25 | 夕食・自宅 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


麻婆豆腐

[昼食]自宅、柳川うどんカルボナーラ風:刻み塩昆布+刻みネギ+全卵、可く混ぜておき、茹で上がった柳川うどん(実際には冷凍していたもの)を湯切りして加えよく混ぜる。刻み海苔+一味唐辛子+濃口醤油少々+フレッシュオリーブオイル、よく混ぜて食す

麻婆豆腐:青梗菜の塩ゆでを添え野菜に。白ネギを荒みじん+合挽きミンチをいため、甜面醤+豆鼓醤+ナンプラー+麻辣辣醤+紹興酒、溶き片栗粉、ご飯とともに

2023-12-30 20:45:04 | 夕食・自宅 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


鯛のカルパッチョ、いちご煮のスープパスタ

[昼食]自宅、柳川うどんを半溜めで(うどんは茹でたあと氷水で締めて、出汁は濃い口を温めておろしショウガとともに

いつもとは違うスーパーに正月用の買物も含めて買い出しに!

鯛のカルパッチョ:ルッコラ+ブロッコリースプラウト+プチトマト、鯛の冊をそぎ切りしてひろげ、塩コショウ+煮詰めたバルサミコ酢+フレッシュオリーブオイル
いちご煮のスープパスタ:妹が毎年送ってくれるいちご煮、具とスープに分け、アルデンテに茹でたオレキエッテが茹で上がったところで、具を加えて刻みネギをちらしてフレッシュオリーブオイルをかける

2023-12-29 20:01:50 | 夕食・自宅 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


豚ロース生姜焼き

[昼食]自宅、メゾンカイザーのサンド2種

朝から家内の運転免許更新で平針試験場へ。予想していたよりも混雑しておらず、順調であったが、彼女の講習の開始時間とのタイミングがずれて、予想よりも時間がかかった。彼女は12時に皮膚科に行く予約があり、わたしは13時に散髪の予約がありその後、15時からiPod ClassicのバッテリーとHDD→SSD128GBへの交換の予約を入れていて、タイミングが悪かった。メゾンカイザーでバゲット等のサンド2種を買って先に昼食を済ませて、散髪に行く。入れ違いだったようだ。

散髪のあと、車を置きに一旦帰ってきたのが14時15分で車をおいて名駅に向かう。前日にネットで調べて予約していた「iPhone修理のクイック」に向かう。予約時間より早く到着したが、1時間ほどというので、携帯に電話を入れてくれるという約束で、まずは、JR高島屋10Fの催事会場の「琳派、若冲、ときめきの日本美術」という京都の細見美術館の出品を見に行く。電話はあっけなく15時半にはかかってきて、ちょうどタイミングが悪く「若冲」のまえだった。

このコレクションの若冲の作品は、水墨主体で、極彩色のものはない。明治の細見家のコレクションの趣味もそのようだったのだろう。プライス・コレクションのような極彩色のものは、たしか、1点ほどであったかと思う。想像するに、デザインとしては優れてはいるが彩色の作品の評価は低かったので購入していなかったのかと。コレクションの年代が書かれていないので、欲はわからないけれど。

iPodの修理はあっけなく終わった。この店は、Apple製品中心というわけではなく、Androidもふくむスマホの修理の専門店のようで、くわえて、MacBookは修理が可能ということ。おもいがけず、あっさりと、しばらく前にどうしようと迷っていたものが解決した。帰宅して、「ミュージック」で楽曲をコピーする。128GBのSSDにリプレースした(もともとは、180GBのHDD)が、使用済みは45.4GBだった。重量は断然軽くなったし、動きも早くなった。これで、iPodの寿命延長ができたというものだ。今どきはスマホに楽曲を保存するというトレンドなのだろうが。

もともと、このiPodは車に常備していて、数日以上に旅行に出るときには持参していたものだ。今回も、数日前からバッテリーの寿命がきた(しばらくだましだまし使っていた)ときも、AndroidをBluetoothでAmazon Primeで楽曲を聞いていた。もちろん、これでもいいんだけれどね。自分自身の音楽CDのコレクションをすべて入れているから、自分のiPodを使うのが快適なのだ。

豚ロース生姜焼き:添え野菜として、塩ゆでしてみずに晒したほうれん草、里芋を茹でたもの

2023-12-28 20:53:19 | 夕食・自宅 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


