ウンコを自然に返すことを主張している以下の著書、その中で、著者自身「即身成仏」を宣言しておられる。自身の身体を自然に返すという主張である。わたしも、火葬して物質の自然循環から人間だけ別扱いはどうかと思っていたが、この作者は現在の日本では人口が多すぎると書いておられた。
本書『土葬の村』では、日本の葬送の習俗を様々報告されている。現在の日本では99.9%が火葬だそうである。とはいえ、現在のような状況になるまでには様々な過程をたどってきたことが明らかにされる。古くは遺体をどこかに遺棄する遺棄葬、風葬、土葬、そして、火葬(火葬といっても野焼きから、集落の火葬場、現在の斎場へ)とたどり、地域によって多様でもあった。また、その過程の推移もまた多様であった。また、宗派によっても多様な死者の見送りがあった。それが、全国的に画一的な方向に流れつつある。
私は個人は、両親を10年ほど前に数ヶ月の間隔をおいて送ったが、最近ありがちな葬祭場を利用し、両親が生前お世話になった寺院のお世話になり、これまで、七回忌まで済ましてきている。とはいえ、町住まいの家族だったので何をどうしなければならないという縛りも知識もなく、一般的な流れでこれまで来た。とはいえ、じつは、父方の祖母の実家は「土葬の村」だった。
今から40年ほど前、その家を両親とともに訪ねたことがある。父のいとこが当代であった。詳しい経緯は覚えていないが、父のいとこの奥さんが誘ってくれて、みんなで、ご先祖の墓にまいろうということになったのだが、それは、埋め墓だった。石塔のある参り墓があるのだが、そちらではなかった。家の庭先の花を何本かつまんで、奥さんが先頭になって案内してくれた。家からほど近い畑の中の一角でその家の専用の埋め墓とのことだった。面積としては10メートル四方もあっただろうか。
埋め墓のエリアには、土饅頭が2−3あるものの、土饅頭の上にたてられている木製の墓碑は朽ちて入るがかろうじて文字が見えるもの、短くなって文字も見えず土饅頭も低くなっているものもあった。奥さんは、その一つ一つをいちいち誰々さんと紹介してくれた。もちろん、平坦になっているところに案内されることはなかった。この一角は草は生えておらず、手入れされているようであった。庭から持ってきた花は、用意されている花生けに数本ずつ入れられた。
私が感動したのは、墓がが年を重ねているということだった。そして、それぞれについて記憶が続いていることだった。墓碑の朽ち方がそれを示しているし、土饅頭の高さもそうだ。奥さんによれば、新仏が出て新たに埋葬する必要が出ると、平らになった一角を掘ることになるが、時には骨が出たこともあったという。そうしたときには「あらごめんなさい」と埋め直し、そのすぐ脇に掘り広げたのだという。土の色が変わって以前の埋葬跡であることはわかったというが、骨などが出なければ、適地とされたのだという。
そこから十何年もたって、父方の祖母の実家をよく知る地元の行政職員の方と知己をえたのだが、その家のある村は、その自治体の中でも唯一といえる土葬の地域であったのだそうだ。今世紀に入って数年した頃、以前訪問したときの当主であった父のいとこの方がなくなり、葬儀に参加した。そのときは火葬であったと記憶している。
様々な事情があろうが、死者の送りはやはり人間にとって重要な意味を持っている。手続きに従い、医学知識や衛生思想にしたがって、一刻も早くこの世から遺体を抹殺してしまうような現状はいかがかと思う。死者をすべて土に返すには面積が不足していようし、また、抗生物質や様々な人工物を体内にいれている遺体をはたして、自然が分解してくれるものかどうか、むしろ、隔離したほうが良いかも知れないとも考えるが、それでも、魂がどこに逝き、遺体がどのようにプロセスされるか、知っておくことは大事ではないかとおもう。