カズオ・イシグロ、2011、『夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 (ハヤカワepi文庫)』、早川書房
音楽に関わる短篇集。ひねりがあってよろし。
2015-07-31 22:36:12 |
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しらすの冷製パスタ:カッペリーニをアルデンテに茹でて、氷水にとって良く冷やす。オリーブオイルでニンニク薄切りを炒め、ここにしらすと赤唐辛子小口切りを加えてじっくりと加熱。火が強いとしらすが跳ねる。ひえたパスタにのせ、千切りの大葉をちらし、フレッシュオリーブオイルをかけてよく混ぜる。
豚ロース肉のソテー・万願寺とうがらし添え:あらかじめ両面に塩コショウしたとんかつ用の豚ロース肉。両面をじっくり焼き、万願寺とうがらしとともに。加減で、加熱を続ける万願寺とうがらしの上に豚肉をのせるなどして。
ケールのサラダ
親子丼:ごま油で、白ネギそぎ切り+椎茸薄切りを炒め、ここに、赤唐辛子、鶏もも肉を一口に切ったものを加えて両面焼く。カツオ出汁+日本酒+ナンプラー+薄口醤油を加えて煮る。仕上げに全卵を溶いてくわえ、ごはんにのせて、細切りの青葉を散らして出来上がり。
モロヘイヤのすり流し:モロヘイヤの葉を塩ゆでして水に晒し、細かく叩く。カツオ出汁+日本史+薄口醤油によく混ぜて冷蔵庫でよく冷やす。
きゅうりの浅漬け
金目鯛の西京漬け:市販です。グリルでじっくり焼く。
とろとろ:長芋をおろして器に入れ、一口に切った冷奴。叩いたオクラ、納豆、とんぶり、みょうがの小口切り、大葉の薄切り。醤油をかけて食する。
16ささげの胡麻和え
夕方から学園の講演会で、司会と終了後懇親会。
いろいろと、話が弾んでよかったんじゃないか?発表してくれたのは、同じ学部のMTで物語がどのように共有されるのかについての認知心理学的なメカニズムについて。
終了後は、「しき」。企画課の3人とMT、TIと合計6人で。
小熊英二、2015、『生きて帰ってきた男:ある日本兵の戦争と戦後 (岩波新書)』、岩波書店
本書のあとがきに以下の様な一節がある。
「記憶というものは、語り手と聞き手の相互作用で作られる。聞き手に聞く力がなければ、語り手から記憶を引き出すことはできない。」
わたしは、このことを考えたのは、父の最期の入院の時だった。父は2011年9月末に肺炎を起こし、病院にかつぎ込んだ。その病院にはそれ以前にも入院したことがあり、肺にかなりおおきな「しこり」があると告げられていたが、妹と相談して、告げるのをやめていた。おそらく主治医はそのこともふまえて、「生きて退院することはない」という趣旨のことをのべたのだろう。いま、文字にしてみるとひどい言われようだが、その時は、呆然として納得してしまったことを思い出す。
集中治療室に入って付き添い不可(個室にいることができた時は家族の誰かが夜を共にしていた)とされた時である。その夜、父が譫妄状態になって「天皇陛下にお詫びする」と叫び、陛下から預かった兵士を死なせ、武器を失ったこと(投降したことを指している)について大声でお詫びしていたのだそうだ。翌日、他の入院患者への影響から、集中治療室から追い出されて個室に戻り、そのことを看護婦から聞かされた。
父の晩年は、終戦後70年近くたっていたとしても、戦争神経症とでも呼ぶ症状ではないかとおもえるほど、戦争の記憶が強く彼を傷つけていたことがわかる。先の戦争に関わること、たとえば、士官学校の同期生や同じ連隊の部下の死を告げられた時、あるいは、先になくなった叔母から、戦争後に引き起こした父の自殺未遂の思い出などを聞かされた時の父の動揺は、あきらかに神経症(うつと言っていいだろう)を悪化させた。別の病院の精神神経科にも通って担当医のカウンセリングをうけ、精神安定剤を処方を受けていたが、通院から帰ってきた時など、「話してもわからん」といっていた。かなり、緘黙な父だったので(しかし、機嫌によっては、時に長広舌に及ぶこともあった)、きっと、精神科の先生は手こずっただろう。不肖の息子であるわたしは、最晩年の3年ほどは月に1度は実家に帰宅するようにしていたが、それまでは、1年に1・2度帰れば上々であった。ちゃんとまとまって話を聞くことができなかった。
以上の父に関する2つの例は、著者の「あとがき」を引用した一文に関係することだ。しかし、看護婦や精神科医は、患者のすべてを知る必要はない。とはいえ、一般的な知識として戦争経験者のことや歴史的な知識を持っている方が、より良い態度で患者と接することができたはずだ。もうひとつ、関係することは私自身のことだ。私は、フィールドワーカーとして沢山の人にインタビューをして「昔語り」を聞いてきた。しかし、自分の親については、断片的に話を聞いていたものの、それは、家族の中での会話の中でしかない。ノートを取りながら話を聞いたのは、何度もないし、体系的にも聞いていない。私には、その当時「聞く力」がなかったのだ。情けないことだが、後悔先に立たずではある。