アジのムニエル、大根菜とがんもどきの煮浸し

[昼食]自宅、納豆ご飯

午前は、残った振替のコマでテニスに。

整体に行って、帰りにこの年末年始用の牛肉のオーダー(近所の杉本肉店、おそらく20年ほども毎年、年末にだけ通っている2代の店主に顔を覚えてもらっている)のついでにコロッケ3種(カニクリームコロッケ、野菜ゴロゴロコロッケ、肉屋のコロッケ)を買って帰った。夕食前に少しかじってのこりは、夕食とともに。揚げたてのコロッケは美味しい。

アジのムニエル:味の切り身(3枚おろし)に塩コショウ+小麦粉、少量のオリーブオイルで両面を焼く
大根菜とがんもどきの煮浸し:合わせ出汁+日本酒+薄口醤油+溶き片栗粉

2023-12-27 20:59:03 | 夕食・自宅 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


スモークサーモンのオープンサンド、ベビーリーフとトマトのサラダ、ニンジンとタマネギのスープ

[昼食]長久手、博多ラーメン鶴亀、トンコツ全部のせラーメン

レギュラーの火曜のテニスのクラスの年内最後の日。

スモークサーモンのオープンサンド:王子サーモンが賞味期限切れだったが最後に残った1パック、カンパーニュやバゲットの上にブリーチーズとともにのせて、ディル+フレッシュオリーブオイル
ベビーリーフとトマトのサラダ
ニンジンとタマネギのスープ:肌寒かったので身体をあたためるかと、足跡に作ったニンジンとタマネギのみじん切り+スープストップキューブ+ドライトマトフレーク、胡椒

2023-12-26 22:11:38 | 夕食・自宅 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『復活の日(角川文庫)』(電子版)

 
今年の9月はじめに書きかけて方ってあったのを見つけたので、アップしておこう。

『復活の日』が単行本で出版されたのが1964年8月、わたしは、中学生3年だった。わたしは『SFマガジン』も読んでいたSFファンの一人だったので、もちろん出版されたことを知っていた。しかし、どういうわけか、その後も読んだことはなかったのではないかとおもう。今回、おそらく初めて読んだのではないか。いっぽう、『日本沈没』(1973)は、カッパ・ノベルズで出たし、大学生だったから、たぶん、初版で買って読んだと思う。続編を書く予定だったというが、「第2部」の出版は時間がかかった。2008年6月30日に読後感を書いている(『日本沈没 第2部』)。

好んで読んでいたSF作家は、もちろん小松左京、星新一、筒井康隆で、SFファンの中でも平凡な読者だったろう。小松左京の作品では、わたしは、『日本アパッチ族』とか『明日泥棒』、『ゴエモンの日本日記』が好みだった。子供の頃、大阪環状線の森ノ宮から京橋にかけての大阪城よりのところの廃墟(砲兵工廠跡)が記憶に残っていたので、『日本アパッチ族』にはリアリティがあった。鉄を喰らって生きていた「日本アパッチ族」という設定やスラップスティックな展開は、子供ながらに面白かった。宇宙人ゴエモンのキャラクタもすきだった。むしろ、小松左京のシリアスな筆致の『日本沈没』や『果しなき流れの果に』(たぶん、「SFマガジン」の連載で読んだ)とか、この『復活の日』は、どちらかといえば、あまり好みではなかったのではなかったか。2006年9月8日の『SF魂』の書評に同じようなことを書いている。その中では、『日本アパッチ族』よりも開高健の『日本三文オペラ』のほうが面白かったと書いている。

私の家では、両親が書籍や雑誌などを購入している駅前の書店で、子どもたち(妹と私)にも、つけで購入することを許してもらっていた。別に言われていたわけではなかったと思うのだが、単価の安い文庫や新書、雑誌(「SFマガジン」、「少年サンデー」(1959-))を買っていて、単行本には手を出さなかった。漫画は、近所の友人が「少年マガジン」(1959-)を購入し、交換して読んでいた。単行本で出版された『復活の日』には手を出さなかった理由」、それはひょっよしたら、子供なりの倹約意識がその理由であったかもしれないのだが。

