『アジア発酵紀行』(電子版)
Kindleに入れておくと、ついつい、読み続けずに読み忘れて時間がたつなんてことがある。本書など、今年1月6日にダウンロードして、おそらく読み始めているはずだが、半分ほど読んだところでつい忘れてそのままになってしまっていたのだが、つい数日前に気が付き、一気に読み上げた。本書は日本の発酵文化の起源を訪ねてユーラシア大陸の東南部各地、タイ北部、雲南省、ネパール、インドを訪ねた紀行である。
本書が取り上げる糀だが、本書を読んでいくうちに何が伝播してきたのだろうかと考えた。糀はコメなりなんなりのデンプンを含む穀類に菌をつけて発酵させ、様々な発酵食品、例えば、酒や味噌醤油の類、のスターターとするというものだ。本書では、雲南省あたりから東播した発酵文化が日本にいたり、西播したそれがインドのマニプール州やネパールに至る広がりが見られるということと、西に東に結ぶ発酵した茶葉を運ぶ少数民族を結ぶルートで結ばれているという。結ばれているとすれば、なにが結ばれているのだろうか。
昨今の紅麹問題もそうだが、微生物はどこにでもいるとはいえ、腐敗菌と発酵菌は紙ひとえというか、同じ菌の作用を人間にとって有用でないものを腐敗とよび、有用なものを発酵と言っているにすぎない。紅麹の問題は青カビが混入したということだが、現在のような工場生産の現場ですら混入(手違いか、意図的か、偶然かを問わず)という現象がおこってしまう。ということは、糀そのものが運ばれる途中に菌は次々と変わっていく可能性が高くなるのは不可避なのではないか。というか、それぞれの地方にいる菌に置き換わっていくことはやむを得ないと考えたほうが良いのではないだろうか。有用でないものがたまたま生成されれば、下手をすると摂取した人は健康を損ねたり事によったら死んでしまい、発酵文化の伝播はとだえる。あるいは、そういった経験を踏まえて技術が改良され伝承されていく。
見えないものを利活用する文化というのは、方法をまねぶだけで、はたして可能なのだろうか。同じやり方をしても菌が交代してしまえば、同じ結果を生むわけではないとおもうのだが。もちろん、日本の種麹屋のように、長い時間をかけて均一の糀を生産する技術にまで至ればよいだろうが、本書で記述されているようなケースでは菌を運ぶのではなく、目に見えない菌を利活用する文化が伝わるということではあるのだが、結果オーライの成果が各地の発酵文化といえばいいすぎだろうか。あるいは、フグ毒などを処理する調理法が生まれてきたように、自然科学的な知識ではなく、経験的に編み出された技術が目に見えないものの利活用に貢献したというべきなのだろうか。
いずれにしても、我々の体内に抱える膨大な種類と数の菌類との共生は、最近ますます重要視されるようになってきており、様々な発酵文化の再発見や見直しがなされていることをふまえれば、本書の発酵文化を訪ねて追体験することは、あらためて、菌との共生を再考できるだろう。
本書が取り上げる糀だが、本書を読んでいくうちに何が伝播してきたのだろうかと考えた。糀はコメなりなんなりのデンプンを含む穀類に菌をつけて発酵させ、様々な発酵食品、例えば、酒や味噌醤油の類、のスターターとするというものだ。本書では、雲南省あたりから東播した発酵文化が日本にいたり、西播したそれがインドのマニプール州やネパールに至る広がりが見られるということと、西に東に結ぶ発酵した茶葉を運ぶ少数民族を結ぶルートで結ばれているという。結ばれているとすれば、なにが結ばれているのだろうか。
昨今の紅麹問題もそうだが、微生物はどこにでもいるとはいえ、腐敗菌と発酵菌は紙ひとえというか、同じ菌の作用を人間にとって有用でないものを腐敗とよび、有用なものを発酵と言っているにすぎない。紅麹の問題は青カビが混入したということだが、現在のような工場生産の現場ですら混入(手違いか、意図的か、偶然かを問わず)という現象がおこってしまう。ということは、糀そのものが運ばれる途中に菌は次々と変わっていく可能性が高くなるのは不可避なのではないか。というか、それぞれの地方にいる菌に置き換わっていくことはやむを得ないと考えたほうが良いのではないだろうか。有用でないものがたまたま生成されれば、下手をすると摂取した人は健康を損ねたり事によったら死んでしまい、発酵文化の伝播はとだえる。あるいは、そういった経験を踏まえて技術が改良され伝承されていく。
見えないものを利活用する文化というのは、方法をまねぶだけで、はたして可能なのだろうか。同じやり方をしても菌が交代してしまえば、同じ結果を生むわけではないとおもうのだが。もちろん、日本の種麹屋のように、長い時間をかけて均一の糀を生産する技術にまで至ればよいだろうが、本書で記述されているようなケースでは菌を運ぶのではなく、目に見えない菌を利活用する文化が伝わるということではあるのだが、結果オーライの成果が各地の発酵文化といえばいいすぎだろうか。あるいは、フグ毒などを処理する調理法が生まれてきたように、自然科学的な知識ではなく、経験的に編み出された技術が目に見えないものの利活用に貢献したというべきなのだろうか。
いずれにしても、我々の体内に抱える膨大な種類と数の菌類との共生は、最近ますます重要視されるようになってきており、様々な発酵文化の再発見や見直しがなされていることをふまえれば、本書の発酵文化を訪ねて追体験することは、あらためて、菌との共生を再考できるだろう。