父は陸軍士官学校を卒業した職業軍人であった。太平洋戦争の最末期、フィリピンに送られた父は、少佐であったが、連隊長に任じられていたという。そして、彼と彼の連隊は8月15日の敗戦の後もフィリピン中部の山中を逃れ続け、投降したのは一ヶ月後で、その後、捕虜収容所におくられて帰国したのは翌年であった。かれの連隊の帰還率は10数パーセントであったという。その後、戦友を訪ねて、国内をめぐり、戦友会をつくった。また、戦後、公職追放にあい、臨時雇いの肉体労働者として電線会社に勤め、その後、正社員になって無事定年まで務め上げ、子会社の経営陣の一員になって65歳の時退職し、30年の長い老後生活をおくった。口数の少ない温厚な父であったが、先ほどの集中治療室での一件以降、断片的な話以外には、天皇陛下のことを繰り返し語ったが断片的だった。付き添っていたある夜、繰り返しを聞かされた。なんと、酷いことだ。かれは、戦後、家庭を築き平和に暮らしていた70年近い生活には、心に戦争の傷跡を大きく残していたのだ。
著者も自分の父君からの聞き書きによって本書を記したのだが、はじめに父君から聞いた話は、シベリア抑留経験だけだったという。しかし、その後時間をかけて、昭和の年数と同じだけ生きる(大正15年生まれ)父親の一生を、経験を聞き書きして本書に記すことができた。本書は、昭和と平成の時代を生き続けるひとりの男のライフヒストリーを記録したものであるが、その歴史には同時代に起きた様々な出来事と関わりあることが合わせて記されることによって、その時代そのものに光を当てることになった。
私にとって、2011年10月末に父を2012年2月初に母をなくしてしまって、今では果たせぬ夢となってしまっているのだが、本書を読んであらためて、後悔の念を強く持った。著者は「あとがき」の最後に以下のように記している。
「父はやがて死ぬ。それは避けえない必然である。しかし父の経験を聞き、意味を与え、永らえされることはできる。それは、今を生きている私たちにできることであり、また私たちにしかできないことである。願わくは、読者の方々もまた、本書を通じてその営みに参加してくれることを望みたい。」
2015-07-27 14:24:39 |
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今日は、遠州森町の蕎麦屋「百々や」(達磨系)に行くことにしていたので、11時頃駐車場にいったが、車に乗ってから、なんか変な臭がする(新車の匂いじゃ!)と言い出し、ようやく気がついたらしい。とほほ、というか、まあ、そんなもんだろうというか。
カーナビが指示する東名の袋井インタ経由で、遠州一宮駅構内の「百々や」でざる2枚と田舎1枚の昼食。島田の「宮本」とつい比べてしまうが、「百々や」は悪くないけれどかなり劣る。この後、小國神社にお参りして、秋葉山秋葉神社本宮下社と山上にある上社にお参りする。
Honda Shattleは、昨日は定則で少しボケた感じの動きだったが、今日はエンジンがよくまわり悪くなかったのではないか。山道や市街地走行、高速走行、高速での渋滞とありがちな走行パターンをこなして、往復約300キロ、平均燃費20キロ超えでまあまあだったのではないか。
新東名の浜松SAで「石松餃子」と云う冷凍の品を買ってきて、これをメインに夕食。
浜松餃子、もやしとキャベツの炒めもの
冬瓜とアオサ、豆乳のスープ
冷製パスタ2種(トマト+大葉+ゴーダチーズ+フレッシュオリーブオイル+塩胡椒、ちりめんじゃこ+大葉+フレッシュオリーブオイル+塩胡椒、カッペリーニパスタを冷水で締めて)
鱧と穴子とキュウリのソース(キュウリを下ろす+タマネギみじん切り+みょうが小口切り+塩胡椒+バルサミコ酢+フレッシュオリーブオイル。穴子、本当は素焼きのものがあればよかったが、タレがかかっていたのでどうしようもないが、鱧の湯引きと穴子はオリーブオイルを加熱したフライパンで軽く加熱して、バルサミコ酢をかけて、ひをとめて、大皿に広げたソースの上に載せる。昔、三宮のDenのメニューのコピーだけれど、今晩は、潰したコリアンダー・シードを加えるのを忘れた)
サラダ
万願寺とうがらしのグリル、かつお節と醤油、フレッシュオリーブオイルをかけて
土曜だが、院生の研究会があって出勤。
午前中、クルマを乗り換えたのだが、夕方、家の近くで、帰宅途中の歩いていた家内にクルマから声をかけたのに、気付かれなかったようだ。う〜ん、成功したということか、あるいは、がっかりということか。もう少し長く載るはずだったHonda Fit3だが、度重なるリコールのあと、エンジンとトランスミッションの挙動が落ち着かず、Honda Shattleに乗り換えた。代わり映えしないといえば、そうなのだが、午前中、一時間ばかり、乗り回したが、エンジン周りや足回りが悪くないかも。