2019年以来のコロナ禍たけなわの頃に、『アンドロメダ病原体』は読んだのに、本書を読まなかったのはなぜかわからない。でもまあ、今回改めて読んでみて、たけなわの頃に読まなくてよかったかも。宇宙で採取されたMM菌から生物兵器として開発されたMM-88と名付けられた「核酸兵器」は偶発的な事故により南極にいた各国の探検隊を除き、「人類絶滅」寸前にまで追い込むのだが、この蔓延の記述は本書の半ば頃だが、おそらく、コロナ禍たけなわの頃に読んでいたら、この部分できっとげんなりして読み進めることができなかったかもしれない。エピソードが多すぎて、テンポが悪すぎると感じた。

本書では後半になると当時の東西冷戦下の核戦略にトピックが展開して、ソ連が開発した中性子爆弾による中性子によってMM-88菌は無毒化され、かろうじて、南米南端へ上陸をはたした生き残った1万人の南極探検隊の一部のエピソードでエピローグを迎える。当時は、生物兵器というよりも、原子核兵器のほうが、インパクトがあったので、エピローグにこっちを持ってきたのだろう。



2023-12-26 16:02:30 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


豚しゃぶしゃぶ

[昼食]自宅、スーパーで買ったドライカレー

午前中でオフィスから引き上げた。

豚しゃぶしゃぶ:三枚肉+ロース肉、昨夜のクリスマスチキンの骨の出汁。ダイコン薄切り+大根葉+舞茸+えのき茸+春菊、雑炊でしあげた

2023-12-25 22:10:50 | 夕食・自宅 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


映画「ノマドランド」

鉱山が閉鎖され、やがて鉱山町も閉鎖された。配偶者を失っていたファーンは、しばらくは街に残ったがやがて、ヴァンに乗って旅に出た。そこで出会う、様々な人々、ノマドたちとの出会いと別れが、まるでドキュメンタリーのように描かれる。ファーンは、ホームレスといわれ、ハウスレス名だけと言い返す。アメリカ社会の矛盾、年金額も少ない老人たちが家を捨てノマドの生活に。渡り鳥のように季節ごとに南へ北に渡りながら日銭を稼ぎながら、残る人生を送っていく。分け合い、支え合い生きていく人々。心打たれる物語だった。

 

2023-12-25 22:04:16 | 映画/TV/DVD | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『考える親鸞:「私は間違っている」から始まる思想』

本書は、2021年11月に入手していたのだが、購入した理由は、このあたりから、親鸞や近角常観のことが気になって、調べ物をしていた時期だった。そのピークは、2022年8月のころで、中島岳志の『親鸞と日本主義 (新潮選書)』、近角常観の書簡の整理などをしていた(その理由の一端は、中島の書籍についての書評に書いてある)。

しかし、本書をこの間手にとって、デスクサイドに置いていたものの、読みすすめることはなかった。ふとしたことで読み始めたのは、本書の帯に鶴見俊輔の名を見つけたからである。鶴見俊輔については、先日も『日米交換船』を読了し、現在は『鶴見俊輔伝』を読んでいるところだ。

本書で鶴見が登場するのは、最末尾であるが本書の副題「私は間違っている」は鶴見の言葉であることがわかる。鶴見は子供の頃、母からの暴力を受けていたが、キョウダイで唯一人受けていたのでそれは自分が間違っているから受ける母からの愛であると思っていたという。

本書のタイトルは、宗教者である親鸞の思想をについて述べたり紹介するのではなく、親鸞を手がかりに、親鸞の思想を考えた人々に焦点が当てられることから来ている。明治以降の近代化日本の中で、欧化やキリスト教の影響を受けつつ日本とはなにか日本人とは何かについて考え他人々の考えであり、結果的には近代化の進行の中で親鸞を再読する(再考する)事になっている。

親鸞の残した言葉や行動、「非僧非俗」「悪人正機」「弟子一人も持たず」「絶対他力」「法難」「自然法爾」「I am wrong」などについて考察を加えている。私が気になっているのは、こうした考え方が、明治以降の近代と関連付けられていることだ。というのは、親鸞は中世の殺伐とした世界、殺人や裏切り(其々には正当性がある)に溢れ、生きるために他人の命や財産を奪うといった、ある種呵責ない世界に生きていたはずだ。また、中世的政治権力や平安仏教の権威の中で、叡山を降り、流配されるといった生を全うしたのが親鸞だ。そうした彼自身の生きた歴史を背景なくして語れないと思うのだ。

だから、苦しい世の中に生を受けた人々に、弥陀の本願を信じさえすれば悪人善人を問わず、往生したときにあの世で阿彌陀佛の救済(成仏)が待っていると解いたのだ。この世の中での行いの善悪の判断ではなく、弥陀の本願を信じることが救済の鍵となるのだと。名号を称えることがその証というわけだろう。

とはいえ、明治以降、現代に至る社会にもし親鸞が生きていたら、彼の思考が何を契機としてどのように深まったか、とても興味がある。それゆえ、本書の「考える親鸞」というタイトルが意味を持つのだが。本書に取り上げられた人々(親鸞に準拠して近現代を考えた人々)は、生きていた時代に矛盾を感じ、その生を考察するために呵責ない時代に生きた親鸞に依拠しようとしたに違いない。とはいえ、歴史的な背景や「個人」や人間についての考え方も大きく異なっていたはずだ。とはいえ、可能なら、蘇った今生きる親鸞に聞いてみたいとおもうのだ。

「蘇り親鸞」がもし目の前に現れたとしたら、聞いてみたい。

別のところにも書いたことだが、2011年10月末に亡くなった父と2012年2月初めに亡くなった母は、ともに、毎朝二人で経を読み、名号をしょっちゅう唱えていた。大谷派の寺でのお説法にも通っていたし、お寺さんや檀家の皆さんとも仲良くしていただいていた。しかし、父は入院先でせん妄に陥り(ぶりかえした戦争神経症によるとでも言うべきものだっただろう)、入院中は念仏を唱えることもなかった。いっぽう、母は入院したもののその日のうちに突然に意識を失いこの世を去った。かれらは、毎朝の習慣のようになっていた「南無阿弥陀仏」の名号をすら意識のあるうちに唱えることもなく逝った。

両親は成仏できたかどうか、おそらく、親鸞は何も答えてくれないだろう。というか、自明のことだからだ。弥陀の本願は善人悪人を問わず救済することだと親鸞は述べているのだから当たり前に弥陀の救済を期待できるだろう。人々の信仰は、それがその人々にとっての救済の願いとすれば、それはそれで良い。とはいえ、もちろん、信仰が深ければ成仏できるというわけでもない。じつは、信仰の有無は関係がないとすらいえるはずだ。両親は念仏を唱える暇もなくこの世から去ったが、生前十分に名号を唱え、経を読み、おかげ(かどうかわからないが)をもって、予定通り空に消え去ったのだろう。

両親の没後、私がしたことは、位牌を寺に預け、檀家であることを継続した。また、父が墓を京都の東大谷に新たに建てて(朝鮮戦争のときの好景気でボーナスがいつもより多く支給されその金で建てたという)、そこには祖父母が眠っていた。両親がなくなったので、私は、墓地を承継し両親の遺骨を納骨した。そして、ときには墓参をしている。こうした一連の行為は、じつは私が納得すること以上でも以下でもない。おそらく、親鸞はこうした行動についても「おまえの好きにしろ」といったに違いない。

今の我々からすれば殺伐とした中世に生きた親鸞は、おそらく、人々の心の平安のために、様々語り聞かせたということだったのではないだろうか。人々は彼に問いかける。どのようにすれば成仏できるのかと。彼は聖人(法然)様の言葉に従ったのであって、たとえ聖人に騙されたとしても良い、自分はただ聖人を信じるだけだといったという。聖人は弥陀の本願、信ずるものは死後の世界において成仏できるとのべた。とはいえ、教団をつくり、真理(弥陀の本願)を教え、それに従う人々を生み出すこと(たとえば、浄土真宗中興の祖、蓮如のように)、それは、絶対他力とは矛盾してしまうのではないだろうか。教えとそれに対する従順は「自力そのもの」なのだから。親鸞は弟子一人も持たずといったのは、絶対他力からすれば自明のことであったはずだと考えるのだが、どうだろうか。

 

2023-12-25 15:55:46 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


映画「バグダッド・カフェ ニュー・ディレクターズ・カット版 (字幕版)」

Amazonプライム・ビデオ

モハーヴェ砂漠の「バグダッド・カフェ」に現れたドイツ女、ジャスミン。旅の途中砂漠の真ん中で夫とわかれた。夫がおいていった黄色いポットが結ぶ縁もあり、カフェ併設のモーテルに住み着く。カフェの女主人はだめな亭主や生活に絶望している。夫は出ていく。得体のしれないドイツ女の出現にさらに怒りを募らせる。しかし、やがて、ジャスミンの人付き合いの良さと表裏のなさに、カフェの一同はいやされ、やがてはジャスミンのマジックで通りすがりのトラックドライバーたちがあふれるカフェとなっていく。グリーンカードもなく滞在ビザが切れたジャスミンは一度は去るが、再び戻ってくる。カフェに住み着く俳優で画家のコックスは、ジャスミンにずっと個々にいるなら、アメリカ市民である自分と結婚しないかと申し込む。全編に流れる「Calling You」とバッハの楽曲が、砂漠の荒々しい風景と色彩にとてもあう。

ニュー・ディレクターズ・カット版が以前のバージョンとの違いは分からないが、とてもよかった。

2023-12-25 14:56:05 | 映画/TV/DVD | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


クリスマスチキン

[昼食]自宅、冷凍しておいた柳川うどん、湯溜めで

クリスマスチキン:鶏もも肉を塩コショウ+豆鼓とローズマリーとオリーブオイル、ニンジン+じゃがいも+タマネギ+ブロッコリー、オーブンで250度ほぼ1時間

昨日届いたフレッシュオリーブオイル、昨年産と食べ比べ、やはり、新しい方がフレッシュ!

2023-12-24 21:12:04 | 夕食・自宅 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


映画「Tar/ター」

ケイト・ブランシェット主演の音楽映画。レスビアンのパパのリディア・ターの物語。彼女はクラシック音楽界のスター、ベルリン・フィルの首席、「女性」初の才能ある識者、自信を持ちすべてを支配していこうとする。しかし、次第に様々な落とし穴にハマっていく。パワハラ、セクハラ、妬み、嫉妬、家庭内のいざこざ。彼女は次第に職をうしない、東アジア(漢字が見えたので東アジアの何処か)で、ようやく職を得るがそれは・・・。

ちょっとまってほしい。ケイト・ブランシェットはとてもいい。音楽に関するスクリプトもいい。しかし、ストーリーとして、エスタブリッシュしていたベルリンから落差のある東アジアに落ちぶれていくさまを描くというのは、これはどうなんだろう?

クラシック音楽はヨーロッパの文化的伝統ではあろう。それ以外の世界、この映画の冒頭では、主人公は4年間南アメリカに居住して、現地の伝統音楽を学んだと語られる。冒頭では、その歌唱が流れている。それを踏まえて、ヨーロッパの文化伝統であるクラシック音楽の頂点に立った。それにもかかわらず、本人の配慮の無さもあっただろう、しかし、映画の結末として、東アジアに持ってくるのはわからない。

映画「ミッション」ではないが(これは、これで、ヨーロッパクラシック音楽へのノワールではあったが)、たとえば、南米に救いを見出すといった設定ではなかったのだろうか。

興味深く見た映画ではあったものの、なんとなく、展開が腑に落ちない感じなのだが、どうだろう。


 

2023-12-23 20:45:30 | 映画/TV/DVD | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


名古屋内山町「浅野屋」

[昼食]自宅、煮麺(タマネギ薄切り、シイタケ、合わせ出汁、半田そうめん)

今年取れたイタリア産のフレッシュオリーブオイルが届いたというので受け取りに行った浅野屋さんで、夕食も。くるみとチーズのサラダ、牡蠣フライ(単品)

今日は、家内は同僚の家でプレクリスマスP?


2023-12-23 20:41:56 | 夕食・外食 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


ハリッサチキン

[昼食]自宅、メゾンカイザー、ソーセージとチーズのサンド

ハリッサチキン:鶏もも唐揚げ用+ナス+万願寺とうがらし+ハクサイ、ハリッサペーストで合える+日本酒+塩+ローズマリー+レモン汁+オリーブオイル、グリルでハクサイを下にして焼く

2023-12-22 20:47:56 | 夕食・自宅 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


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